なんかいろいろ話が飛んでて、それぞれに面白いと思うんだが、
まあ、きわめて常識的な話をすれば、

蜂蜜さんの言ってるような自己責任論と、
社会が性差について権利的経済的平等を目標として持つことは、
なんら矛盾しないということです。

人間には、トライする自由もあるしトライしない自由もある。
成功する自由もあるし失敗する自由もある。
問題は、失敗したとき、立ち行かなくなったときの損失やペナルティをなるべく軽減したほうがよいってことです。

性風俗産業に従事してる女性や男性がいる。
彼らは平均的な社畜とは逆に、若い頃には稼げ加齢に伴って稼げなくなる。
稼げなくなってきたとき、どう暮らしていくか。
再就職するのか、起業をするのか。
それをどうやって支援するのか。
メンタルの健康を損なってしまうひとがいるとしたら、そんなひとたちにどう支援すべきか。
そこが制度的に設計され、社会に実装されてたらそれはそれでいいのです。

しょせん、人間には、同じことで傷つくひともいればそうでないひともいる。
いま傷ついているか気づいてないけど、半世紀後にその傷の深さに気づいてのたうち回るひともいる。
たしかにそれは自己責任と言えることかもしれないが、なるべく避けた方がいいのは確かだ。
社会がそういうひとの本然的あり方に配慮を示せればいいが、
おそらくそういう世界は今後数百年はこないだろう。

つまりしかたがない。
パッチ処理みたいにその場その場で対応するしかないことでしょうな。
それまで、あーだこーだと今日みたいな会話を人間は繰り返し続けることになるだろうと思います。