筒井康隆総合スレッド part31
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前スレ
筒井康隆総合スレッド part30
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1494554413/ むかしの深夜テレビ番組観てた古い人間にとっては
今のテレビは規制と自粛で両手を縛られてるようにしか見えんよ。昭和天皇崩御のときよりもおとなしくなってる。 黒人の扮装をするなというのは例のてんかん協会の抗議より酷いと思う
差別を助長する?
「一人だけ別の扮装をさせられる浜田雅功が面白いのであり黒人を嘲笑しているのではない」の一言で済むだろ
もし日テレが独断で謝罪してたらダウンタウンはキレて出演拒否しただろうか
そして世間はそれをどう評価しただろうか 別の扮装してるから面白いってだけならブラックフェイスの必要性ないだろ
ブラックフェイス≒黒人差別という歴史的文脈があるんだし、松本も「黒人がいてワロタw」って言ってるんだし 日本だとなんだろーと考えて
黒澤映画の夢で日本兵編観た後に
顔の青塗りして笑われたら
ゲンコツして廊下に立たせたいもんな >>77
黒塗りで差別してた歴史はアメリカのもの
松本の発言を根拠にするのは揚げ足取り。マリーアントワネットの格好だったら「お姫様おるでw」だったろう
そして、黒人じゃなくてもいいならてんかんじゃなくてもいいともなるわけだ
その人たちに配慮して削除し謝罪しましょう、と
これが表現狩りとなる >>79
>黒塗りで差別してた歴史はアメリカのもの
関係ない
当時のアメリカでは公演の舞台に上がれるのは白人だけだったんだから、
「白人がやってたから」問題なんじゃなくて「黒人風刺としてブラックフェイスされてたから」問題なのよ
>松本の発言を根拠にするのは揚げ足取り。マリーアントワネットの格好だったら「お姫様おるでw」だったろう
やっぱり「黒人」という属性自体の存在を笑ってるってことじゃん
アメリカンポリスなら黒人警官がいるのは尚更普通のことなんだが、
どうして「あの場にいたら笑える存在」として「黒人」と「お姫様」を同列視してんの?
>そして、黒人じゃなくてもいいならてんかんじゃなくてもいいともなるわけだ
その人たちに配慮して削除し謝罪しましょう、と
意味分からん
お前が「一人だけ別の扮装をしてるというだけのネタ」とか言ってたから、
だったらその「別の扮装」の対象として黒人を選んだことに意味が生じるよね、という話をしてる
アメリカで黒人警官1人と白人警官4人が街中を巡回してたら「一人だけ黒人w」って笑いが起こるのか? っていうか、筒井はてんかん協会自体というよりも
作者に無断で自主規制に走る出版社とかに反発してたんじゃなかったっけ >>80
だから主眼は浜田にあるんだって。一人だけ違う扮装させられて「何で?」って顔してる所に笑いがある
エディマーフィーにしたのはお題に沿ってるし、肌の色と服装で見た瞬間誰でもわかるから出オチに相応しい
イーストウッドだとモノマネも入れなくちゃ即座には通じないし、マネしだしたらやらされてる感が薄れて寒いことになる
筒井があの短編にはてんかんを用いるのが相応しいと判断したのと同じで、蔑視ではない理由がちゃんとある
> 「黒人風刺としてブラックフェイスされてたから」問題なのよ
じゃあ差別の意図が無ければ問題ないわけだ。ミンストレルショーだっけ?
