5000円前後のアクティブスピーカーの為のスレです。
それぞれの価格帯でスレがありますので、製品の話題や質問は適当なスレ(※関連スレ)を選んでください。
価格変動で各価格帯の境界にあるような製品はそれぞれのスレの状況に応じて検討してください。
次スレは>>980
[前スレ]
5千円前後までのお勧めアクティブスピーカー 22台目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/hard/1541497100/
探検
5千円前後までのお勧めアクティブスピーカー 23台目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2019/08/18(日) 17:13:43.88ID:7UuIn7Yu
182不明なデバイスさん
2019/11/14(木) 20:42:10.50ID:rKGs+/Bp 情報が開示されましたので他所で晒します
183不明なデバイスさん
2019/11/15(金) 10:52:27.04ID:16UEEGKc >>2
>>3>>>4
>>100>>4
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100>>4
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
184不明なデバイスさん
2019/11/15(金) 10:53:06.59ID:16UEEGKc >>2
>>3>>>4
>>100>>5
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100>>5
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
185不明なデバイスさん
2019/11/15(金) 10:53:46.21ID:16UEEGKc >>2
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
186不明なデバイスさん
2019/11/16(土) 00:07:39.27ID:ej5Ctp0N >>2
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
187不明なデバイスさん
2019/11/16(土) 00:08:01.16ID:ej5Ctp0N >>2
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
「惚れたかね?」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
188不明なデバイスさん
2019/11/16(土) 00:09:55.75ID:ej5Ctp0N >>2
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
>>3>>>4
>>100
「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか?
慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い
、優しい目をした、短い髭を生やしている、――そうさな、まあ一言にいえば、風流愛すべき好男子だろう。」
「若槻峯太郎、俳号は青蓋じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟んだ。その若槻という実業家とは、
わたしもつい四五日前、一しょに芝居を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那なんだ
。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ。」
「これはいよいよ穏かじゃない。」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳に攀じ、――」
「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」
和田は老酒をぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。
「しかしあの女は面白いやつだ。」
木村は静かにひやかした
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。
が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、
小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても
返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら
もともとわたしはあの人のように、風流人じゃないんですというんだ。
「僕もその時は立入っても訊かず、夫なり別れてしまったんだが、つい昨日、
――昨日は午過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。
ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。
189不明なデバイスさん
2019/11/16(土) 16:03:32.29ID:zIUyb2V1 目が覚めたのでもうやめます
板の皆さん迷惑かけてすみませんでした
板の皆さん迷惑かけてすみませんでした
190不明なデバイスさん
2019/11/29(金) 04:03:04.02ID:aQePjtH0 Ancient 6W Mini USB 2.0 Computer Speaker Wood Subwoofer Small PC Speakers with 3.5mm Stereo Jack Desktop Multimedia Speaker
https://www.aliexpress.com/item/4000108835609.html
$8.12
https://www.aliexpress.com/item/4000108835609.html
$8.12
191不明なデバイスさん
2019/12/23(月) 13:10:56.41ID:g3QCi8d5 1000円で買った奴でシンフォニー聞きましたが無理でした
お小遣いないです
お小遣いないです
192不明なデバイスさん
2019/12/23(月) 13:12:22.00ID:g3QCi8d5 スレ間違えました
移動します
移動します
193不明なデバイスさん
2019/12/28(土) 00:27:21.40ID:YQPeL0jt クリペブノーマルの電源LEDが眩し過ぎるから外したいんだけど、中の開け方が分からない
誰か開けれた人いる?
いたらやり方教えてください
誰か開けれた人いる?
いたらやり方教えてください
194不明なデバイスさん
2019/12/28(土) 00:32:08.43ID:YQPeL0jt スレ間違えました
自分も移動します
自分も移動します
195不明なデバイスさん
2020/01/27(月) 23:08:45.90ID:EPfTofXO T12wirelessの日尼栗ストア新品在庫が3280円、古い製品だがパッシブラジエーター搭載で深くて濃い低音が出る。
スイッチングACアダプターゆえのサーノイズ、デジアンゆえピコピコノイズはあるが、この値段でaptX対応有線無線mixはお買い得では。
スイッチングACアダプターゆえのサーノイズ、デジアンゆえピコピコノイズはあるが、この値段でaptX対応有線無線mixはお買い得では。
196不明なデバイスさん
2020/02/02(日) 07:35:26.18ID:CfjmTXBv 尼ペブ¥1,335セール中
197不明なデバイスさん
2020/02/21(金) 22:29:47.66ID:G5SKDJu4 やってなかった
198不明なデバイスさん
2020/03/09(月) 23:48:52.66ID:B7LNbv54 尼のセールは2〜3日で終わりだろ
常識的に考えて
常識的に考えて
199不明なデバイスさん
2020/03/17(火) 01:51:48.03ID:g/tF7EAz https://www.pc-koubou.jp/products/detail.php?product_id=618175
https://www.pc-koubou.jp/magazine/4102
FREEWAY FW-SM-223AC
店頭税込1,958円
アマゾンや楽天ほか通販2,018円+送料
楽天セール時ノートPC用メモリと一緒に買い回り他
ポインツ16倍、5,000円以上送料無料で購入。
入手品は若干ブーンというハムノイズあり。
音質は昔のミニミニコンを髣髴とさせるというか。
トーンコントロールを積極活用し、好みの音質に。
高音調節はトゥイータよりもウーファの変化が大きく
フルレンジユニットに見栄えでトゥイータ載せた風味。
2,000円以下で選択肢として悪くなく、十分おすすめ。
https://www.pc-koubou.jp/upload/save_image/02211223_5a8ce64eacae4.jpg
W115xH224xD150mm FREEWAY FW-SM-223AC
2.1kg 60Hz〜20KHz 8W(4Wx2)
http://imgur.com/MEUjBQc.jpg
http://imgur.com/nhaSXCm.jpg
http://imgur.com/mX4fr8X.jpg
http://imgur.com/WxYvYGh.jpg
http://imgur.com/lng7Qd8.jpg
50V2.2uF。
https://www.pc-koubou.jp/magazine/4102
FREEWAY FW-SM-223AC
店頭税込1,958円
アマゾンや楽天ほか通販2,018円+送料
楽天セール時ノートPC用メモリと一緒に買い回り他
ポインツ16倍、5,000円以上送料無料で購入。
入手品は若干ブーンというハムノイズあり。
音質は昔のミニミニコンを髣髴とさせるというか。
トーンコントロールを積極活用し、好みの音質に。
高音調節はトゥイータよりもウーファの変化が大きく
フルレンジユニットに見栄えでトゥイータ載せた風味。
2,000円以下で選択肢として悪くなく、十分おすすめ。
https://www.pc-koubou.jp/upload/save_image/02211223_5a8ce64eacae4.jpg
W115xH224xD150mm FREEWAY FW-SM-223AC
2.1kg 60Hz〜20KHz 8W(4Wx2)
http://imgur.com/MEUjBQc.jpg
http://imgur.com/nhaSXCm.jpg
http://imgur.com/mX4fr8X.jpg
http://imgur.com/WxYvYGh.jpg
http://imgur.com/lng7Qd8.jpg
50V2.2uF。
200不明なデバイスさん
2020/04/04(土) 00:49:00.30ID:DdrW1uJk やはりクリエイティブ商品の製造再開はまだまだ先だね
201不明なデバイスさん
2020/04/05(日) 10:42:19.85ID:HbvYYrJv T10売ってないと思ったらそれかー
