五輪に神プロを持ってきた選手といえば?
荒川静香FS、ヤグディンSP FS、コーエンSP FS >>364
ごめん!あまりに昔の古い記憶で、勘違いしたみたい
演技内容全く覚えてなくて、ゴルデーワが溌剌としてたなあとしか。 リレハンメルのG&Gの月光、
覚えてる人がこんなにいて
ちょっと驚いた(もちろん嬉しい)
もう28年前か…
この前幕張メッセの世界選手権の話を某スレに書いたらまだ
生まれてないとか言われたわ… ソルトレイクのベレズナヤとアントンのタイスの瞑想曲は本当に凄かった。着地ミスらなければ、tec
5.8〜5.9 pcs5.9〜6.0が並んで、ぶっちぎりだった カルガリーでゴルデーワ&グリンコフとペトレンコを見て、新風来たあーと思ったんだよね
その後のカルメンと月光、堪能した
ただペトレンコはリレハンメルでみそがついた。
直前のラトビアだかエストニアの若手が、演技中に靴のビス?が抜けて撒いてしまい時間が遅れた
結果ペトレンコはミス
時々思うわ…予定時間に演技できてたらどんなだったかなと
ただ似た状況の有香さんはやりきったから、試合の積み重ねが現役選手の力となったのかな? >>369
【28年前】リレハンメル五輪の頃の思い出
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/skate/1644583859/118
そのスレの128~130もその話題
有香さんのスケーティング大好きだし
メンタルも強い人だと思うけど
ペトレンコとはプレッシャーが全然違う
個人としては2連覇がかかってた
国としてはウクライナ初がかかってた
前回はCIS代表としての金メダルだったから ペトレンコはミソがついたとは思わないな
むしろオクサナ・バイウルに金を取らせた立役者
彼の資金援助がなければバイウルの金はなかったんじゃないかと思うよ カルガリ五輪デュシュネ兄妹オリジナルセットパターン
カルガリ五輪ベステミアノワ&ブーキンエキシ「アンダルシア」
アルベールビル五輪フィリポウスキーショート「ペルシャの市場にて」
リレハンメル五輪陳露フリー「風の谷のナウシカ」
ソルトレイク五輪ラング&チェルニシェフフリー「パリの散歩道」 >>372
ルルのフリーはナウシカだったのか!聴いたことある曲だと思っていたが気がつかなかった。ブツ切りのフリーが多い中、一曲でまとめてるのも良かったな。それにしても同じ宮崎映画音楽なのに小塚との差は…。 長野五輪銅メダルのベッツェル&シュトイアーのショート
エンヤの「No Holly For Miss Quinn」という曲
2年前と3年前も使っていたからなんと3季目
でも好きなプログラムだったから嬉しかった
やっぱりこれを五輪に持ってきたねという感じ
フリーも前年のプログラムの持越しだったね
金メダルのカザコワ&ドミトリエフは両プロとも前年の持越しだったし
ペアは再演祭りだったね ソルトレイク五輪ストイコのフリー「ドラゴン」
これはリレハンメル五輪の再演だった
幕張世界選手権で優勝した時の演目でもあり編曲が神
そしてショートの「鼓童」は長野五輪の再演だったね
これは長野五輪の翌年も使っていたから3季目
自分に一番合った演目を最後の試合に持ってきたんだね アルベールビル五輪ナンシー・ケリガンのフリー「7月4日に生まれて」
前年の世界選手権でも滑っていて感動して
絶対五輪に持ち越してほしいと思っていた
スパイラルのフィニッシュがとても印象的 長野五輪グリシューク&プラートフコンパルソリーダンス第一課題ゴールデンワルツ
2人の真っ白な衣装が氷上で映えてただただ優雅で美しい
しかし五輪連覇の重圧かグリシュークの足が氷につくミスを犯している
実は彼らは2年前コーチが「次の五輪では別な組(クリロワ&オフシャンニコフ)が
金メダリストになるでしょう」と記者に語ったと聞いてショックを受け
五輪2連覇する為にリニチュクのもとを去りタラソワの所に移っている
後にグリシュークはこう語っている
「ナタリアは次の五輪では別の組に優勝させたかったのです
