>>935-940
> 論文論説の類にあんまり複数の含みがあっても困る

早稲田の入試で問題になっていることの本質は、早稲田、河合・代ゼミ、駿台、著者の解答(つまり文章の解釈)が、それぞれ一致していない点で、各解答例は次のようになっている。
問1 問2 問3 問4
 イ  ハ  ニ  ホ    早稲田
 ホ  ハ  ニ  ホ    河合・代ゼミ
 ホ  ハ  ハ  ニ    駿台
 ハ  ハ  ハ  ニ    著者

これだけ解答にゆらぎがあるのでは、試験問題として機能していないと思うのだけど、まあ、人文科学の著作などの場合、細かな文脈の解釈ともなると、そういう結果にもなるだろうなというのは予想できる人も多いと思う。

自然科学のように、実験や観察によって誰にも認められるかたちで自然が正解を示してくれるものとは違い、思想や意見といった概念的ものには、そうした(自然科学のような)正解が無いことの方が多い。
それだけでなく、むしろ読者の共感や支持による多数決で正当性が認められるようなものも多い。

いずれにしても、この種の(論拠の曖昧な)出題者の意に沿うような解答を求める問題というのは、大人(権威)に対する忖度(扱いやすい人間になること)を学生に求めているようなものでしかないと思う。

> 取説を>>929が言ってるような読み方で読んだらどんな被害が出ても文句は言えない

早稲田の入試問題については、従来の学校教育の読みかたでも実際に被害が出ているんだよね。(早稲田は認めないのだろうけど)

一方、929の話は「現代文学理論」の話だから、取説を文学のように読む必要は無いと思う。
ただし、『超入門! 現代文学理論講座』では、言語行為論についても触れているため、ことばには他者に約束や義務を発生させるような働きもあるという点については参考になるかも知れない。

> 昔流行ったポストモダン

問題となっている早稲田の入試問題は、『フーコーの風向き−近代国家の系譜学』からの出題だから、まさにポストモダンが試験内容になっている。
ポストモダンを笑う者はポストモダンに泣く。