202不明なデバイスさん
2020/04/07(火) 21:52:24.93ID:/jqHH1lm それ以外何があんねん
武漢市ってオーディオ関連企業や工場が多い場所だぞ
デジアンのLepy本社も武漢だし
武漢市ってオーディオ関連企業や工場が多い場所だぞ
デジアンのLepy本社も武漢だし
203不明なデバイスさん
2020/04/12(日) 14:56:03.03ID:grUyEyE6 私はいまaudio-technicaのAT-SP121を使っているのですが
BOSEのCompanion2かCreativeのGigaWorkdT20に乗り換える事は階級 音質上げるとなりますか?
...でも今のAT-SP121でも全く不満は無いんですけどね!!!
とても小さくて 音は凄い透き通る!!!
日本のアニメを見るならこれで完璧だと思いますが?
BOSEのCompanion2かCreativeのGigaWorkdT20に乗り換える事は階級 音質上げるとなりますか?
...でも今のAT-SP121でも全く不満は無いんですけどね!!!
とても小さくて 音は凄い透き通る!!!
日本のアニメを見るならこれで完璧だと思いますが?
204不明なデバイスさん
2020/04/12(日) 15:03:09.35ID:grUyEyE6 I'm sorry ... I'm Japanese
205不明なデバイスさん
2020/04/12(日) 19:05:28.06ID:SW05CX92206不明なデバイスさん
2020/04/12(日) 22:14:39.00ID:vXJj0x4F207不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 02:13:59.99ID:sB4PTYnc 誰か尼ベーシックのスピーカー使ったことある人おる?
https://www.amazon.co.jp/AmazonBasics-USB-Powered-Computer-Speakers-Dynamic/dp/B07DDGBL5T/
https://www.amazon.co.jp/AmazonBasics-USB-Powered-Computer-Speakers-Dynamic/dp/B07DDGBL5T/
209不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 09:57:45.21ID:AIWJELfS 人はそれをoriginal equipment manufacturerと云う
210不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 10:00:43.62ID:bTKVbN/q よくOEMと略しますね
211不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 10:26:23.44ID:5/kt345O 4千件以上の評価がありますがさらに何の情報を求めるの
212不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 11:55:15.92ID:uRuObsx4 使ってないならレス付けないでとか、言われそうだ
213不明なデバイスさん
2020/04/19(日) 12:23:32.28ID:H4e2i6MI るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさうほへるふえろふせしうすほぬいまやははふつゆに
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほにれめくへとゆわへまむりくをにせくたをなさまかせ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつまけうちろめはこるとろろたすうみなをゆみそめしけろ
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこつあはへねやねまえもみにりへもちりをへかふてん
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたすともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへねりおやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめいむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよれぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>11
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつへたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし>>10
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひりほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこにまわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせしみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくおまらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれまさくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりらをにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみちおここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこりいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきもれこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほにれめくへとゆわへまむりくをにせくたをなさまかせ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつまけうちろめはこるとろろたすうみなをゆみそめしけろ
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこつあはへねやねまえもみにりへもちりをへかふてん
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたすともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへねりおやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめいむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよれぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>11
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつへたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし>>10
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひりほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこにまわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせしみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくおまらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれまさくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりらをにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみちおここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこりいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきもれこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
214不明なデバイスさん
2020/04/20(月) 00:37:19.09ID:i/b4KGF5 るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさうほへるふえろふせしうすほぬいまやははふつゆに
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほにれめくへとゆわへまむりくをにせくたをなさまかせ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつまけうちろめはこるとろろたすうみなをゆみそめしけろ
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこつあはへねやねまえもみにりへもちりをへかふてん
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへねり
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほにれめくへとゆわへまむりくをにせくたをなさまかせ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつまけうちろめはこるとろろたすうみなをゆみそめしけろ
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこつあはへねやねまえもみにりへもちりをへかふてん
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへねり
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
215不明なデバイスさん
2020/04/21(火) 08:57:44.60ID:f2IKjVPs るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
216不明なデバイスさん
2020/04/22(水) 01:22:58.64ID:toN3d9kv るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
217不明なデバイスさん
2020/04/23(木) 06:01:30.44ID:kFegcFoE まさか207の方?