その方がコーチとして誰でもチャンピオンにすることが出来ると証明できるからでしょう」
長野で五輪2連覇確定した瞬間あの気の強いグリシュークも泣きじゃくっていたね
ただプログラムとしては前年の「リベルタンゴ」と「アラビアンダンス」の方が神プロだったね カルガリ五輪ビットのショート「ジェリーズガールズ」
凄い衣装で最後ストレートラインステップで壁際でフィニッシュ
実はビットのサラエボ五輪金メダルの後は東独当局も
女子のピークは18才であり昨今は競争激化で一層水準も高まっているから
低難度のビットの2連覇は無理だという見解を持っていた
コーチでさえ翌年にはこう言っていた
「今シーズンが終わればビットは滑らなくなるだろう或いは滑れなくなるだろう」と
カルガリのショートの時も専門家達が審判にこんな要請をしたそうだ
「こんなレビューみたいな衣装を着ているビットは1,2割減点してほしい
もしビットと誰かが僅差になったらビットに不利に判定してほしい」と
ところがビットが1位を獲ったのでライバルコーチが
「男性審判が7人もいるんじゃああなるのも当然」と怒
フリーは2位だったが22歳で女子としては史上2人目の五輪2連覇を達成した >>378
そんなタイトルだったのか
ハロードーリーだと思ってた
あの青い衣装好きだった
私はいやらしいとは思わなかったけど
問題になったのは覚えてる
女子の衣装にはスカートが付いてないといけないルールになった原因だっけ? ハロー・ドーリーも使われていますね
スカートの問題に関してはよくわかりませんが
NHK杯にもこの衣装で登場してジャンプミスが出て
みどりの「羊蹄の祭り」に後れを取ってしまったのを覚えています 長野五輪ブチルスカヤのフリー「秋に寄せて」
もともと「秋に寄せて」はチャイコフスカヤがクーリクの為にとタラソワに贈ったもので
クーリクがそれを選ばなかったのでタラソワはチャイコフスカヤに返した
チャイコフスカヤはその曲をブチルスカヤに振り付け欧州選手権優勝
しかし長野五輪では不本意な出来で4位
翌年このプログラムを持ち越して世界選手権史上最高齢で優勝
解説のみどりが祝福してインタビューしてたね
その後この曲が凄く流行って
2004年から2010年まで毎年必ず誰かが世界選手権で「秋に寄せて」を滑る流行りようだった
ブチルスカヤはリレハンメルシーズンは喜多郎の「古事記」を滑っていたので
これを五輪で観たかったなあと思う >>381
秋に寄せて の音源ってもともとあんなのなの?音がひずんでいていつも聴いててつらかったわ。 >>382
確かにブチルスカヤの音源にはそういうところがあって
気になってた人もいたようだけど
何かの不具合でああいうことになったのかなと思っていたよ リレハンメル五輪グリシューク&プラートフのオリジナルダンス「ある恋の物語」
音楽も振付も演技も最高フィニッシュの後がまた素敵
実はアルベールビル五輪の後グリシュークとズーリンの関係が発覚して
デュボワはグリシュークを破門してプラートフをあのタチアナ・ナフカ(トリノ五輪金)と組ませた
ナフカはもともとシングルの選手で試合の成績も優秀だったが
身長が伸びて得意のジャンプが跳べなくなってきた時
「ジャンプが跳べるようになるまで練習を繰り返すかそれともアイスダンスに転向するのか」
とコーチに迫られてもまだ結論が出せずシングルの練習を続けていたが
13歳の時にデュボワの目に留まり彼女のグループに入っていたのだ
プラートフもシングルの選手だったが
ジャンプが全くダメでシングルループも跳べず自分には向いてないのだと悟り
コーチからも「ジャンプしなくていい競技に移った方がいい」と言われ
アイスダンスの道に進むことにしたそうだ
ナフカ&プラートフは外見的にも性格的にもぴったりで
歴史に残るダンスカップルになるとデュボワは期待していたが
ある日突然プラートフはグリシュークの後を追って飛び出してしまった
プラートフにとってパートナーはグリシュークしかいなかったのだ カルガリ五輪伊藤みどりエキシ松田聖子の「タイム・パッセージ」
