>>608
> 訳者権利が切れるほど昔の日本語なら改定が必要では

それって、出版業界の洗脳だと思う。
そもそも日本の小説だって、江戸川乱歩や太宰治のような著作権の切れた古い作品を読む人は多い。
また、新訳でもクセの強いものや訳文が小説の文体になっていないものはあるし、旧約の方が読みやすいケースも少なくない。

たとえば下はトウェインの「ハックルベリイ」の新旧訳で、柴田訳(2017年)の(子供ふう)文体は人を選ぶ訳文だろうし、村岡訳(1959年)の方が(優等生すぎる嫌いはあるものの)読みやすいという人も多いと思う。
そういう意味では、古典のように翻訳は複数の中から選べる方が望ましいと思う。

柴田元幸 訳
「トム・ソーヤーの冒けん」 てゆう本をよんでない人はおれのこと知らないわけだけど、それはべつにかまわない。
あれはマーク・トウェインさんてゆう人がつくった本で、まあだいたいはホントのことが書いてある。ところどころこちょう[#「こちょう」に傍点]したとこもあるけど、だいたいはホントのことが書いてある。べつにそれくらいなんでもない。
だれだってどこかで、一どや二どはウソつくものだから。まあポリーおばさんとか未ぼう人とか、それとメアリなんかはべつかもしれないけど。ポリーおばさん、つまりトムのポリーおばさん、あとメアリやダグラス未ぼう人のことも、みんなその本に書いてある。で、その本は、だいたいはホントのことが書いてあるんだ、さっき言ったとおり、ところどころこちょう[#「こちょう」に傍点]もあるんだけど。

村岡花子 訳
諸君が 『トム・ソーヤーの冒険』 という本を読んだことがないなら、僕のことは知らないだろう。だが、そんなことはどうでもいい。その本はマーク・トウェインさんという人が書いたもので、だいたい、ありのままのことを言っている。嘘のところもあるにはあるが、大部分はほんとうのことが書いてあるから、問題にしなくていい。
僕の知っているかぎりではだれだってたまには嘘の一つや二つは吐(つ)くもの。もっとも、ポリー伯母さんと未亡人とメアリは別だけれども。ポリー伯母さんや――ポリー伯母さんというのはトムの伯母さんである――メアリやダグラス未亡人のことはみなその本に書いてあるし、その本は前にも言ったとおり、少しは嘘もまじっているが、あらかたはほんとうを言っている。