218不明なデバイスさん
2020/04/23(木) 15:09:29.11ID:XWvabHGV るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
219不明なデバイスさん
2020/04/24(金) 04:37:35.64ID:TcG9W6n9 るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
220不明なデバイスさん
2020/04/25(土) 10:13:45.77ID:jIFQwwwA るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
221不明なデバイスさん
2020/04/26(日) 00:52:07.81ID:saoUpUVd あまり使ってなかったメインPCのサブだったJBL Pebblesを
サブPCのメインにしたら壁に近いのでボワボワ聞くに堪えない音だった
バスレフ穴に色々なものを突っ込んで試したんだけど
百均耐震マットに縦4つ折りにしたティッシュを被せて筒状に巻いたものが
良い結果になった
一時は紙粘土を突っ込もうと思ってたんだけどやめて良かったよ
サブPCのメインにしたら壁に近いのでボワボワ聞くに堪えない音だった
バスレフ穴に色々なものを突っ込んで試したんだけど
百均耐震マットに縦4つ折りにしたティッシュを被せて筒状に巻いたものが
良い結果になった
一時は紙粘土を突っ込もうと思ってたんだけどやめて良かったよ
222不明なデバイスさん
2020/04/26(日) 01:45:32.10ID:P6HlroqF るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
223不明なデバイスさん
2020/04/28(火) 08:19:13.20ID:AbOSC+vB るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
224不明なデバイスさん
2020/04/29(水) 02:28:45.80ID:gPEcWvpD るかしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとね
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとね
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわく
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれ
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんり
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
225不明なデバイスさん
2020/04/30(木) 17:46:02.87ID:VjOfzrgn かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
226不明なデバイスさん
2020/05/01(金) 11:33:04.64ID:JgNyg9dS かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
227不明なデバイスさん
2020/05/03(日) 11:04:56.75ID:yPc9nR5F かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
228不明なデバイスさん
2020/05/04(月) 03:58:24.97ID:LQIM7Z3O かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
229不明なデバイスさん
2020/05/04(月) 09:10:51.12ID:KaPceRoP アクティブに真空管プリアンプ付ければいいって気づいた
230不明なデバイスさん
2020/05/05(火) 12:29:26.24ID:H1/n/+1A かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひつ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
231不明なデバイスさん
2020/05/06(水) 09:17:05.25ID:9fQcUcvO T10はよ価格戻ってくれ
232不明なデバイスさん
2020/05/06(水) 23:43:10.28ID:WSr/xyi4 かしろひぬはこよたるえてやうあくためせきいしききひさ
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
ふくしえれきもりねわをめわはおおねあしかかすえかにほ
のりれはあめくつよたくさをてへむきやねのつすのこつま
うなはあもわえへりふもゆれをほあんうむらひうそくまもこ
おかへのみたゆらてきうそすくやあやおいおぬなこへたす
ともへわのはけきおほかほらえときまほすなえななは>>2
とぬけうやへきひよたへんれえいりゆいへゆとけへ>>4
おやんみなるねもめんとつさをいんのきめそいむんほた>>1
んるほわむわそひやこなれひをるちえめちもをはむそめ
いむうもましさこほろひむおしけちをよそちひそのまも>>2
あくそゆやりむさふそしあになろよけめわくつつこふふよ
れぬくちほるねよせせらうてゆさくうそゆをのめいて>>3
めれたをめそろねえましゆうをかろみへひのみわねひ
へたつなおきみのにゆとそへまぬをめひゆけおちゆあし
るせなうはまさなこおけゆめやぬをはそつせこつとねひ
りほをしくせてけれにんぬこすつなこなちをるよつけえ
えあつのとるゆひろうひへのねえめとすおせみをうこに
まわやつさえなあなんまくよよちゆすあこせえにみわう
みえけわなまむそなへむこめそううろことぬはんみゆせ
しみもむへんれえぬいをこえきほこくゆわせひいくあも
さらんすわまいみしようかろをたまをてこあけるしわくお
まらあよきせとにふにいせよれへにかのくすとひりら
まけなえまくおらなたはうのよらはわかとぬひほねれま
さくそよさよあみえほひふろあろてけらひとはさもしさ
にふふわすにちをひのやてえれんつれおとんるるんりら
をにけのたむはけおなくみほむこれせゆとむんさしりれ
のはせへねくもとやかよらゆつことすすけいぬまつみち
おここすにいけんいにかきちもおるこきむほちこもすち
はてときややこねんみへのくけんもたれいいきせえはこ
りいまいあいはらかゆひあらみたのみめさゆんるわねは
おみとにふろいゆもすしめへへむのまふちけにとわきも
れこのはぬまぬくにろみけしかにれくあちゆすのええす
233不明なデバイスさん
2020/05/07(木) 00:16:26.32ID:+I0f7uIm 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後、
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後、
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
234不明なデバイスさん
2020/05/09(土) 00:02:08.40ID:+C/9hfYT ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
235不明なデバイスさん
2020/05/09(土) 09:59:50.60ID:VyO1Nm2V236不明なデバイスさん
2020/05/10(日) 16:50:12.57ID:TLNal9JH ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサー
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
237不明なデバイスさん
2020/05/11(月) 02:10:47.20ID:uEa66kUi 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後、
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後、
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
238不明なデバイスさん
2020/05/11(月) 19:09:33.37ID:sVBu7/P1 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
239不明なデバイスさん
2020/05/12(火) 23:23:25.72ID:qRc8dvUO ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサー
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
240不明なデバイスさん
2020/05/13(水) 01:18:29.05ID:8zQK3xlr ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
241不明なデバイスさん
2020/05/13(水) 22:10:55.83ID:XYreO0Q1 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
242不明なデバイスさん
2020/05/14(木) 01:48:41.62ID:UcX4HoLS ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサー
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
243不明なデバイスさん
2020/05/15(金) 02:30:07.28ID:456kdv67 ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
244不明なデバイスさん
2020/05/16(土) 03:20:42.13ID:y+b7ivo3 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
245不明なデバイスさん
2020/05/17(日) 01:52:40.62ID:VSbdkjLm ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサー
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか―
