弟子は伝統宗教に救われたのに師匠は浜本末造、玉置山、カスタネダ、振り子・・・
なぜだと思う?w
中央大学法学部卒で海外SFも原書で読める平井先生が阿呆なわけないし
当然、主だった仏典も新約旧約聖書も通読しているはず

これは想像だけど、先生は救われたくてあれらに興味を持ったのではなくて
創作活動に資するかどうか〜自分が第一人者になれるかどうか〜
そういう基準で戦略的にあれらB級オカルトネタをチョイスしてたんじゃないかな
Gの経験を糧に騙される側から騙す側にまわったのだと思う
ていうか、もともと上手な嘘を吐くのが作家の仕事だしね

埋めさんみたいに母親に虐待されて育ったマヂのガチで救われたい人と違って、
先生は生まれながらの作家だから、創作の源泉を枯れさせるような信仰は持たなかったのだと思う