当時テレビを見ていてトリのビットの演技が終わって
「なんだみどり出ないのか」とがっかりしてチャンネルを変えて
また戻ったらみどりが赤い花を持って優雅に滑っていて「あれれ?」と思った記憶
本当は5位のみどりは出場の予定はなかったが
「なぜミドリを出さないんだ!」と抗議の電話が殺到して急遽出場決定した模様
そして結果的にみどりが五輪エキシの大トリを飾った伝説のエキシ
カルガリ五輪のエキシは忘れられないものが多い
ペトレンコの「アベマリア」
ジョニー・アリディーの力強いボーカルに乗って白いブラウスを着て
気品に満ちて優雅に舞うペトレンコはまさに王子様だった
そしてベステミアノワ&ブーキンの「アンダルシア」(フラメンコ・ファンタジー)
これを見た時の衝撃と言ったら
今まで見たエキシの最高峰 レークプラシッド五輪デニス・ビールマンのフリーサンタエスメラルダ「朝日のあたる家」
ショート2位フリー1位を獲りながら規定12位が響いて4位
この時はビールマンスピンはフィニッシュでやっただけだったが
翌年世界選手権優勝した時はこんなに連発して大丈夫かと心配になった記憶
レークプラシッドと言えば渡部絵美のメダルの期待が大きくNHKが生中継したほど
ショートで失敗してキスクラで暗い顔をしてファッシコーチに宥められる姿は忘れられない
前年の世界選手権で嬉しそうに表彰台に乗った姿を見ていただけに残念だった
フリーではスパイラルでちょこっとバックする印象的な技があって
その技は今でも語り継がれているね リレハンメル五輪ターニャ・シェフチェンコのフリー「ラ・マンチャの男」
とてもエレガントで美しい選手で直後の幕張世界選手権では涙の銅メダル
本人がフィニッシュする前から泣き出してしまうほどの感動の演技だった
有香とボナリーの伝説の表彰台の3位の台にいたのがこのシェフチェンコ
そして長野五輪シーズンのフリー「スピード」もまた素晴らしく
NHK杯で涙の初優勝そしてファイナルでは歓喜の銀メダル
ところが長野五輪はなんとインフルエンザで棄権
メダルも狙えただけに本当に残念だった >387
シェフチェンコ、長野五輪の棄権はアクシデントと言えるけど、その後の世界選手権は9位と低迷したよね。シーズン前半と後半の評価がだいぶ異なるイメージ。 >>388
ミネアポリス世界選手権ではジャンプが不調で残念な結果だったけど
それでもシェフチェンコの演技は美しくて見ごたえがあるね
カルガリ五輪でもメダル候補のカリン・カダヴィが
ショートの後風邪の悪化で棄権したことがあって
直後の世界選手権には出て来たけどやはり不本意な出来だった
一度体調を崩すと本来の力を取り戻すのは大変なのでしょう 五輪にかけて頑張ってきているのだから、気持ちの面でも立て直しが難しい状況だよね 五輪に行けたわけじゃないけどサーシャ・コーエンのエスパーニャカーニ
トリノからブランクがありながスパイラルとステップは全盛期と全く変わらないパフォーマンスで全米SP2位。これはもしかしたら五輪代表来るのではと思った。
FS大自爆したところも全く変わってなかったけど 長野五輪ザゴロドニュークのショート「タンゲーラ」
前年の世界選手権でも滑っていて好きなプログラムだったから持ち越しは嬉しかったが
五輪では転倒に次ぐ転倒の大惨事になってしまった
彼は若い頃しょっちゅうNHK杯に来ていたし幕張世界選手権でも台乗りしていて
応援していたのでまさかの大惨事に呆然となってしまった
でもこのプログラムはたとえジャンプ全滅したとしてもまだ観てよかったと感動できる
それほど好きなプログラム カルガリ五輪デュシュネ兄妹フリー「ジャングル」(Savage Rite)
彼らのプログラムの振り付けはあのトービル&ディーンのクリストファー・ディーン
そのプログラムはルール違反すれすれで審判を呼んで大丈夫か確認したということだった
あの「ボレロ」の時はライバルコーチから「違反のリフトがあった」と訴えられたそうだ
アイスダンスの常識を覆すデュシュネ兄妹の演技は賛否両論で