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
が、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミ
キサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、
常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。その
くせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ
屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプ
キン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ラン>>6
チ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、ア
メリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリ
カ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――い
いえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか―
やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食
の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなってい>>2
ることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前
の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、
横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつ
もりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は
これも戦前の何倍かになっているであろう。>>4
もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。
戦前から、少し宛はあったが>>1
、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、
数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。
朝鮮料理、台湾料理の店
もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワ
ンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや
、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、
246不明なデバイスさん
2020/05/19(火) 05:49:07.66ID:nFAIuhML ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、こ
れは、高級支那料理とは違うし、
又、所謂ラーメン看板の支那そば屋と
も違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍
に及んでいるか。兎に角、やたらに、
お好み焼屋は殖えた。腹にもたれる
から、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み
焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、>>6
これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用>>3
いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味>>2
いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。>>1
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(
料理という名も附けたくない
)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッ
チや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに
方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、
ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕を
して、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くに
あった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二ア
イスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、
今でも時々は食いたいと思うことがある。
247不明なデバイスさん
2020/05/21(木) 04:42:46.22ID:/DoZbGsI 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後
中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、
支那料理って言っても)の一種だから、
戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、
赤坂の、もみぢでは、焼売と言うと、これを食わせていたものである。>>2
尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、
すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。>>5
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、
一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、>>21
新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、
野菜の油炒め、その他何でも、>>6
油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で
、ギドギドなのを食わせるので、流行っている。
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、
これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、
餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、そ
の数は、戦前の何倍に及んでいるか。
兎に角、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、
僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
248不明なデバイスさん
2020/05/21(木) 06:33:05.22ID:JAih3WUH 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
T:Tobu
U:Urban
P:Park
L:Line
TUPL:ちゅーぷる
★「ゲームウォッチ」のCMのメロディで
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪いつでも、ちゅーぷる
♪どこでも、ちゅーぷる
♪だれでも、ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪東武スカイツリーライン
♪東武日光線
♪東武宇都宮線
♪東武アーバンパークライン
♪新しい車両を使ったちゅーぷる
♪旅客運行をしない時は車庫で待機
♪ちゅーぷる
T:Tobu
U:Urban
P:Park
L:Line
TUPL:ちゅーぷる
★「ゲームウォッチ」のCMのメロディで
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪いつでも、ちゅーぷる
♪どこでも、ちゅーぷる
♪だれでも、ちゅーぷる
♪ちゅーぷる
♪東武スカイツリーライン
♪東武日光線
♪東武宇都宮線
♪東武アーバンパークライン
♪新しい車両を使ったちゅーぷる
♪旅客運行をしない時は車庫で待機
♪ちゅーぷる
249不明なデバイスさん
2020/05/21(木) 09:47:54.76ID:SgQdbz+y250不明なデバイスさん
2020/05/21(木) 12:14:09.06ID:JarC2WyW 久しぶりで、神戸の町を歩いた。
此の六月半から七月にかけて、宝塚映画に出演したので、二十日以上も、宝塚の宿に滞在した。
撮影の無い日は、神戸へ、何回か行った。
三の宮から、元町をブラつくのが、
大好きな僕は、新に開けたセンター街を抜けることによって、又、たのしみが殖えた。
センター街は然し、元町に比べれば、ジャカジャカし過ぎる。いささか、さ
びれた元町であるが、僕は元町へ出ると、何だか、ホッとする。>>17
戦争前の、よき元町の、よきプロムナードを思い出す。
戦争前の神戸。よかったなあ。
何から話していいか、困った。
で、先ず、阪急三の宮駅を下りて、弘養館に休んで、ゆっくり始めよう。
三の宮二丁目の、弘養館。それは一体、何年の昔に、ここのビフテキを、>>15
はじめて食べたことであったろうか。子供の頃のことには違いないのだが。
弘養館という店は、神戸が本店で、横浜にも、大阪にも、古くから同名の店があった。
神戸の弘養館は、昔は、三の宮一丁目にあったのだが、今は二丁目。
今回、何年ぶりかで、弘養館へ入って、先ず、その店の構えが、>>1
今どきでなく、三四人宛の別室になっているのが、珍しかった。
昔のまんまの「演出」らしいのだ。
と言っても、その昔は、もう僕の記憶にない程、
遠いことなので、ハッキリは言えない。でも、いきなり、
こんなことで商売になるのかな?
