しかしこれは、かならず明示的に持たないといけないというものではなくて、生活の中で自然と社会的な時間が持てている場合は追加で持つことは不要と思います。
通学している、通勤している、サークル活動に参加している、等々。
子育ての場合だと、子供と一緒に活動する時間を設けている場合は、そこで社会的な時間が持てます。
しかし、生活の中で社会的な時間がない人は、どこかで持つ必要があると思います。
(必須栄養素のような感じ。十分摂取できている場合は追加での摂取は全く不要だけれど、欠乏している場合には摂取が必要。)
生活の中で、どの程度社会的な時間が持てているかが個人により異なるので、社会的な時間をどれだけ求めるかも個人により異なると思います。

私の場合は、生活の中で社会的な時間を全く持てていないので、必要度が高いという感じです。

さきほど栄養の話にたとえましたが、必須栄養素は必要量とれていればあとはどれだけとってもほとんどプラスになりません。
むしろ、満腹になってほかの栄養素がとれないならマイナスにさえなり得ます。
社会的な時間も同じで、社会的な時間だけしか持たずに他の行動ができないなら、有意義ではありません。
社会的な時間が過剰なので減らしたい場合に該当します。

栄養にたとえたついでに。
食べ物には、栄養の観点で、質の比較的高い食べ物と低い食べ物があると思います。
社会的な時間にも同様のことが言えて、質の低い時間を大量に持つよりも、質の高い時間を短時間の方がよい場合というのがあると思います。
しかし、食事には社会的な側面もあり、ときには栄養が最善でなくても、心が満たされる食べ物でもよいと思います。
最善だけを追求するのも味気ないですからね。

最初に、社会的な時間は4領域に分類できないと書きましたが、これは、社会的な時間の価値というのは(絶対的ではなく)相対的に決まるからでもあります。
勉強や読書などは、やればやるほどよいと考えられますが、睡眠や社会的な時間は、一定量までは必要ですが、一定量を超えると効果がなくなったりマイナスになったりします。