アメリカの恥部を外国に持ち込んでそれに倣えってのは傲慢な話 ああ、分かったそれで
「我々日本人には黒人も白人も関係無い、
日本人以外の男は全て我々の女を奪う敵なのだ」
こう宣言すればいいのよ 「浜田だけエディ・マーフィー」とテロップ付きで登場し
他は全員警官制服なのに、ラフなスタジアムジャンパー&ちょび髭
ビバリーヒルズコップの映画ポスターが出てテーマ曲まで流れる
ここまでわかりやすく偉大な成功者かつヒーロー像が浜田の扮装のモデル
であることが示されてるというのに、そうした文脈を無視して、どうして
黒塗りという記号のみを取り出し別文脈のレッテルを張るのか 記号はそれが置かれる文脈によって意味を変える
文脈を考えもせずただ一律に、特定記号を差別表現として排斥するような
非論理的で思考停止的なやり方は絶対に許せるものじゃない
白人ジャーナリストが全身を黒く変色させ、米国南部へ潜入し
凄まじい黒人差別の実情を白人ながら身を張って実体験し告発した
ノンフィクションの名著、J.H.グリフィン『私のように黒い夜』
までもを、白人が黒塗りで黒人の扮装をしているという記号だけで
文脈無視で差別のレッテルを貼り発禁にしろとでも言う気か? 正気か?
以前のラッツ&スターとももくろの黒塗りの時の議論でも同じことだが
ミンストレル・ショーの文脈をちゃんと知って黒人の痛みを判れというなら
まず、批判対象側の文脈もきっちり知った上で、ラッツ&スターによる
黒人ミュージシャンへのリスペクト、黒人への尊敬や憧憬の表明までをも
つぶしてでも強行すべき批判なのかまで考えてから論じろ >>85
乙武さんの格好で車椅子に乗って登場したらどうなのだろうか
本が500万部とか売れてテレビにもよく出ていた成功者であるが
障害者を馬鹿にしてるという抗議をする人は出るような気がする
黒塗が差別なんて全く思わないのだが
一体どこら辺に線引きがあるのか俺には分からない ミンストレルショーだって否定的な側面だけじゃないのよ。
綿畑の辛い労働を歌い早く天国の仲間と再会したいと嘆く(空想の)黒人に良家の子女は同情の涙を流してたんだし北部の一般市民にはそれ以上の知識は無かった。
後期には黒人が経営してニセ黒人の出るミンストレルショーなんかもあった。
実態は簡単じゃない。 まあ見られる側の経験則が違いすぎるから
対話は無理なんじゃね
偏差値20違うようなもんかも >>83
>だから主眼は浜田にあるんだって。一人だけ違う扮装させられて「何で?」って顔してる所に笑いがある
だからどうして「白人警官4人と黒人警官1人」がいると「一人だけ黒人w」という笑いが起こるんだよ
アメリカンポリスなら黒人警官もいることは当然のことで、ツッコまれる要素がないんだが
>エディマーフィーにしたのはお題に沿ってるし、肌の色と服装で見た瞬間誰でもわかるから出オチに相応しい
浜田は一切モノマネしておらず、説明があってようやく「エディ・マーフィってことね」ってなっただけだろ
「エディ・マーフィは黒人なんだから黒く塗っときゃいいだろ」的発想に過ぎず、マーフィ個人に対しても失礼
っていうか、まさにブラックフェイスを出落ちに使い、笑いの小道具にすることが問題なわけなんだが
>イーストウッドだとモノマネも入れなくちゃ即座には通じないし、マネしだしたらやらされてる感が薄れて寒いことになる
意味分からん
そもそも誰も「浜田はイーストウッドの扮装をするべきだった」とか言ってるわけじゃないんだが、
なんで「エディ・マーフィのモノマネ? 黒く塗っとけばいいやろ」などとブラックフェイスを開き直れるんだ?