点数も出ず8位という成績だったが
素人の私には一番楽しめる演技だった
オリジナルセットパターンのアルゼンチンタンゴもディーンの振り付けで
五輪の時はちらっと観ただけだったがとても印象に残った
彼らは後に世界金メダルや五輪銀メダルを獲っているが
このカルガリ五輪の演技が一番強烈に印象に残っている デュシュネーズといえばミッシング
T&Dが復帰したリレハンメルのフリーでも違反があって点数抑えられたんじゃないかな
オリジナルのタンゴダムールだっけ?あれは名作だと思う レークプラシッド五輪ロドニナ&ザイツェフエキシ「ポリュシカ・ポーレ」
五輪3連覇王者にふさわしい力強く喜びに満ちた演技
ロドニナは札幌五輪でめでたく最初の金メダルを獲ったが
その後パートナーのウラノフに逃げられてしまった
五輪の最中から2人の仲は険悪で口も利かない状態だったそうだが
ウラノフは銀メダルの女子と組んで最大のライバルになった
パートナーを失ったロドニナはウラノフ達の練習を見せつけられ引退も考えたそう
しかしロドニナは若いザイツェフを見つけて育て上げ五輪2連覇を達成した
その後も勝ち続け世界選手権10連覇を達成そして出産を経て五輪3連覇を果たした
表彰式ではさすがのロドニナの目から大粒の涙が カルガリ五輪伊藤みどりショート「羊蹄の祭り」
この曲はヤマハの生徒が作曲した曲で
オーケストラで録音する時にみどりが立ち会って
「ここでジャンプを跳ぶのでシンバルを入れてほしい」とか言っているのを当時テレビで観た
このプログラムの最大の見せ場は何と言ってもカウンター2Aだと思う
普通はアクセルは右足に乗って下がってきて左足で踏み切るのだが
みどりは左足に乗って下がってきてそのまま踏み切ってしまうという
恐ろしい跳び方をしているなあと当時思って観ていたよ
ところが世界女王になった後はカウンター2Aを跳ばなくなってしまった
私はみどりのカウンター2Aが大好きだったからショックが大きかった
みどりは当時海外で「100年に1人の天才」とか「宇宙から来たんじゃないか」とか
「この惑星で並ぶ者はない」とか言われていたが
サラエボ五輪ペア金メダルのオレグ・ワシリエフが後にこんなことを言っていた
「今でもミドリを見た時の衝撃は忘れられない
それまでのジャンプの常識をひっくり返してしまうほどパワフルで
男子選手たちもみんな『この子が女子でよかったかなわない』とほっとしていた
それと大事なことだけど決してジャンプだけの選手ではなく
スケーティングもスピンも素晴らしかったよ」 カルガリ五輪ゴルデーワ&グリンコフのショート「カルメン」
2人の白パン白タイツの衣装が氷上でとても煌びやかに輝いていた
ソ連スケ連は「もう少しロマンチックな曲の方がいいのではないか」と指摘したが
振付のマリナ・ズエワは「何も心配することはない」と押し通した
ゴルデーワはズエワの才能を神様からの贈り物のように感じていた
「彼女は私達の為に生まれそして私達はマリナの為に存在するようだった」
特にズエワとグリンコフは相性が良くゴルデーワが嫉妬するほどだった
グリンコフが急逝した時ズエワはゴルデーワへの手紙にこう書いている
「セルゲイは私の夢だったその夢が死んでしまった
仕事も出来ないし自分が何のために生きているのかも分からなくなった」
カルガリではワロワ&ワシリエフの五輪2連覇がかかっていたが
彼らはもう2年前からゴルデーワ組に勝てなくなっていた
カルガリでも敗れて五輪2連覇はならなかったが
彼らのショート「その男ゾルバ」の白パン白タイツ衣装も
氷上でとても鮮やかにキラキラ輝いていた
そして直後の世界選手権ではゴルデーワ組を破って優勝し有終の美を飾った
ゴルデーワも素晴らしい演技で優勝した2人を心から祝福していた アルベールビル五輪ミシュクテノク&ドミトリエフのオリジナル「ドンキホーテ」
ドミトリエフのぴちぴち白パンが眩しい
テレビ観戦していたゴルデーワはこの「ドンキホーテ」が素晴らしく
2人が優勝出来たことを嬉しく思ったと同時に
自分達も他のどのペアとも競技できる体力も技術も備わっていることを感じ
