国鉄103系を語るスレpart20
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1970年代と80年代前半迄はあらゆる場所で喫煙可能だったから。
駅構内の線路上にはポイ捨て吸い殻で埋め尽くされてた。 駅に限ると地下鉄が一番先かな
イギリスの地下鉄で大きな火災があって
タバコが原因ではなかったが防火強化という事で禁煙になった >>58
使用禁止だがサロンカーなにわの座席に未だに灰皿付いてる >>50
実はサハ103-759〜761の改造種車のサハ101は昭和44年製造でクハ103-140やサハ103-272あたりと同じ時期に製造されている
低運新製冷房車とは3〜4年くらいしか製造時期が変わらない 1973年あたりは中央線101系は初期車が多く老朽化が始まっている車両も出てきて10年くらいを目処に取り替える構想だった。
その時に101系の後期車は南武線とかに転属させる予定でいた。しかし南武線は6両編成の為どうしても中間サハが余ってしまう
かといってその時点(1980年前後)でサハ101の末期車は製造後10年ちょっとで廃車にはできなかったので冷房改造して103系化した
101系はクモハやモハが床下機器や重量の感激で冷房改造が難しかったがサハはそれほど問題なかったのと国鉄が財政難で新製車を増やせなかったのもサハ103-750番台ができた要因 >>48
西は207を
JR東西線に関わる系統と
自動運転構想があった大阪環状線の他は
投入する具体の検討をしておらず
というか
北陸新幹線の規格を巡り二転三転したため
在来線車両更新計画に影響し
特に通勤形は片福連絡線開業準備用を除き
103置き換え完遂の長期の目処が立たず
103新製冷房車グループは
延命N40工事を開始していたが
最大車齢60年も視野に入れざるをえず
そこで企画されたのが
VVVF化などを伴う体質改善工事試作車 103系にはどんな形の灰皿が取り付けられてたの?
ロングシートだと灰皿付けるの難しくない? >>67
103系の灰皿は見たことないけど、211系ロングシート車の灰皿は見たことある。
ドアの横、ドア開閉ボタンの下辺りだったかな?記憶が定かではないが。 ロングシートで灰皿はキハ35にもあった
73系だったかロングシートの通路の真ん中に灰皿置いてる写真をガキの頃本で見たことがある 子供の頃満員電車で座ってたら上から灰落とされた思い出あるわ しかし大阪市内は酉まで私鉄各社のボロと全く同じレベル(車齢40年以上の非回生抵抗車)の車両を2010年代半ばまで残していたのはどうかしてたと思う
大阪私鉄各社は事情があるから仕方ないにしても ツッこまれて
大阪市内という注釈を追加したのか
それにしても
5chに出入りしている垢の癖して
しかも同じコトを双方で書き込む割に
宣伝されて騒ぐとは
それも狙いか 大阪環状線の103系は民営化後しばらく後に8コテを半分に分けた上でシャッフルしたよね
量産低運冷房車編成の多くで前後クハの車番が1番違いでなくなったのがシャッフルした編成
モリ生え抜きの片側高運編成も1本が編成シャッフルされていてその結果反対側クハがクハ103-1になってたね
体質改善試作編成も前後クハの車番が合ってなかったし
あの編成シャッフルは何の目的でやったのか? >>75
勝手に転載するアホが悪い
掲示板カキコすら著作権が認められてるのに
垢の持ち主が文句言う資格は大有り
それすら理解できないか?ササクッテロ >>50
というか、新製投入時に
> 10両編成になると編成全車がユニット窓車で統一された編成
の先頭車だったのが、
今は>>55の編成にいるクハなんだが 総武線に新製投入された編成が10両ユニット窓じゃなかったかな お前が犯人じゃないのなら
反応する必要ないのでは? 犯人なんて次元の話か?
eo太の言ってることをそのまま呟きだした、アホな垢がeo太にからかわれてるだけの構図だしな。 ま、どうでもいいことだが
これらの一連の反応でオマイサンの駄目な所がみえたから良しとしようw >>86
まんまそうだが
そういうあんたも似たような者だろ
というお話
わざわざ、ツイッターアドレスさらして言う必要まるでないし、相手を批判するほど神なのかという突っ込みもあるが
ササクッテロは本当、敵作るの旨いわw >>88
おいおい、似たようなものって勝手に巻き込むなよ。
コッチは面白いからいっちょ噛みしてるだけで、このアホな垢に関しては転載とか著作権とか訳のわからん理屈をこねるより、どう見てもからかうeo太に分があるってことだよ。リンク貼られて何か実害があるか?