>筒井があの短編にはてんかんを用いるのが相応しいと判断したのと同じで、蔑視ではない理由がちゃんとある
意図にかかわらず差別的表現は成立するんだから、蔑視の意図があるかどうかは関係ないぞ
今回の件で浜田や番組スタッフが黒人差別思想の持ち主だと考えてる奴はいないし、
蔑視の意図がなきゃ差別的じゃないって言うんならアメリカの白人の大半は黒人を差別してこなかったことになる
(かつてのアメリカの白人の大半にとって黒人が奴隷扱いされるのはフツーの当然のことだったんだから)
>じゃあ差別の意図が無ければ問題ないわけだ。
違う。「誰がやってるか」にかかわらず、黒人のモノマネとしてのブラックフェイス自体が
黒人一般を差別的に捉えるものとして機能してきたから問題なんだよ
「白人がやるから」問題なのではなく、黒人という属性がステレオタイプ的に処理されることの問題であり、
まさにお前が説明してるように「エディ・マーフィ→黒人→黒塗りしとけばいいか」的処理で笑いのネタにすることの問題 >>85
それはお前が「黒人のモノマネとしてブラックフェイスしただけで
黒人蔑視と受け取られる」という歴史的文脈に無知だからだろう
浜田が感動レベルのエディ・マーフィモノマネをやってたならまだブラックフェイス正当化の余地もあるかもしれんが
「黒人→黒塗り」というミンストレルショー的処理、「黒人がいてワロタw」って扱いしてたんだから擁護の余地ない >>86
論点がズレてる
人種差別や人種の戯画化で笑いを取ることと、人種的偏見を抱く者をネタにすることで笑いを取ることと、
人種差別を告発するために意図的に扮装すること(黒人扮装の場合はタブーをも破ること)はそれぞれ別の話
(最後のは映画『トッツィー』でも採用された構造で、最終的に差別の暴露に繋がらないなら人種差別に留まる)
あと、「リスペクトしてます」って言えば差別的表現が見えなくなるわけでも、
現にそのネタで傷付いたと証言してる当事者の存在が無効化されるわけでもないからな
そのネタで傷付いてる人間が現に存在するという事実から考えていかないと頓珍漢なことしか言えなくなると思うよ
(あえて言うなら、だからこそ筒井もてんかん協会の抗議自体には向き合い、戦う相手は出版社等に絞ってたんだから) >>88
「ナチスは良いこともした」って話に過ぎんな、それ
出発点の問題を話してるのに、途中で起こった吉事を捕らえて出発点の問題を無効化・相対化するのはNG ナチスを例えに出すヤツってなんなんだろうな
定期的に出てくるよな >>95
例として分かりやすいからな
比喩ってそういうもんだろ 現在にあっては教養の問題だと自分は考える。
無自覚な部分すら批判されるのは低レベルの世間的常識に埋没しているからであって、つまり無知は罪ということ。
なので>>86こそ世界の文脈を読めていないともいえる。
ただ、黒塗りが悪いのではなく、黒塗りをギャグに昇華させるには今まで以上の戦略が必要ということだと思う。
それは筒井の「世界はゴ冗談」でも触れられている課題でもある。 ナチスを例えにすれば鬼の首取ったかのように騒げるとでも思っているのか? 「黒人女性は可愛いから顔にザーメンをかけて白人にしよう」 >>98
ナチスのアイドル衣装の件があったけど、あれも無教養による無自覚な差別という意味ではブラックフェイスと同じ文脈だと思うよ。 おかしな社会規範というものに対する批判としてのナチスやブラックフェイスなら許容される部分もあるのではないかと思う。
ただ「レベルが低い表現は、レベルが低いというだけで激しいバッシングの対象になってもよいのか」という悩ましい部分は感じる。
これは表現規制がマンガに及ぼうとした時に「手塚のエロはOKだがエロ本のやつはいかがなものか」みたいな論があった事に反発を感じたから、自分の中でいろいろと矛盾した思いはある。 >>98
別に思ってないし、「鬼の首」獲ろうとも考えてないぞ