もう一度あの舞台に立ちたいという気持ちを強くしたという
彼らはカルガリ五輪優勝の後も五輪2連覇を目指して現役を続けていたが
グリンコフの肩の悪化で練習も満足に出来ない状態になって引退していたのだ
現役復帰を決めズエワと練習を再開した彼らは
国内選手権に出るにあたってリフトを反則だと言わせないために
ロシアスケ連会長のピセーエフにお金を包む必要があるかもしれないと
何千ドルかを封筒に入れて用意していた
五輪銅銀金のクリモワ&ポノマレンコに相談しに行ったら
「そういう態度を見せておくのも悪くないきっとピセーエフも喜ぶだろう」という答え
実際はその必要はなかったそうだがそういうことがゴルデーワの自伝に書いてあった
かくしてリレハンメル五輪では五輪王者同士の対決となった
ドミトリエフ達は五輪2連覇を狙って「ドンキホーテ」を再演した
縁起の良い白パンも持ち越しで素晴らしい演技をしたが
子供を産んで戻ってきたゴルデーワ&グリンコフには敵わなかった
ドミトリエフは長野五輪でカザコワと組んで念願の2個目の金メダルを獲得した ドミトリエフと言えばリレハンメルのラフマニノフも好きだったなあ…
時代が古すぎる?また真央とか
フィギュアの世界ではラフマはあまりに定番すぎて5ちゃんねるでもほとんど話題になる事もないけど。 デニス ・テン の2009世界選手権フリーのラフマニノフも凄く好きだった
最後のステップ前のビールマンも綺麗だったな アルベールビル五輪佐藤有香オリジナル「キスメット」
グリンコフは常々佐藤有香のスケーティングを絶賛していたが
アルベールビル五輪の佐藤有香の演技を観てすっかり興奮していたそうだ
それを見ていたゴルデーワはグリンコフの追悼公演に有香を招待したほど
有香が幕張世界選手権で優勝した時はゲルシュイラーという頑固なコーチが
佐藤信夫に「素晴らしかったよ」と手紙をくれたそうだ
信夫はゲルシュイラーのヨーロッパ流の滑りをアメリカ流が主流の日本で
どのように取り入れるかとても苦心したがそれが有香の滑りの中に現れていたのだ
信夫と言えばあのミーシンが2016年のSkatingPj Podcastでこんなことを言っていた
「何人か素晴らしいスケーターの名前をあげられますよ
例えば佐藤信夫彼は素晴らしいスケーターでしたよ
チャンピオンになれなかったのは日本人だったから
当時はそういう時代でしたよ
もし彼がアメリカ人だったらチャンピオンになっていたでしょうね」 リレハンメル五輪ウソワ&ズーリンコンパルソリーダンス第一課題スターライトワルツ
ウソワの衣装と髪飾りが可愛いそしてウソワも可愛い
彼らはこれで1位を獲り金メダルを疑わなかったに違いない
金メダルを獲れなかったのはトービル&ディーンに対抗するために
フリーにキュートなプログラムを持ってきたデュボワの戦略ミスだった
前年世界王者になった時の「ブルース・フォー・クルック」が神プロだっただけに残念
しかも負けた相手がデュボワが彼らを守るために破門したグリシューク組
デュボワによればズーリンは不思議な人間的な魅力がある憎めない人間で
ウソワは稀に見る程優しさと繊細さを兼ね備えた他人の心の痛みがわかる人間で
彼らの演技にはとてつもなく深い芸術性があり観る人の心に人間的な暖かみを残すのだと
可愛いウソワ&ズーリンを守るためにはグリシュークを破門するしかなかったのだ
デュボワはグリシュークが実力で敵わないウソワ組を追い落とすために
人間として踏み越えてはならない一線を越えてしまったと言っていた
しかしグリシュークは全く正反対のことを言っている
「ズーリンが若いライバルを追い払うために世間知らずの二十歳の小娘を誘惑した
その後ウソワが電話してきてズーリンはタチアナ・ナフカと恋愛関係にあると告げ
それでやっと私は子供のようにまんまと騙されたってわかったのだ」と トリノ五輪トットミアニナ&マリニン「ロミオとジュリエット」
彼らはもともとシングルの選手だったが
トットミアニナはジャンプの上手い選手を見て将来を不安に感じ全露でも12位に終わり
