夏目漱石の「三四郎」をいまの青少年が読んだら、教育課程も違うし、
携帯電話もネット・パソコンもないから、古典文学たりえない
という主張だと読んだ
川端康成の「雪国」も、携帯電話もネット・パソコンもないから古典文学たりえない
(ただし古典文学と古典SFは別ジャンルだとは思っている)