>>822続き)

昨日の記事を投稿した直後、圧倒的な「機能性」と「安さ」でセイコー(日本の時計メーカー)に
市場を独占されたスイスの時計業界が、起死回生の策として、
付加価値(※ストーリーなど)の創造に励み、ブランド(高級路線)となり、
見事に復活を遂げたスイスの時計業界の記事を読み漁ったのですが、
グローバル企業(大企業)に「機能性」と「安さ」を取られつつある僕らにとっても、
「どう付加価値をつけるか?」というテーマは他人事でありません。

歴史が付加価値になる場合もあるし、人(販売員)が付加価値となる場合もあります。

このあたりはもっともっと推し進めて(実験を繰り返して)いこうと思いつつ、
上手い具合に本題に繋げたので、ここから本題です。

■どうすれば守り続けることができるのか?

「他人の為にやっている」というよりは、自分の興味が原動力になっているような気もしているのですが、
「僕が死んだ後も、残された人々を守り続ける(具体的に応援し続ける)には、どうすればいいのか?」
というテーマと向き合っています。

自殺願望があるわけではありませんし、余命宣告された大病を患っているわけでもないのですが、
人間が「老害」となっても現場にしがみ続ける理由の一つとして
「自分が死んだ後の設計をしていないから」というのがあるのかなぁと思ったら、
自分の死後に急に興味が湧いちゃって(#言っちゃった)、早々に死ぬ前提で人生を設計をしています。

「お遊戯会プロジェクト」なんて分かりやすいと思うのですが、もうそこには僕はいなくて、
最近は「僕がいなくても回り続ける運動の開発」に、生前の時間を割いています。

時々、「自分が売れたいとか思わないの?」と訊かれるのですが、
「そんな簡単なことには興味がない」と一蹴して、嫌われています。