と思う程、全く戦前的演出であった。
四人位のための一室に、連れの二人と僕の三人が席を取って、>>7
さて、「メニュウを」と言ったら、ボーイが、「うちは、メニュウは、ございません」
と、思い出した。此の店は、ビフテキと、ロブスターの二種しか料理は無かったんだ。
昔のまんまだ。やっぱり。弘養館へ来て、メニュウをと言うのは野暮だった。
「ビフテキを貰おう」
スープも附くというから、それも。
先ず、スープが運ばれた。深い容器に入っている、ポタージュだ。
ポタージュ・サンジェルマンと言うか、青豆のスープ。それが、まことに薄い。
ひどく薄いな。そして、無造作に、鶏肉のちぎって投げ込んだようなのが、浮身(此の際、浮かないが)だ。
ポタージュの、たんのうする味には、縁の遠い、ほんの、おまけという感じだ。
此の六月半から七月にかけて、宝塚映画に出演したので、二十日以上も、宝塚の宿に滞在した。
撮影の無い日は、神戸へ、何回か行った。
三の宮から、元町をブラつくのが、
大好きな僕は、新に開けたセンター街を抜けることによって、又、たのしみが殖えた。
センター街は然し、元町に比べれば、ジャカジャカし過ぎる。いささか、さ
びれた元町であるが、僕は元町へ出ると、何だか、ホッとする。>>17
戦争前の、よき元町の、よきプロムナードを思い出す。
戦争前の神戸。よかったなあ。
何から話していいか、困った。
で、先ず、阪急三の宮駅を下りて、弘養館に休んで、ゆっくり始めよう。
三の宮二丁目の、弘養館。それは一体、何年の昔に、ここのビフテキを、>>15
はじめて食べたことであったろうか。子供の頃のことには違いないのだが。
弘養館という店は、神戸が本店で、横浜にも、大阪にも、古くから同名の店があった。
神戸の弘養館は、昔は、三の宮一丁目にあったのだが、今は二丁目。
今回、何年ぶりかで、弘養館へ入って、先ず、その店の構えが、>>1
今どきでなく、三四人宛の別室になっているのが、珍しかった。
昔のまんまの「演出」らしいのだ。
と言っても、その昔は、もう僕の記憶にない程、
遠いことなので、ハッキリは言えない。でも、いきなり、
こんなことで商売になるのかな?
と思う程、全く戦前的演出であった。
四人位のための一室に、連れの二人と僕の三人が席を取って、>>7
さて、「メニュウを」と言ったら、ボーイが、「うちは、メニュウは、ございません」
と、思い出した。此の店は、ビフテキと、ロブスターの二種しか料理は無かったんだ。
昔のまんまだ。やっぱり。弘養館へ来て、メニュウをと言うのは野暮だった。
「ビフテキを貰おう」
スープも附くというから、それも。
先ず、スープが運ばれた。深い容器に入っている、ポタージュだ。
ポタージュ・サンジェルマンと言うか、青豆のスープ。それが、まことに薄い。
ひどく薄いな。そして、無造作に、鶏肉のちぎって投げ込んだようなのが、浮身(此の際、浮かないが)だ。
ポタージュの、たんのうする味には、縁の遠い、ほんの、おまけという感じだ。
251不明なデバイスさん
2020/05/22(金) 00:05:15.74ID:hK8NZLIZ つまりは、此の店、これは、ビフテキの前奏曲として扱っているんだろう。
然し、何んだか昔の味がしたようだ。
ビフテキは、先ず、運ばれた皿が嬉しかった>>14
。藍染附の、大きな皿は、
ルイ王朝時代のものを模した奴で、
これは、戦後の作品ではない。
疎開して置いたものに違いない。この皿は、>>12
昔のまんまだ、少くとも、これだけは。
ビフテキは、如何焼きましょうと言われて、任せると言ったので、>>16
中くらいに焼けている。ここにも昔の味があった。
近頃のビフテキには無いんだ、この味。
悪く言えば、何んだかちいっと、おかったるいという味。>>17
然し、ビフテキってもの、正に昔は、こうだった。
子供の昔に返ったような気持で、ビフテキを食い>>18
、色々綺麗に並んでいる添野菜を食う。
温・冷さまざまの料理が、一々念入りに出来ていたのが嬉しい。
此の藍色の皿で、野菜を食っていて、ふいッと思い出した。
そうだ、僕が、生れてはじめて、アテチョック(アルティショー―食用薊)
ってものを食ったのは、神戸の弘養館だった。
中学生か、もっと幼かりし日かの僕。
アテチョックを出されて、食い方が分らなくて
、弱ったんだっけ。そして、僕を連れて行って呉れた伯父に教わって、こわごわ食った。
その時、伯父は、これはアテチョコというものだと、それも教えて呉れた。
昔のことを思い出しながら、食い終って、僕は、
此の店の主人に会いたいと申し入れた。
昔のはなしが、ききたかったから。
ボーイが、「はい、大将いてはります」と言う。大将と呼ぶことの、
又何と、今どきでないことよ。
大将に会って、きいてみたら、
何と、此の店は、現在の大将の祖父の代から、
やっているのだそうで、七八十年の歴史があると言うのだ。
「へえ、祖父の代には、パンが一銭、ビフテキが五銭でしてん」
然し、何んだか昔の味がしたようだ。
ビフテキは、先ず、運ばれた皿が嬉しかった>>14
。藍染附の、大きな皿は、
ルイ王朝時代のものを模した奴で、
これは、戦後の作品ではない。
疎開して置いたものに違いない。この皿は、>>12
昔のまんまだ、少くとも、これだけは。
ビフテキは、如何焼きましょうと言われて、任せると言ったので、>>16
中くらいに焼けている。ここにも昔の味があった。
近頃のビフテキには無いんだ、この味。
悪く言えば、何んだかちいっと、おかったるいという味。>>17
然し、ビフテキってもの、正に昔は、こうだった。
子供の昔に返ったような気持で、ビフテキを食い>>18
、色々綺麗に並んでいる添野菜を食う。
温・冷さまざまの料理が、一々念入りに出来ていたのが嬉しい。
此の藍色の皿で、野菜を食っていて、ふいッと思い出した。
そうだ、僕が、生れてはじめて、アテチョック(アルティショー―食用薊)
ってものを食ったのは、神戸の弘養館だった。
中学生か、もっと幼かりし日かの僕。
アテチョックを出されて、食い方が分らなくて
、弱ったんだっけ。そして、僕を連れて行って呉れた伯父に教わって、こわごわ食った。
その時、伯父は、これはアテチョコというものだと、それも教えて呉れた。
昔のことを思い出しながら、食い終って、僕は、
此の店の主人に会いたいと申し入れた。
昔のはなしが、ききたかったから。
ボーイが、「はい、大将いてはります」と言う。大将と呼ぶことの、
又何と、今どきでないことよ。
大将に会って、きいてみたら、
何と、此の店は、現在の大将の祖父の代から、
やっているのだそうで、七八十年の歴史があると言うのだ。
「へえ、祖父の代には、パンが一銭、ビフテキが五銭でしてん」
252不明なデバイスさん
2020/05/23(土) 00:59:07.49ID:stSrYwkp そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
253不明なデバイスさん
2020/05/24(日) 23:15:26.97ID:+edyX1aR 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
254不明なデバイスさん
2020/05/25(月) 02:57:32.25ID:3ZW92vKI 此の間、何年か相立ち申し候。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
255不明なデバイスさん
2020/05/26(火) 06:50:59.69ID:2F94Gf0N 此の間、何年か相立ち申し候。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。
メニュウを見ると、昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。>>15
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、>>16
フランスパンの登場だった。終戦後は、アメリカ風の、
真ッ白いパンばっかり食わされていたのが、
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。そして、グリル・チキン>>17
、スパゲティ、ピカタ、アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、キャバレーになっていた。>>12
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、元町へ入る。>>18
此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが、
ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、中華第一楼などで、
支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、今は、
すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。戦争前からの古い店で
、戦争中に、よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
戦後も行って、お得意の海老コロッケなどを食った。
ここは気取らない、大衆的なグリルである。
そうだ、此の露路に、有名な豚肉饅頭の店がある。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。
メニュウを見ると、昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。>>15
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、>>16
フランスパンの登場だった。終戦後は、アメリカ風の、
真ッ白いパンばっかり食わされていたのが、