ただ単に「過程で吉事があったとしても出発点の問題は無効化されないよね」という話の例として出しただけ
逆にお前さんこそ、「ナチス」の喩えを見かけただけで思考停止して対人論証に走ってるんじゃね? >>101
「ブラックフェイスで笑いを取ろうとする芸人」を笑う(風刺する)ネタだったら、
そのネタ内で実際にブラックフェイスが表現されていても当然に許容されると思う
それは、「『ホモ』という差別表現は使うのやめよう」と言った人間に対して
「お前だって今『ホモ』って言ったじゃねえかw」と批判するのが無効なのと同じように
でも、『笑ってはいけない』の場合は黒人模倣としてのブラックフェイス自体を笑いの小道具にしてるから、
やはりその無神経さは批判されてしょうがないんじゃないかな
これが自覚的な人種ネタだったら「反差別ネタ」として成立したかもしれないけど、実際はそういう次元じゃない >>103
なので自分は立ち位置を「低レベルでいかんじゃないか、との批判はOKだが、それを表現として禁止するような過剰なムーブメントにはなるべきではない」あたりに置こうと思っています。
なんというか、批判に晒されて作品の公開を中止したりする事が多くなって、謝罪とともにその後の批判を回避するみたいなのは謹んでほしいし、批判する側も一度表現された作品の公開停止まで望むべきではないと。
この先の未来に「引用されてさらに批判に晒される」くらいの覚悟は表現者にあってもいいし、啓蒙する側も将来批判的な文脈で引用すべき時に作品が消えたままで引用不可能となる事態も避けたほうがいいのではないかと。
過剰なバッシングと過剰な自主規制には懐疑的であろうと思っています。 スレ違いにしたくないから補足するけど、「読者罵倒」の「毒をほしがる者ども」に向けられた怒りを、単純な罵倒ギャグとしてではなく作家の叫びとして読み直すのも現代にあっては興味深いと思う。 >>104
部分的に共通してるけど、自分は
・表現者は自分の表現で他者を傷付けてることを正面から受け止めるべき
・それでもなおその表現を続けるなら説明責任を果たし続けるべきだし、相応の社会的リスクを覚悟すべき
といったスタンスかな、以前からこの手の話題を巡って考えてることとしては
「どんな表現も他者を傷付けるんだから知ったこっちゃない」と開き直るのは表現者として無責任だし、
風刺や差別告発の目的・趣旨もなく「タブーを破」っているなら、
それは放送禁止用語を叫んでるだけの人権侵害マシンでしかないと思う アメリカでもそんなショーはもうないし日本ではそもそも存在してなかったのに、
世界中で永遠にその呪縛からは逃れられないの?
怖くて誰も言えないけど、「傷つく方が間違っている」という答えもあると思うけどなあ
カチンと来たとしてもそこで考えて「黒人という共通項があるだけで俺を笑ってるんじゃないな」と理解すべきだと思う
むしろエディマーフィーの扮装するのに顔を黒く塗ってなかったら「無用な気遣いすんな」と怒るべきで >>107
>アメリカでもそんなショーはもうないし
そりゃ時間をかけてやらないようにしてきたんだから当然だろ
だからって、どうして復活させたり匂わせたりするようなことが正当化されることになるんだよ
>日本ではそもそも存在してなかったのに、
黒人のことを「ニガー」って呼ぶのは日本でも問題になると思うけど
これは「誰がやるか」以前の「誰をどうやるか」の問題だからな 黒塗りするだけで黒人蔑視というのを例外なく一律に適用してしまうなら
黒人以外が黒人演じることが事実上不可能になるのだから
黒人が少ない国では、黒人役を必要とするどんな演劇もことごとく
戯曲版「アンクル・トムの小屋」みたいなものまで全部敬遠されるぞ
日本の演劇空間から黒人役は姿を消すようなところまでいくかもしれない
そういう過剰な自主規制状態、アレには危険だから関わらないみたいな
形を変えたより深刻な人種差別状態を引き起こすぞ
わかってるのかねそういうところまで
「ことばづかいが汚い」の(に傷ついた子供がいたの)を理由に、
