なんていうのか、
お母さんの話を読んでいても思ったんだけど、DMの部屋で旅行の話をしたじゃないですか
旅行であちこち行けるのはいい、みたいな

旅行、つまり自分の居場所をいままでとは全然違う場所に(ひとときであっても)変えること、
知らない景色や言語、文化の中に自分を放り込むこと
この普段とは違った経験のなかで、自分の心が変わる経験が、まあ旅の醍醐味だろうと思います

カリフォルニアの話を書いたけど、
あの巨大なスプリンクラーがぐるんぐるん回ってる景色、
樹齢が1000年超えてるようなメタセコイアが並んでる森、
ロッキーを超えると急に緑がなくなっていって、からっからに乾いた砂漠が広がる西部の風景、
砂漠からの帰り道によったパーラーの、超でかくて大味のパフェ、
ああいうのを体感すると、少し自分の人生が変わる

でも、そういう「人生の変わり」は物理的に遠いところに行くことで得られるというものでもなくて、
それこそ、映画を観たり、ライブに行ったり、商売したり、結婚したり、子を産んだり、離婚したりしても
得られるものではある
居場所を変えること、環境・社会・世界とのつながり方を変えることで、
どうしても自分は変わらざるを得なくなったりもする
そして、自分が変わっていく自覚があると、変わらないものもあることに気がつく

お母さんも、そういう経験がゼロではなかったんじゃなかろうかな
雑貨屋さんを通して、お客さんや取引先とのつながりが出来たことは
彼女の自信につながったのでしょう(それがどこまで通用する自信であるかは別として)

籠の中の女王様であったかもしれないけれど、
お母さん的には、たぶんじゅうぶんに変わっていったんじゃないでしょうかなあ
蜂子やオレには、もしかするとわかりにくい「変わり方」だったかもしれないけれども
もしかしたら、お母さん自身はある程度満足できるような変わり方はできたのかもしれない