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。そして、グリル・チキン>>17
、スパゲティ、ピカタ、アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、キャバレーになっていた。>>12
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、元町へ入る。>>18
此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが、
ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、中華第一楼などで、
支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、今は、
すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。戦争前からの古い店で
、戦争中に、よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
戦後も行って、お得意の海老コロッケなどを食った。
ここは気取らない、大衆的なグリルである。
そうだ、此の露路に、有名な豚肉饅頭の店がある。
256不明なデバイスさん
2020/05/27(水) 00:22:11.15ID:8T0mjWkS 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
257不明なデバイスさん
2020/05/28(木) 04:29:56.11ID:K6rxaBAK これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>37
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>39
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、
神戸ハムグリルという大衆的な、>>34
安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。>>35
元町から、三の宮の方へ戻ろう。
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。>>36
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
そこのパンを僕は絶賛するものである。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>37
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>39
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、
神戸ハムグリルという大衆的な、>>34
安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。>>35
元町から、三の宮の方へ戻ろう。
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。>>36
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
そこのパンを僕は絶賛するものである。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
258不明なデバイスさん
2020/05/29(金) 02:02:16.03ID:T3id6e/l センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、元は場所が違った。
もっと海に近い方にあったのだが、戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、と言った位、
古く売り込んだ店である。今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、流石に老舗を誇るだけに、>>18
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。
これも、今の時代では最高と言えるもので、しっとりとした、いい味であった。>>19
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、正道の西洋料理店。>>17
戦時は、大東グリルという名に改めた。大東亜の大東かと思ったら、
主人の名が大東だった。それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。>>11
その直ぐ傍に、平和楼がある。中華料理で、かなり庶民的。
僕は、神戸へ行く度に必ず此処へ行く。
平和楼と言えば、戦前神戸には有名な平和楼があった。>>15
支那料理ではあるがかなり欧風化した、
そして日本人の口に合うような料理を食わせる店だったが、
その平和楼とは、場所も経営者も違う。但し、全然縁が無いことはないので
、此の店の経営者は、昔の平和楼の一番コックだった人である。
が、今度は、欧風又は日本風の料理ではなく、純支那風のものを食わせる。
これでなくちゃあ、ありがたくない。
で、僕が此処で、必ず第一番に註文するのは、
紅焼魚翅だ。ふかのひれのスープ。
これが何よりの好物で、三四人前、ペロペロと食ってしまう。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、元は場所が違った。
もっと海に近い方にあったのだが、戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、と言った位、
古く売り込んだ店である。今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、流石に老舗を誇るだけに、>>18
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。
これも、今の時代では最高と言えるもので、しっとりとした、いい味であった。>>19
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、正道の西洋料理店。>>17
戦時は、大東グリルという名に改めた。大東亜の大東かと思ったら、
主人の名が大東だった。それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。>>11
その直ぐ傍に、平和楼がある。中華料理で、かなり庶民的。
僕は、神戸へ行く度に必ず此処へ行く。
平和楼と言えば、戦前神戸には有名な平和楼があった。>>15
支那料理ではあるがかなり欧風化した、
そして日本人の口に合うような料理を食わせる店だったが、
その平和楼とは、場所も経営者も違う。但し、全然縁が無いことはないので
、此の店の経営者は、昔の平和楼の一番コックだった人である。
が、今度は、欧風又は日本風の料理ではなく、純支那風のものを食わせる。
これでなくちゃあ、ありがたくない。
で、僕が此処で、必ず第一番に註文するのは、
紅焼魚翅だ。ふかのひれのスープ。
これが何よりの好物で、三四人前、ペロペロと食ってしまう。
259不明なデバイスさん
2020/05/30(土) 07:56:09.80ID:bBRjgc0G 東京の支那料理屋では、何うして、こういう風に行かないだろう。
魚翅も随分方々で食ってみるが、こういう、ドロドロッとした、
濃厚なスープには、ぶつからない。
東京で食うのは、魚翅もカタマリのまんまのや、それの澄汁のような、
コンソメのようなの、又は、ポタージュに近くても、濃度も足りないし、色々な、>>195
オマケの如きものが混入していて、つまらない。こればっかりは、
神戸の、本場の中国人が作ったものには敵わないのではないか。
平和楼以前に、僕は、戦後二三年経って、神戸のトアロードの、
かなり下の方にあった、福神楼というので、紅焼魚翅を食った。
それが此の、ドロドロの、僕の最も好むところのものであった。>>143
此の福神楼は、今はもう無い。
平和楼の、ドロドロの、ふかのひれ。これを思うと、
僕は、わざわざ東京からそれだけのためにでも
、神戸へ行きたくなるのである。
その他の料理も皆、純中国流に作られていて、
近頃の東京のように、洋食に近いような味でないのが、嬉しい。
此の店、階下を、流行のギョウザの店に改装し、>>198
これも中々流行っている。
支那料理の話になったら、神戸は本場だ、
もう少し語らなくてはなるまい。
戦前から、戦中にかけて、僕が最も愛用したのは、
元町駅に近い、神仙閣である。これは、
谷崎潤一郎先生に教わって行った。
そして、その美味いこと、安いことは、>>199
実に何とも言いようのないものであった。
現今流行の、ギョウザなどというものも、
此の店では、十何年前から食わしていた。
さて、戦後(一九五四年)、戦災で焼けてから、建ち直った神仙閣へ行った。
入口のドアを開けると、中国人が大きな声で>>197
、「やアッ、ヤーアッ!」というような、掛け声の如き、叫びを叫んだ。
「いらっしゃい」と言う、歓迎の辞であろう。途端に、ああ昔も、
此の通りだったな、と思い出した。
魚翅も随分方々で食ってみるが、こういう、ドロドロッとした、
濃厚なスープには、ぶつからない。
東京で食うのは、魚翅もカタマリのまんまのや、それの澄汁のような、
コンソメのようなの、又は、ポタージュに近くても、濃度も足りないし、色々な、>>195
オマケの如きものが混入していて、つまらない。こればっかりは、
神戸の、本場の中国人が作ったものには敵わないのではないか。
平和楼以前に、僕は、戦後二三年経って、神戸のトアロードの、