「ハックルベリー・フィンの冒険」や「キャッチャー・イン・ザ・ライ」
のような素晴しい作品まで、批判対象にどういう文脈があるのかも考えずに
発禁処分にしたことのある国だぞアメリカというのは >>109
>例外なく一律に適用してしまうなら
これを前提にする必要はないと思うよ。
ていうか、これを免罪符にして「そうだそうだ細かいことはいいんだよ」みたいな論調に向かうことに懸念がある。
極論と親和性が高いレトリックは現代では非常に罪深いものになってしまったんじゃないかと考えている。
筒井の怒りが芸であったのも、あの時代だからこそ意味があったのだ。
黒塗りについては表現者として覚悟があるならやってもいい。
批判されたら反論すればいい。
別に特段の覚悟がなくともやってもいいが、その場合は「無自覚は罪」という文脈も加わり実に厳しい評価が下るという事になる。
自分は「アレには危険だから関わらない」ってレベルなら関わらない方がいいって意見だけどな。
二極化の論争に陥らず二極の間にある無限のグラデーションこそ意識されるべきだ。 白人によるブラックフェイスは、ドラマ・演劇の場での黒人役という
黒人にこそ正当な職場を白人が奪うという側面がある
だからこそ何ら侮蔑的な演技していなくても、白人が黒塗りで黒人を演じただけで、
黒人から職を奪うなという怒りに正当性がある
かつて白人が黒人を奴隷化し、正当な職を奪い、今も黒人が多く住まう文化圏なら、
その批判は正当性を持ち、黒人が演劇の場に職を得る機会を守るだろう
だがしかし、ブラックフェイスのそうした文脈に無自覚に、影響も考えずに、
異なる文化圏の、黒人の役者を用意するのが難しいから黒塗りして演じている
ような国にまで持ち込んで、まったく同じ論調を通そうとするのは乱暴に過ぎる
要は正当性を持ち得ない範囲にまで、考えなしに強引に適用させようとしている
ように見える。人種差別への配慮としては逆効果にすらなりかねないのに
黒塗りしたら即アウトみたいな単純化しすぎの論調には吐き気がする
異なる文化圏では、あくまで個々の事例に則して考えるべきと思うね
批判対象のその文脈上で、実際に明白な差別とその意図がみられるかどうか
を問題にすべき >>109
黒人俳優がいるんだから黒人役には普通に黒人俳優をキャスティングすればいいやん
日本人だけで演じるのだとしてもわざわざ白塗り・黒塗りしなければ成り立たないキャラがいるとは思えんし >>111
うちの国では「ニガー」と呼んで黒人差別してきた歴史がないんだから俺が黒人のことを「ニガー」と呼んで何が悪い、
という態度が国際的に通用するとは思えんし、論理的正当性を発揮するとも思えんな
「そういう形で差別されてきた」ってのは「誰"が"やるか」の問題である以前に「誰"を"どうやるか」の話だからね >>112
米国ならいざしらず
日本語で演じてくれる黒人俳優を不足なく雇えるような環境が
日本における様々な規模の様々な劇団や芸能集団にあると思ってるの?
>>113
こういう「一律に適用せよ」みたいなこと文脈に関係なく言いだす奴がいるから
ほんと厄介なんだよね
「個々の事例に則して考えるべきだ」と言ってる意味がわからんのかね
「ニガー」だろうとその発言が適切な文脈というのはあるよ
例えば、黒人差別がひどかった時代の米国南部が舞台の作品においては
「ニガー」という言葉を削る方が、歴史的事実の隠蔽であり差別行為だ
それを日本人が演じようと、米国人が演じようと スレチですまんな 表現規制に関する話題だからな
ツツイストとしてはちょっとエキサイトしちゃうよ 筒井先生も草葉の陰で煽、もとい見守っておられることでしょう 冗談一つ言えん
めんどくさい世界になったもんやで
何にしても俺はダウンタウンを支持する。 クレパスのはだいろがペールオレンジになる時代だからな >>114
だから、日本人だけで演じるのだとしても白塗り・黒塗りする必要ないじゃん
