>>398
言葉は道具にしては不完全なところがある。

オレと蜂子が話してて、その文脈でしか意味がわからないところに
どこかからやってきたひとが批判を展開する。
よくあることだけど、これはいわゆる「誤読」であり「誤配」だ。
伝えたい人とは別の人に、伝えたいことが届き、しかも異なった文脈で理解されている。

twitterなどしてると、3年ばかり前に書いたtweetが、急に誰かに発掘され
いきなりバズったりすることがある。
これはリアルタイムには届かず、ずいぶん遅れてひとに届くってことだから
「遅配」ってやつになる。
そんなに遅れて届いてしまうと、社会も変わってしまってるわけだから、
「誤読」や「誤配」の可能性も飛躍的に高まってしまう。

こういう誤読や誤配、遅配が当たり前な不完全な道具が「言葉」さw
鍬は振り上げ降り下ろせばほぼ100%確実に土を耕すことができる道具だけど、
言葉ははるかに確実性が低い。思ったような効果があげられない。
しかし、それ以外に自分の考えや気持ちを他人に伝える術がないので、
人間はそれに依存して生きている。

この不自由さのなかに、言葉を支えるように愛ってものはあって、
いつもどこかで作用してるはずだ。
ってのを思ったりするがねえw