かなり下の方にあった、福神楼というので、紅焼魚翅を食った。
それが此の、ドロドロの、僕の最も好むところのものであった。>>143
此の福神楼は、今はもう無い。
平和楼の、ドロドロの、ふかのひれ。これを思うと、
僕は、わざわざ東京からそれだけのためにでも
、神戸へ行きたくなるのである。
その他の料理も皆、純中国流に作られていて、
近頃の東京のように、洋食に近いような味でないのが、嬉しい。
此の店、階下を、流行のギョウザの店に改装し、>>198
これも中々流行っている。
支那料理の話になったら、神戸は本場だ、
もう少し語らなくてはなるまい。
戦前から、戦中にかけて、僕が最も愛用したのは、
元町駅に近い、神仙閣である。これは、
谷崎潤一郎先生に教わって行った。
そして、その美味いこと、安いことは、>>199
実に何とも言いようのないものであった。
現今流行の、ギョウザなどというものも、
此の店では、十何年前から食わしていた。
さて、戦後(一九五四年)、戦災で焼けてから、建ち直った神仙閣へ行った。
入口のドアを開けると、中国人が大きな声で>>197
、「やアッ、ヤーアッ!」というような、掛け声の如き、叫びを叫んだ。
「いらっしゃい」と言う、歓迎の辞であろう。途端に、ああ昔も、
此の通りだったな、と思い出した。
260不明なデバイスさん
2020/05/31(日) 00:31:33.52ID:k+e+sYue 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、
そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。
そして、森田さん、十銭に五つと書いて居られるが、
僕の知っている頃(昭和初期か)は、一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。>>187
昔もそうだったが、そんな風だから、今でも大変な繁盛で、>>188
夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。>>189
饅頭は有名だが、店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。>>181
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。>>182
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、
そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。
そして、森田さん、十銭に五つと書いて居られるが、
僕の知っている頃(昭和初期か)は、一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。>>187
昔もそうだったが、そんな風だから、今でも大変な繁盛で、>>188
夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。>>189
饅頭は有名だが、店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。>>181
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。>>182
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
261不明なデバイスさん
2020/06/01(月) 04:03:05.03ID:yk6walE4 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった
、――あすこはもう南京町というのかしら、>>2/
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、
そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、>>27
それも一つには、十銭に五つという
値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、
僕の知っている頃(昭和初期か)は、>>25
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>24
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、
ずっと、うまいんだから驚く。中身の肉も決して不味くはないが、
皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに
連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。>>26
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、今でも大変な繁盛で、
夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
……神戸元町のちょっと横へはいった
、――あすこはもう南京町というのかしら、>>2/
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、
そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、>>27
それも一つには、十銭に五つという
値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、
僕の知っている頃(昭和初期か)は、>>25
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>24
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、
ずっと、うまいんだから驚く。中身の肉も決して不味くはないが、
皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに
連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。>>26
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、今でも大変な繁盛で、
夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
262不明なデバイスさん
2020/06/02(火) 09:05:52.56ID:0fICQcNp 標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
263不明なデバイスさん
2020/06/03(水) 00:09:17.76ID:MJ0Bh+lC そこのパンを僕は絶賛するものである。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
264不明なデバイスさん
2020/06/04(木) 08:22:17.42ID:s4Srrj8O 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
265不明なデバイスさん
2020/06/06(土) 07:18:00.57ID:dMOwQimg そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
266不明なデバイスさん
2020/06/07(日) 11:24:50.61ID:iPejsuyP 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
267不明なデバイスさん
2020/06/08(月) 03:54:03.25ID:1SrWCdyS 此の間、何年か相立ち申し候。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
268不明なデバイスさん
2020/06/09(火) 08:53:39.03ID:dimpTLW8 此の間、何年か相立ち申し候。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
269不明なデバイスさん
2020/06/10(水) 04:42:33.75ID:OdMwgBNS 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
270不明なデバイスさん
2020/06/11(木) 10:22:35.82ID:wpNh4vHK 標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
271不明なデバイスさん
2020/06/12(金) 00:19:29.32ID:8LQQcWT/ そこのパンを僕は絶賛するものである。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
272不明なデバイスさん
2020/06/13(土) 04:17:56.02ID:WOQKSV7a 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
273不明なデバイスさん
2020/06/15(月) 00:11:35.26ID:/TwX7j9P そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
七八十年の歴史。売り込んだものである。
さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
三の宮バーは、無くなったのかな?