アメリカでも例えば非黒人コメディアンがコントでオバマ役を演じたことがあったけど特に肌の色は弄ってなかった
日本でもハムレットやらレ・ミゼラブルやらの日本語公演で白人を真似るためにわざわざ白塗りとかしてないだろ >>114
誰が「文脈に関係なく」言ってるんだよ
例えば「『ホモ』という表現は差別表現なので使うのやめよう」と言った人間に、
「お前だって今『ホモ』って言ったじゃんw」とか批判するのが無効なのは当然のことだろ
差別表現自体を批判したり風刺したりする趣旨でその差別表現が描かれるのなら単なる「反差別ネタ」だが、
黒人差別的な価値観を今の時代にそのまま垂れ流したなら批判されて当然だよね
それはナチスの優生思想プロパガンダを今のドイツの授業で普通の教育資料として流すのと同じことだから >>119
>冗談一つ言えん
>めんどくさい世界になったもんやで
お前は今までどんな冗談言ってきたんだ? 2時間半前の書き込みを「古いレス」と呼んでるのか
何にせよ「いちいちアンカー付けるな」とか「古いレスに噛み付くな」とかいう身勝手な要求に従う必要はないな どうもね、批判と断罪がごっちゃになってるのも、いかんと思うんだよな。
断罪というのは「公開停止の刑に処す」みたいな社会的圧力を生み出そうとしたり、そのようなムーヴメントの誕生に期待したり、また逆に反発したりするような論調。
向かうべき方向は、そうじゃないと思うんだよなあ。 126 名無しは無慈悲な夜の女王 sage ▼ New! 2018/01/12(金) 21:13:39.05 ID:kcCkFhd0 [7回目]
2時間半前の書き込みを「古いレス」と呼んでるのか
何にせよ「いちいちアンカー付けるな」とか「古いレスに噛み付くな」とかいう身勝手な要求に従う必要はないな
今日だけで7回書きこんでるし、長文うぜーんだよバーカ >>128
だったらお前が俺をNG登録すればいいだけだろ
気に食わない人間の書き込みを言論弾圧したいの? コイツ荒らしだな 言論弾圧とか左翼か?蹴り入れるぞ >>130
「うぜー」「バーカ」「蹴り入れるぞ」とかいう散発的な煽りを入れることしかできないのか
荒らしとしても低レベルでつまらんなぁ Troll(釣り煽り騙り叩き粘着etc)の系統は脳内スルー最強 >>120
オレンジからクレームが来てゴールドイエローになったのだとか
鼠色はネズミからクレームが来て灰色にしたら灰からハイカラなクレームが来て
グレーになったんだって 近頃は「ぬばたまの」が「松崎しげる」に掛かるらしいから 「機動戦士」といえば「ガンダム」の枕ことばね
個人的にはぬばたまのといえば
虎よ!虎よ!なんだけど
「うひうひうひひひ」「筒井先生」 志村けんのバカ殿は白粉だから問題にならないが
黒だと問題になる
白は良くて黒は問題なのかなって子供は思うでしょ
それが日本人の感覚
中国だとパンダメイクはアーティストがおしゃれでやる >>138-139
いや、黒人模倣としてのブラックフェイスが問題なんよ
例えば子どもが沼で転んで顔が黒くなりました、という描写には何にも問題ない >>140
それでそれを見た友達がうわっ黒人やないかっていったらキレるんだろ? >>141
当たり前だろ
アメリカのドラマで歯科手術に失敗して前歯出た奴を「日本人かよw」と笑ったら日本人差別的なのと同様 ネットで海外の人とライブカメラやると目を釣るぜあいつら >>143
日本人模倣としてやってるなら差別的だな >>143
スラング交じりで怒鳴りつけてやるぐらいで丁度いいらしい 「ヘイ、クソジャップ ミーの肌が珍しいからって黒塗りにしてんじゃねーわよ、熊本城壊すぞ、黒塗りだけに」 表現の自由を守りたい側にいるなら、はっきりとそう示せばいいのに。
表現に対して批判するなってニュアンスの方が強いのは残念だな。
例に出して申し訳ないが ID:fdiPtOjU とかさ。
筒井スレ住人て昭和の感覚を引きずってる人が多いのかな?