「スケートを続けるならペアに転向するしかない」と14歳でペアに転向した
マリニンもジュニアの大会で若いプルシェンコに惨敗し
「今後彼に勝つことなどあり得ないしかしスケートは諦められない」と16歳でペアに転向した
彼らは地味な感じのペアで華がないとか面白くないとか言われていたが
彼らによく合った元気の良い「ロミオとジュリエット」で金メダルを獲得した
コーチはオレグ・ワシリエフ
キスクラで涙ぐむワシリエフは2004スケートアメリカを思い出していたに違いない
あの試合フリーの演技でリフト中にマリニンがエッジを引っ掛けてバランスを崩し
転落したトットミアニナは氷に叩きつけられて横たわったまま動かなくなったのだ
「実はあの時自分でも氷の上に歩いて出て行ったことを記憶していないんですよ
人間あまりにもショックが大きいと覚えていないんですね
マキシムにはスポーツ心理学者についてもらって2ヶ月かけてカウンセリングをしました
私自身ペアの選手だったからあのような事故が起こり得るのは誰よりもよく知っている
私もタチアナもそして他の誰も彼を責める人間はいません」 ソルトレイク五輪ナフカ&コストマロフのオリジナルダンス「リベルタンゴ」
この頃はまだ彼らは下位の選手だったが4年後トリノ五輪で金メダルを獲ることになる
もともと優れたジャンパーだったナフカはシングルの選手を目指していたが
コーチが生徒達をアイスダンスの選手としてモスクワに連れて行き
デュボワの試験を受けさせた時ナフカ一人が合格したのだ
ナフカと組んで長野五輪に出たニコライ・モロゾフも17歳まではシングルの選手だった
しかし同じグループの中にイリヤ・クーリクがいて
当時から彼は後にチャンピオンになる才能の片鱗を見せ
明らかに格の違うスケーティングをしていた
イリヤを追い越す自信を持てなかったモロゾフは
シングルスケーターとしての道を諦めアイスダンスへの転向を決断した
ナフカをアイスダンスの選手として育てたデュボワはこう言っている
「アイスダンスはフィギュアスケート界の中では最も新しい競技種目である
そして一般的にはシングルやペアの世界から落ちこぼれたものがやるものだ
という意識がまだまだ根強く残っていた」
タマラ・モスクビナも2016年のインタビューでこう言っている
「ソ連時代も現在のロシアでもレッスンは主にグループで行われています
選手達がまだ小さい頃には将来どのくらいの身長・体重になるのか全くわかりませんので
皆シングルスケーターとしてジャンプの練習をしていきます
その後シングルではいい成績を収められないかもしれないと思われた選手達を
ペアやアイスダンスのコーチ達が『ペア(アイスダンス)の可能性があるのではないか』
と見ることもあります『どの子とどの子を組ませようかしら』と裏で考えていたりね」 フィギュアスケート歴史スレになっとるがな
死ぬ前に色々と書き残した方が後世のためにもよい
おばあちゃん達頑張って書いてくれ ソルトレイク五輪ラング&チェルニシェフフリー「パリの散歩道」
当時テレビで観ていてなんて面白いプログラムだろうと感動したのだが
その時の日本での反応を見ると頗る評判が悪くて驚いた
オリジナルダンスの「カルメン」もピーターがカッコ良くて好きなのだが
直後の長野世界選手権では解説の藤森氏も大変不満のようで
ナオミの実力に合わせたプログラムでピーターの力が生かされていないと指摘
振付はどちらもあのズーリン
ピーター・チェルニシェフはグリシュークがデュボワに破門されて
リニチュクの所に身を寄せた時に少しの間組んでいた相手で
彼は当時アイスダンスの男子の中でも技術はトップクラスと言われていた
彼は18歳まではシングルの選手だったが怪我によりアイスダンスに転向していた
グリシュークは後にこのチェルニシェフと組んでトリノ五輪に出ようとしていた
「その様な素晴らしいパートナーと一緒なら私はトリノ五輪で
ナフカ&コストマロフとの真剣な金メダル争いをすることが出来たでしょう」
グリシュークは既に五輪2連覇していたしその間一度も負けることなく20連勝していて