相手批判するからって、自分が神って思ってる訳でもないだろ。何も考えてないの丸出し。 >>81
非ATCクハ先頭の新製配置編成がそうだったね>総武線
あと中央快速の非ATCクハ先頭も何本か10連全車が新車という編成があったような?
中央快速ではATCクハ編成で1979年製の中間車両と組変わったことにより後天的に全車ユニット窓になった編成も居たはず 北陸鉄道7000系の制御器CS20Aは
山手線に新製投入されたモハ103-1〜73までが装備していた世代でJR東日本からの購入
これがMT54相当品を駆動している
当時の譲渡機器は今も現役だろうか
原典に触れたことがないので判らない、いや、過去雑誌の特集号があってももはや破棄して手元で読めないが
itreni.comではページによりCS20Cはモハ103-62以降、
またはモハ103-74以降(=京浜東北線投入分から、クモハ103は全車)と、
同一サイト内で記述に食い違いがあるが、正解は?
サフィックスBは301系 換装しているのは車内放送設備(8トラテープ→デジタル音源)くらいだし、走り関係は導入当初から変わりないと思う。
つか北陸鉄道にそんな劇的な改築やれる技量はもうない。 >>73 >>75
西の113が当面残留?
本線系統は221・223・225だし、
大和路は221だし、
阪和は223・225だし、
どこに残っているのか思いつかない。 岡山とかにも居た気が、末期色の先頭車化改造された123系顔の113が
下関は115だっけ? >>100
あれは一本しかないから227系投入後はどうなるかな。 >>102
山手、京浜のATC化のためATC高運車を両線に入れて低運初期車を関西中心に他線に玉突きさせたため。103系を語る上で基本中の基本。 >>104
西にいた高運クハは、尼事故のあとケヨだったかから来た中古を除けば
全部関西に新製投入された個体(非ATCバージョン)だったんじゃ? ありがとう103系さよなら運転はどこで行われますか 高運だからといってATC対応とは限らないんだよね
なんで番台分けなかったんだろ >>105
そうだよ
東から西へ転属(国鉄時代)/譲渡(民営化後)された「高運非ATCクハ」は、
存在しない/クハ821、828
で、ついでに言うと逆に西から東の移動は、国鉄時代も含めて全く事例がない
821、828は東に継承された中での非ATC高運クハのラストナンバーで譲渡当時既に25年落ちの未更新車、
東が持っていたクハでは2番目に新しかったが(継承した中で最後に新製されていたクハは
ATC改造された811、818)、まぁボロだわな
クハ821、828と製造日が同じなのはモハ102ユニットが2017〜2019※1、サハが501※2
一週間程度違いでサハ762が改造落成している
※1未更新、末期はクハとは別編成を組んでいた
南武線に転属して廃車
※2製造日は西の502、503よりも後で、後年に同一編成にいた500とは製造日が異なる
未更新のまま、より古い更新済サハに置き換えられて総武中央で廃車
東から売られて一緒に西に来たモハと同じ製造会社・製造日のクハはATC高運の751・764で、
モハが津田沼に対してクハは品川に投入されており、関西同様に中古クハで総武に投入されている
当時の編成表を持ってないから正しく知らないが、転属日からして総武ではクハ138、139あたりと編成を組んだのではないかな >>108
JRR国鉄電車編成表80年版だと、
Tc751と764の中間はMM'35T35MM'26T36MM'36になっている。
M'2000番台が出たという速報が載っていて、Tcは814までになっている。
本の収納場所をあさればもう少し新しいのがあるだろうから、
時間があれば探してみる(しばらくはあかんかもしれん、すまぬ)。
ちなみにTc138・139はこの時点で松戸、冷改済み。 >>106
二つ前のスレタイより
【◎筑肥○和田岬▲加古川×播但】←予想順
要はなにも決まっていない。 >>111
大鉄天鉄への
線区単位で103新造投入実績は
阪和線
東海道山陽緩行線
大阪環状線
片町線
福知山線
非ATC高運Tcは東海道山陽緩行線を除き
上記の線区向け全てに新造配置されたかと
関西線は転入車のみ >>111
しかも片町線への投入は関東含めて高運非ATCクハそのものの初配置だった
それと投入名目と実際の配属が一致してる珍しい例のひとつだったかと
>>113
このうち大阪環状線は片側のクハだけ新製配置だったよな 499の次は701だもんな
何処かで帳尻が合わなくなる 2000番台に低音のMT55
初期車に高音のMT55A載せたり
今思えば、結構いい加減だったんだなw クハ103は順番通りに製造してなかったな
奇数番号が奇数向き専用で偶数番号が偶数向き専用(後年逆向きに改造したのがある)で番号と製造の順番が見事にバラバラでしかもクハ103-845・847・849が存在しない
