長野さま

これは長野さんvsジャンニさん論争というよりは、
長野さんvs erika sono さんだと思うので横からですが
私は、部分部分ではひっかかるところはあるものの、流し読みするたちなので
全体の流れとしてはふんふん、みたいな感じだったんです

紹介して下さったときにジャンニさんが
>芸術家にありがちな癖がちょっとあるみたいなので、苦手な方がいたらごめんなさい。
とはじめに言っててくれてたから、はじめからそういうつもりで読んだし
まあ、芸術系のひとって「狂気」ってことばを良く使うよナー・・ウヒウヒとは思ったけどw

で、>>567
>この4行で先ず「取り組むには覚悟を要する」と前置きしてから狂気に取り込まれそうにならなければ本物は掴めないと【断定】してる
>じゃあ狂気に陥る事を覚悟して取り込まれつつないと人は永遠に本物にはなれないのか?って事になる

私は、この行は続いてて
「だから、芸術作品でも、ロマン派の文学や音楽、哲学と取り組むのには、覚悟を要する。一歩間違えば、
あちらの狂気の世界に取り込まれてしまいそうにならなければ、本物を掴むことなんて、できやしない。」
というふうに続けて読んだんです。「人は」・・という一般論では無くて、具体的なこととして読みました。 

ここで言ってる 「あちらの狂気」=ロマン派の方々の狂気、 「本物」=ロマン派
なんで急に19世紀の話に戻っちゃうんだ??と思って、この方何をする人かな?
と思って見たらクラシック音楽の方みたいだし、ああ、そうなんだろうなあ・・
クラシックの演奏家って、そういう感じなんだろうなあ、シューマンて言ってたから
この方、ちょうどシューマンでもとりくんでるところなのかな?と。
歴史家や、歴史を題材にした小説書いてる小説家なんかもそうなんでしょうけど、
引きづりこまれてしまうような感覚になって、あ、ヤバ・・とか思うことがあるんだろうな・・
とも思ったし だから自分はそんなに違和感は無かったなあ