>>488
ストローマン君はしきりに大日本帝国が和平交渉の努力をしていたかのように力説しているが
「この条件で戦争を終わりにしてやる」という連合国側からの提案を蹴っていたのは他ならぬ大日本帝国だ
連合国側からの和平案を蹴り、広島への原爆投下の後も、その和平案を受け入れる姿勢を示さなかったのだ

そこらへんのことを認識した上で言っているのか


和平交渉の努力とは、交渉するべき相手と真摯な姿勢で根気よく話し合いを続けることであろう
だが、7月27日にポツダム宣言という和平案が提示された時においても、7月29日において当時の首相は
「政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」という姿勢を示し、
広島への原爆投下後にも、「やっぱり受諾も視野に入れて考えるから、ちょっと待ってくれ」とは言わなかった

               「断固戦争完遂に邁進する」 である

ポツダム宣言受諾の用意があるという旨を連合国に打診したのはソ連参戦および長崎への原爆投下の後である

では、広島から長崎までの3日間における「大日本帝国の和平交渉」とは、いったい何を指すのか
この間、大日本帝国は和平のためにいったい何をしていたのか、ストローマン君にぜひ、聞いてみたいところである

具体的にな