「地には平和を」は、SFであると同時に、あの時代のインテリ青年の体験のメタファーとしての、屈折した「左翼文学」ではないのか。
こういうと反発される向きもある思うが、高橋和己の「憂鬱なる党派」と比するべき作品、と個人的には思っている。高橋とは交歓もあったみたいだし。
あの中編で描かれている「本土決戦」は、実は1950年代初頭に共産党中央が煽った反米独立武装闘争そのもので、小松さんには「愚かな指導者連中に二度も騙された」
「右でも左でも、えらい連中は決戦・決戦というけれど、いざとなると逃げだす」といった、強烈な思いがあったんじゃないかな。左翼でSF好きの自分は、そう理解しています。