もう平成30年だぞ。 誤解しないでほしい
100%日本人であることは問題じゃない
海外の血が流れているからといってガス室送りにするのは
間違ってるよな?いいか、落ち着け
自称物言う皇族の誰かさんじゃないから
血統書付きの日本人なんてものは証明するのもナンセンスなんだ
あくまでアメリカンポリスで黒人の警察官がいたよねっていう
パロディなんだ
エディ・マーフィーのファンがコスプレしただけなんだよ! >>144
アジア人ヤーイの定番で時々有名人がやって叱られてるよ
でも軽口の叩き合いなら、そこでやり返せばいいのかな
程度が分からないね たぶん、番組辞める前に一度炎上してみたいとかで
わざとやらかしたんじゃないかしら
だって番組作ったご当人たちは全く表で申し開きしないで済む
日本の仕組みすげえと思うよ >>149
個と個のやり取りなら思想より、単順に不愉快なら不愉快だと怒りもあらわに表明した方がその後に親密な関係を築ける
どうでもいい相手なら思想でけむに巻くなりなんなり まぁ俺らだって韓国人が日本人のモノマネで猿のマネしたら
むかつくしな🐵 >>151
ハマタ本人へなら何言ってもらっても構わないしね
太巻きくわえて尻叩かれてる猿の絵でも先方が描いてくれればいいわ ん、じゃあ太巻きはハマタ猿のお尻ちゃんに入れようね >>149
程度の問題じゃなくて差別表現か否かって話でしょ このひとなんで筒井康隆スレにいるんだろ
ファンでもなさそうなのに こっちでもジードとかべリアルとか尖らせっぷりが半端ないけど
スペシュウム光線風のポーズでやり返しときゃいいんじゃね
知らなくても攻撃体勢っぽいことぐらい伝わるだろ 差別だの学歴だの東大だのとどこぞの借り物の定型鋳型から一歩も出ない
短小物差しを無暗に不用意に振り回すだけの愚にもつかないアンチが
前々から出没してるからなあ
それっぽいのがいたっつう話では どっちがどうなのかよくわからんな。
自分は今回は「ブラックフェイスは差別」の人の考えに近いので、なあなあにはぐらかしてる方に反発を感じてるけどな。 >>162
多分 >>110 を書いたひとだと思うけど、
あなたは「表現者の側」が意識すべきことの話しをしてて
おれは「差別批判する側」が意識すべきことの話しをしてた
という違いくらいで、実質的な意見の差をあまり感じないよ
ブラックフェイス問題を知った上で、表現者として覚悟があるなら黒塗りOK
というのはその通りだと思ってる
が、批判する側にも、「黒塗り即アウト」を強いる安直さの強い断罪が目に付き
そういうのに、余計に差別が深化したり、差別問題を描く劇まで規制されたり
過剰規制を生みだして黒人へのリスペクトも黒人役そのものもタブー化して
しまいかねないその行為に覚悟が持てているのかと釘を差したい 本人たちにケツ出させなよ
今時もめるとは気がつきませんでしたとか無いから。
なに保護しちゃってんの >>164
ご指摘の通り>>110です。
批判が表現を豊穣にさせる方向に機能すればいいのだけれどね。
萎縮するのは「批判する側」と「批判される側」どちらの問題か、というテーマもある。
筒井が「手ぶらコード留守」のCM中止について書いた時、批判に反論するリソースを割くのが面倒なために引っ込めてしまうってケースを批判したでしょう。
その態度は断筆に纏わる話題でも一貫していて「議論する場所が必要」だった。
「批判する側の態度」について言及する場合も「表現する側の覚悟」抜きには議論しにくいのではないかな。
自分は「不快に思った方もいて申し訳ない」って謝罪は違うと思うんだよなあ。
その謝罪自体を不快に思う人もいるわけじゃない。
私が残念に思うのは、ここの住民のリアクションが断筆時の「筒井の面白い作品が読めなくなるから協会はけしからん」的な、言っちゃあ悪いが享楽乞食のような状況だということだ。
まあ、巨大掲示板はそういう議論の場でないと認識してるよ、と言われれば返す言葉はないけれど。 長文バカには清水ミチコの呼びかけが届いてなかったらしいね 俺は最初は浜ちゃんの黒塗りは「もうこういう演出はダメだよな」という意見だったが
このスレのやりとりを見て、少し考えが変わったよ
まあ流し読みしかしてないがね 浜田の唇をいじるためにブラックフェイスにしたんだよね
狙いはともかく黒人→唇の意図はあったわけ >>173
たたの関連でなんの参考にもならないよ
筒井さんは表現の自由だから黒塗りどんどんやればよいという派かなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています