そもそも陰謀論ってのは、どうとでもとれてしまう。
かりに、Aさんが浮気してるとその奥さんが言ってるとして。

Aさんが浮気してると認定すれば、
それはAさんへの陰謀論になるし。
Aさんの浮気を否定すれば、
奥さんがウソ(か誤解)を言ってると言う陰謀論になる。

そうすると、判断する決め手は浮気の事実が在るか無いかだが。
それを調べる手段が無ければ、決めようが無かったりする。
(あるいは調べること自体がプライバシーの侵害になるかも知れない)
じゃあ、静観してればいいかどうかはそれこそ立場による。

世の中、判明してる事だけで論議できない事もある。
(人間の寿命が限られてる以上、事実が判明する前に
死んでしまうのなら倫理的な問題も生まれる。実際のところ、
科学だって真偽が何百年もあとになってわかる事がある)

はっきり言ってしまうと我々は事実だけで生きてる訳じゃない。
疑うのも権利だし、間違うのだって権利なんだよ。わざとでないのならね。
(名誉棄損だって、事実でなかった場合の免責事項がある)


まあともかく、AであれBであれ陰謀論に出来てしまえたりする。
『陰謀論』って言葉は便利だけど、
その『陰謀論』と言う言葉の危うさに気付かないといけないと思う。