非冷房車は500番台を除いて両方の向きで使えたが冷房車は冷房回路だけ片渡りにしてて方向転換を考慮してない設計だった
183系や381系は冷房回路も両渡りになってる >>117
工場の入場期間短くするために部品は循環させてるだけで決していい加減な訳ではない。ヲタは台車とかモーターとかの形式名のサフィックスとかやたら気にするけど、普通は同一形式なら汎用性あるから製造時とは無関係に組み込まれる。 >>108
モハのユニットだと、西から東への転属はあったんだけどね。
福知山線用のモハ102-2033のユニットが赤羽線10両化の絡みで池袋区に移ったし。
(同時期に2044〜2048が新製で赤羽線用に。増やした両数だけ見れば過剰だが、お陰で赤羽線の冷房化率は上がった。) クハのずれた番号で、461-726、463-728というセットもあった。
モハも143-269、144-268と言う不思議な組み合わせがあった。 >>120
彼らは更新も受けずに早死にしたな。
関西居残り組は昨年まで阪和線などで運用があったが。 >>73
>>72は4ドアの通勤車の事を言った
だから近郊車とは関係ない
話は変わるけど
酉が買った103は福知山線脱線事故で207-0が4両、207-1000が3両の計7両が事故廃車になった代替で急遽導入されたものだったらしい
この大事故が無ければそのまま大宮で解体される予定だった
束201も酉譲渡など一切せずに全て長野で解体だったから
しかしなぜ207-0・1000事故廃車代替が103だったのか?813-300みたく207-3000ではだめだったのか?
まさか、当時の酉が国鉄型の方が好まれていたとか?
事故廃車代替と言えば京急1000が30両ほど阪神譲渡する計画が有ったらしいけど
何らかの事情でこちらは中止となり急遽9000が作られ、5500製造も繰り上げになったとも 103系さよなら運転で「ありがとう1111111」って叫びに行きたい >>18
モハ103-910番台はサハ103-800番台に改造の上松戸へ
モハ102−910番台は911が浦和へ、912はサハ103-804に改造の上松戸へ、913は豊田へ
どれも移動先で廃車になってるから埼京線は関係ないね >>120
この転属は福知山線4連化で余剰ユニット(モハ102の奇数車番入り有効)の転用だったよね
実際に関東に行ったのは件のモハ102-2033と2035のユニットで残りは片町線転用だったな
裏では国鉄本社と大鉄局の駆け引きがあって本来この余剰ユニットは全て関東に転用させる積もりだったのが大鉄局が折角の新車を手離したくないということで実際には関東転用は上記ユニットのみで他は片町線から在来のユニットを転用した
モハ102車番では582,588,589のユニットが関東に行った
やりようによっては片町線に居た非冷房や冷房改造車ユニットを押し付けれたかも >>121
末期のトタとかもっと凄かった
クハで767-288、755-374、803-470というセット
803-470は非ATC高運未更新とATC高運更新クハのセットだった
あとケヨにクモハ+高運クハのセットもあったな >>128
>>121で上げたのは、新製時から461-726、463-728だったのが不思議だって事。
462と464が先に製造されたから欠番だったんだろうけど。
転属の結果相手が変わった例なんて、ぶっちゃけいくらでもある。
常磐線では747-636なんて、どうしてこうなった!って言いたい組み合わせもあった。 適当に、その場にあった車両をつなげちゃったか、
踏切事故でダメージ受けたクハを差し替えて、そのままとか?
奇数クハと500番代クハの組み合わせも、おや?と思ったっけな。
機能的には問題ないのだろうけど、その500番代と組み合わせて
いたであろうクモハはどこ行った?とおもったっけ。
クハ500番代とクモハって同数製造されたんだよな。
まあ、クモハとクハ0番代の偶数で組んでいた編成もあったから、
数自体は合ってたのかな? 昔台車検査とかいうのあったがやめたな
検査で台車を取り外して検査済みの台車に取り換えるの
取りやめになって余った電動台車で3000番台を作った >>131
国鉄時代は予備車は編成組まずバラで配置して工場入場などの際に都度編成替えしてたりしてたから、必ずしも製造時の組み合わせになって無かった。工場入場も編成ではなくユニット単位でクモヤ連結が当たり前だったし。 >>131
クハの試作車も最後は全部偶数向きでクモハと編成組んでたな クハ103-13〜60くらいまでは比較的新製時のペアのままの車両が多かった感じ
イレギュラーで印象的なのは同じラシ所属なのに違う編成に入ってた47と48や国鉄末期に西日本に53を持ってかれたトタの53、54のペアかな >>133
国鉄時代というか201系から編成替えがかなり少なくなった
転属もユニット単位ではなく編成単位が基本となった >>136
編成内の両数増やしたり、ATC化したり、冷房車組み込んだりして、検査周期がバラバラになったからでしょ?
10両編成で新製して中央線のまま転属せずに廃車。京葉線に転属しても10両編成ままで廃車。それなら検査周期はバラバラにならない。 大阪環状線の低運量産冷房車クハなんかも民営化後新製時からのペアをばらしたのが多かった
例えば試作体質改善編成のクハは確か245と254が組んでたし他には243-262、261-244などがあった
他にも大阪環状線に2編成あった片側高運編成でTc806は元々はTc72と組んでいたがご存知の通りTc1と組み直した
これらは元々の状態ではサハ以外とか片側のボロクハ以外同じ製造時のクハとモハの組み合わせだったのをわざわざ真ん中で分割して他編成とシャッフルした結果こうなった
そのくせ両方がボロクハで中間6両が1976年頃製造の新製冷房車で組まれた編成はシャッフルしなかったのが不思議 101系がもっと凄くてMM'ユニットの相方変更を伴う編成替えもしょっちゅうやってて試作車と量産車の変態ユニットもあった
103系だと相方変更はモハ102-169が事故廃車になってモハ102-445に差し替えたのとモハ103-910番台の電装解除絡みしかない
JR化以降は113系800番台でユニット相方変更の組み換えしたことがある >>139
昔、武蔵小金井に住んでたけど武蔵小金井電車区の西端に1両だけとか妻面がたくさん並んでいたのを思い出した 中学生くらいの時、特急とかには全く興味なく電車区の通勤電車の入れ替えが好きだったな
1980年〜85年あたりで首都圏でその点で面白かったのは
中原、豊田、武蔵小金井、津田沼、浦和だな
山手線は貫通編成しかなくて一番つまらなかった >>141
山手線は確かに貫通編成だけだったけどそれでも先頭クハは兎も角中間は非冷房ポンコツもあれば新製冷房車もありということから10連全部ユニット窓やそれと対照的に中間全部非冷房ポンコツと色々あったよね
見た感じ池袋の編成は全部ユニット窓とか両端3両ずつがユニット窓というイメージ、品川は1979年まで新製冷房車の中間車は居なかったのでポンコツ中心だったな
てか品川電車区って冷遇されてね? >>139
169-445ペアのことを知らなかったときに、クモハは155両製造なのに、
なぜ、モハ103と102の番号のズレは156なんだ?って思ってた。
このユニットを武蔵野線で見かけたときに、あれ?と思ったっけ。
今思えば、豊田電車区には、変なのばかり集められてたな。 >>143
豊田以外にも101系が配置されていた所には変なのが多かった 中間車と先頭車で連結してラッチ締め切りだけじゃなくロープも巻いてあったりした >>123追加
酉は福知山線脱線事故で計画が狂っていたから、323導入までの繋ぎで束201を買っても良かったと思うのだが >>146
201系とかはふっかけられたとか?
国鉄だったら、どうったのかなあ?
黄色い103系が未だに走っていたのかも。
で、事故車の補充は、やはりボロの103系を関東から…。 >>147
国鉄時代だったら201関東車は関西へ転用されてたかも
103ATC車・205関東車もね >>145
そういう編成ってほぼ必ず中間車側は幌がなかった側だったのは理由あったのかな 国鉄時代に103系ATC高運転台オレンジ4連で青梅線・五日市線を走った編成はありましたでしょうか? >>146
尼崎事故の影響はタイミングだけの問題で
中長期の車両計画にて
モリの国鉄形全廃は見通し変わらず
>>147
国鉄で201の認識は
特性上から線区と運用の制約が大きく
東京圏と大阪圏ともに適用が限定され
広域転用に馴染まず
205も両大都市圏で相応に増備され
次世代形式導入後に広域転用があるなら
広島など地方の中核都市圏 >>146
201系の置き換えが始まったのは2006年冬からだった記憶がある
2005年の春に起きた事故なのにどこから201系を持って来るんだ?って話になる >>152
>>146は少し説明不足だった
福知山線事故の影響でC電用201・205-0を転用しても103非体質改善が置き換えきれなかったこと
福知山線事故が無ければこの分は新製321-1000になったかもしれない >>127
お陰様で常磐快速に4色混合10両が走った。 >>114
京浜東北線蒲田以南でのATC使用開始に備えて、蒲田の横浜線用H編成から変則4+3と低運クハ、クモハを無くすために環状線は偶数向き先頭車だけ非ATC高運クハ、奇数向きは低運初期型クハとなった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています