戦前の鉄道省(国鉄)は、利益を積み上げては弾丸列車計画の土地を買い漁っていて
下関まで殆どの区間で用地買収を終えていた。

しかし強制収容に近い召し上げだったため、戦後旧地主から返還を求める訴訟を起こされ
東海道区間は何とか死守したものの、山陽区間の用地は一旦手放さざるを得なかった。

「国家事業に抵抗する者は非国民」という時代の用地買収ゆえ旧地主の遺恨は根深く、
山陽新幹線建設に際しては、返還した土地を再購入することはできず、
長大トンネルを多用して原計画とは違うルートを取らざるを得なかった。