クラークやアシモフは人類を描いた、一方、ハインラインは人間を描いたというのが大きな違いだと思う。

さらに言うと、「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない」という、スターリンが言ったともアイヒマンが言ったともいわれる有名な言葉があるよう、多くの人間には、把握しきれない大規模な問題よりも身近な個人の問題の方が理解や共感を得やすいという性質がある。

日本人の場合は、圧倒的に個人に共感し肩入れする感性を持った人間が多く、古くは悲劇の武将である源義経を好む判官びいきという言葉があったし、明治期の自然主義から生まれた私小説が文学の世界を席巻し、私小説≒純文学という傾向が長く続いていた。

現在もそうした日本人の傾向は続いていて、安倍元首相が銃弾に倒れると、それまでの森加計やアベノマスクの問題などは忘れ、国民の同情が一気に安倍さんへと傾いたりする。

そうした日本人の性質を知っているからこそ、SFを読んだことのない人に勧められる海外のSF作品の選定にも苦慮することになる。
SFを読んだことのない人には、科学考証の正確さや壮大な叙事詩(社会集団の物語)的テーマよりも、人間個人の喜怒哀楽を描いた物語の方が理解や共感が得られやすいと感じているからだ。

ミステリーの場合は、アガサ・クリスティーという本格と人間描写のバランスに優れた不世出の作家がいるため、作品の選定にはあまり困らないようなところがあるんだけどね。