パエッタはトリューニヒト派閥だったはずだが、
要塞対要塞の援軍に行くときに、
「今度はヤンを自分が助けたい」と公言したせいで、
「パエッタはヤンと仲がいいから、反トリューニヒト派だ」と思われて、
両方の派閥からはじかれて、その後の出世が遅れたんでは