それは「絶望が理解できない」事である
「せるげいが実はスレイ」も「ばるばとすが実はカイル」もここを意図した設定なのだ
「モノクマ学園長」もここを意図した設定なのだと言う事なのだ
ここに絶望の正体の手がかりがあるのだ
言い換えれば「裏設定がわかる方にはお気をつけ下さい」を唱える人も
「この人には気をつけてください」を唱える人も
「絶望が理解できない」事がわかるのだ
言い換えれば「絶滅を理解できない奴だけが現実の正体に気付ける」と言う事にもなる
「ばるばとすが実はカイル」も「せるげいが実はスレイ」もここを意図した設定
言い換えれば「皆本当は最悪の結果の誘い手の事を煙たがっている」に気づいた事を
意味する設定でもある
それを「認める」を意味する読み方だから
「ばるばとすが実はカイルだからばるばとすを主人公扱いする」と言った類の読み方や
「モノクマ学園長の事を主人公扱いする」と言った類の読み方を「するな」と言う教育を受けている事がわかるのだ
言い換えればここに絶望の正体が何なのかの特定材料があるのだ
ポイントは「受けと受け」で成り立っているのが世の中だと言う事と
「世界は善によって支配されている」と言う事である
これは「関係の崩壊」を連想し「自壊」を体感した事が絶望の正体なのだ
何故なら「普通の奴の関係」とは「同一人物の自作自演当然の関係」であり
「普通の奴」にとっての「関係の崩壊」は「世界が滅ぶ」を連想する代物
つまり絶望の正体は「世界滅亡のシグナル」の事をさしているのだ
言い換えれば「最悪の結果の誘い手は絶望しない」事も判明するのだ
何故なら「最悪の結果の誘い手」にとっての
「普通の奴の関係」は「異質」な関係であり
絶望する必要がないからである
では何故「本性は善」である「スレイ」なり「カイル」なり
「モノクマ学園長」なりと言った類の存在は絶望しないのか?
「こう言うの本当は存在しない筈だった、だが最悪の結果の誘い手がいるせいで最悪の結果の誘い手にとっての絶望がどう言うものか理解できるない奴が必要となったため生まれたしまった存在」こそ
「スレイ」なり「カイル」なり「モノクマ学園長」なりと言った類の存在なのだ
つまり「モノクマ学園長」が存在する時点で
「ダンガンロンパの主人公は舞園さやか」だと言う事が「確定」されてしまったのだ
「カイル」が存在する時点で
「テイルズオブデスティニー2の主人公はマリアン」だと言う事が「確定」されてしまった
つまり「スレイ」が存在する時点で
「テイルズオブゼスティリアの主人公は私」だと言う事が「確定」されたと言う話