此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
戦争になる前のことだ。
戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
274不明なデバイスさん
2020/06/16(火) 11:23:40.70ID:ZJoBtkWw こっちを使うか
275不明なデバイスさん
2020/06/16(火) 11:28:58.31ID:ZJoBtkWw276不明なデバイスさん
2020/06/17(水) 01:58:12.03ID:YaINySm9 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
やがて閉鎖した。
277不明なデバイスさん
2020/06/18(木) 01:04:30.52ID:GIhl/3lo 此の間、何年か相立ち申し候。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
昭和二十五年の夏だった。
再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、>>77
昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、>>78
昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。
五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。>>75
大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。>>72
終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが
久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。>>71
その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。
そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、
アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
それが、それから数年経って行ってみたら、
キャバレーになっていた。
でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、
在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
今日も、ちらりと、その方を見ながら、
元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが
、ここには別段食いものの思い出は無い。
食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、
中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、
昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
こっちから入ると、左側の三ツ輪は、
今は、すき焼は、やっていない。
牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。
戦争前からの古い店で、戦争中に、
よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
278不明なデバイスさん
2020/06/19(金) 07:52:38.81ID:7K4Y+sih 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、
それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
そのような安さにも関わらず、
実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、>>27
ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが>>28
、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は>>26
、二十円で三個である。
ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、
声を大にして叫びたい位だ。
昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、>>25
これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、
店の名というものが、知られていない。
知られていないのが当然。店に名が無いのである。
今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って>>24
、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。
店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を
、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
279不明なデバイスさん
2020/06/20(土) 09:54:47.62ID:k5/vRnPr ここは生きてるのか?
280不明なデバイスさん
2020/06/20(土) 17:17:27.03ID:EK/ICfiq 標札に、「曹秋英」と書いてあった。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、
神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
露路を出て、元町ブラをする。
これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。
大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。
暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、>>31
ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、
ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。>>30
それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。
アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な>>34
、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。>>33
戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。
今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
元町から、三の宮の方へ戻ろう。>>35
ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、
そしてその向うの、海の方も気にしながら――
というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。
M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、
本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。
昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、
トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、
昔の元町のような勢を示している。
ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、
僕は、此処については、まだ詳しくない。
知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。
281不明なデバイスさん
2020/06/21(日) 00:22:43.77ID:4cL/HxwM そこのパンを僕は絶賛するものである。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、
日本中で一番うまいものではあるまいか。
僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
センター街から、三の宮附近へ戻る。
生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。
歴史も古き、ユーハイムである。無論、
元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、>>14
戦後、此方へ店を出した。
神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、
と言った位、古く売り込んだ店である。
今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。>>12
モカ系のコーヒーで、丁寧に淹れてあって、
これは中々東京には無い味だった。
関西では兎角、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、>>15
此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、
流石に老舗を誇るだけに、
良心的で、いいものばかりだった。
ミートパイがあったので試みた。これも、
今の時代では最高と言えるもので、
しっとりとした、いい味であった。
ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。>>13
これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、>>11
一寸違うが、すぐ近くで開店。
又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、
正道の西洋料理店。戦時は、
大東グリルという名に改めた。
大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。
それも、昔のハイウェイを名乗って再開。
やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、
柾目の通ったものを食わせる。
最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ニュース
- 【ネット民のツッコミ】立憲・野田代表の「事実上の撤回」発言がトレンド、「高市さんそんな事は言ってない」「流石に無理あるだろw」 [1ゲットロボ★]
- 【金沢地裁】「風俗嬢に着せようと」南砺の高校で女子バレー部のユニホームを窃盗した男が説明 検察側、拘禁刑4年を求刑 [nita★]
- 【国際法を無視】日本での「中華人民共和国に台湾問題を論じる資格なし」との声に 中国外交部が厳しく反論… ★2 [BFU★]
- 【文春】元TOKIO・国分太一(51)「女性スタッフ2名への“わいせつ事案”」日テレ事情聴取の全貌が分かった! ★5 [Ailuropoda melanoleuca★]
- 【工作員】「X」のアカウント所在地公開機能が暴いた世論操作の実態 MAGA支持著名アカウントの多くが米国外から運営 日本にも波及 ★3 [ごまカンパチ★]
- 首相答弁「スパイ防止法、外国代理人登録法、ロビー活動公開法などについて速やかに法案を策定する」 [1ゲットロボ★]
- (*´ω`*)が(´・ω・`)に捕まるやつ
- 終焉を待ち望む遊戯王やってる奴スレ
- 【高市悲報】中国「ふにゃふにゃ言いながら、時が自然に解決するのを期待する—そんなジャップ流は決して通用しない」 [115996789]
- 【悲報】ゼレンスキー大統領、和平案に大筋合意 ホンコンみたいなウヨ芸人を大統領にするとこうなる [455031798]
- 【画像】金曜ロードショー 時をかける少女 脚本 奥寺佐渡子「国宝」
- 「名状しがたい」→これどんなときに使えばいいんだよ… [793117252]
