西野ってよく「何者でもない」「何者にもなれない」って言い方するよね
これを聞いて「何者かにならなくては!」って強迫観念を植え付けられた人が西野サロンに入って「自己研鑽(ごっこ)」を始めた途端に西野口調、西野語彙がまるまる伝染ってしまうんやと思う
そういった共通語彙を使う事で(あくまで西野サロン内でのみ)「何者かになれた」って気分に浸れるんやろうな

本当は西野のいう「何者」かになる必要なんて全然ないし、なりたいと思わなくていいし、平凡でも普通でもちゃんと生きてたら充分立派やし社会の役に立ってるのにな
そういう人らを西野サロメンは「何者にもなれない愚かな人間」と蔑視してる
自分らだって平凡で普通なのに

根っこにある醜悪な差別意識に気づいてない