いやぁ、それぞれの個が存続するための装置として全体が存在するのであり、
断じて全体の存続のための部品として個が存在しているのではない、
というのは近代社会が勝ち得た常識だと思ってたんだけどね。

「非常時」とかの理由があれば全体の存続のために個は犠牲にしてよい、という観念は未だしぶといんだねえ。