ダビデとしての王のあり方の究極の形がキリストの十字架にあらわれてる。
すなわち、キリストという王は自身の命という取り分を神と人との若いのために捨て、
苦難と恥の極みの十字架に架かってくださり、
復活して神の右の座に座り、神にとりなしてくださっているのだ。