中学生時代に能力が伸びたと感じたのは、読解力よりも作文力の方だった。
小学生のころまでは作文を書けと言われても、400字詰め原稿用紙1枚書くのも大変だったものが、中学に入ってからは400字詰め原稿用紙3枚くらいはスラスラと書けるようになった。

漱石とかドフトエスフキーとかニーチェとか読むようになったのは一人暮らしするようになってからだから、読解力の向上を自覚するようになったのは高校を卒業してからかなぁ。
同時に自分の語彙不足も自覚していたから、漢和辞典を購入したり分厚い国語辞典をいつもショルダーバッグに入れて持ち歩いていたような時期がある。
現在も、広辞苑、明鏡国語辞典、新漢語林の入った電子書籍を手元におき愛用している。

古い翻訳に関しては、大久保康夫や宇野利泰など下訳者を大勢抱えた元締めが仕切って大量生産していたこともあり、翻訳の品質そのものに大きなばらつきがあったものの、旧字旧仮名の戦前教育を受けた世代は文語体の文章も含め語彙が豊富で日本語力があったため、現在の優等生の作文みたいな翻訳よりも自由で味のあるものも多かったように思う。