ギャレゴジで芹沢が父の形見である原爆で止まった時計を見せて核を使わないでほしいと懇願するシーンがある。
わざわざこれ見よがしに時計を見せつけてることから、放射能被害の懸念だけでなく、感情論も含まれていると思われる。
それが一転してKOMでは自ら率先して核のスイッチを押している。
この感情の変化を説明しようとすると「このままキングギドラが暴れては世界が終わってしまうので、ゴジラを復活させるいしかない」
ってのと、「ゴジラにこの命を捧げたい」っていう二つであると、本編の描写からわかる。
前者はいわゆる平和や正義のため。
一部のアメリカ人がよく言う「原爆を落とさないと戦争が長引いて、余計に死者が増える」っていうのと同等の考え。
一個人がその考えを持っているのは構わないが、アメリカの監督が原爆被害者の遺族って設定の人物を状況にそのように心変わりさせるのは悪趣味以外の何物でもない。
テレビで偶に見る核の反対を主張している原爆被害者の遺族が、「はい核兵器は必要です」とか言い出すようなもの。