記者から「あなたたちは転倒しても1位なのはなぜなのか」と質問されたほど
それほどの強さを誇り輝かしい成績を収めながらなお3個目の金メダルを目指したのだ
しかしスケ連にもう出ないでくれと言わんばかりに拒否されてその夢は叶わなかった カルガリ五輪デビー・トーマスショート「Something in My House」
完璧な演技だったがビットに及ばず2位でマクゴワンコーチは
「得点が低すぎるそれにビットはじっとデビーを見つめて苛立たせた」と怒
デビー・トーマスはスタイルも良くエレガントな黒人初の世界女王である
1984NHK杯では伊藤みどりに負けて「素晴らしい!私は遠く及びません!」と
謙虚なことを言っていたがその翌シーズン五輪女王ビットを破って世界女王になった
そしてカルガリ五輪のフリーは「カルメン対決」となった
いつものようにマクゴワンコーチと手をぱんぱんと合わせてリンクに出ていくのだが
その時2人のタイミングが合わずに手がずれてしまって私はそれがとても気になった
ビットもそれを見ていて「彼女酷くナーバスになってる」と思った
そしてトーマスの「カルメン」はヨレヨレの演技
その時キスクラの近くの席にいたゴルデーワは
トーマスが演技の途中でコーチに「ごめんなさい」と言ったのが聞こえたという
ビット「ここ何日かメディアから受けたプレッシャーに耐えきれなかったのだ」
この対決を見ていたブライアン・オーサーはこう言っている
「デビーには勝負への執着心がなかった彼女にとって五輪はすべてではなかった
カタリナにとって五輪はすべてだった彼女の人生がかかっていた」
トーマスは当時スタンフォード大の学生で
「スケートは大事だけど私にとってそれが一番ではなかった
子供の頃から医者になりたかったから学校が一番大事だった」
トーマスの演技で一番人気があるのはこの直後の世界選手権エキシ「ビギナー」(剣の舞)
これは初心者スケーターの演技を表現したとても楽しい演目で杉田&平松コンビの解説も楽しい
この演目は3年連続で演じていてその後長らく名作として語り継がれた伝説のエキシ アルベールビル五輪ウソワ&ズーリンエキシ「パリで」「枯葉」
とても素晴らしい演技なだけに観るのが辛い
この時はすでにズーリンはウソワを裏切っていたのだから
彼らの一番の神プロは1990世界選手権エキシ「カーニバル」(黒いオルフェ)だと思う
ウソワの衝撃的な衣装と美しい音楽が忘れられない
2人はまるで運命の綱に手繰り寄せられたかのようにほぼ同時にデュボワの所にやってきた
ある時デュボワは久しぶりに再会した親友にこう言われた
「あなたに引き取ってほしい女の子がいるのその子はしょっちゅう転んでは泣いてばかりいるの
コーチも彼女には全く興味ないみたいだし可哀そうで見ていられないというのもあるけど
それだけじゃない何か光るものを感じるの絶対に何かあるような気がするの」と
母親の手を握りしめてやってきた16歳のウソワを見てデュボワはいたく心を動かされ
試験もせずに引き受けることを決めてしまった
一方父親に連れられてやってきたズーリンはすでに17歳になっていたが
シングルとしてもアイスダンスの選手としても成功しなかった経歴を引きずっていた
デュボワはなぜズーリンを引き取ることにしたのか自分にもよくわからないという
しかしデュボワの選手を見抜く直観には確かなものがあったのだろう
以前マリナ・クリモワがある男子と一緒にパホモワの試験を受けた時
男子の方は合格したがクリモワは不合格になったので
2人はデュボワの所へ試験を受けにやってきた
デュボワは2人を合格させたのだが男子よりもクリモワの方が気に入ったという
その男子は数か月後にチームを去りクリモワは後に五輪金メダリストになった レークプラシッド五輪五十嵐文男ショート「管弦楽のためのラプソディ」(八木節)
日本民謡の音楽がフィギュアによく合ってかっこいいプロ
実はこの3年前彼は1977東京世界選手権の代表に選ばれなかったことに腹を立て
「連盟は僕を評価しないのね」「辞ーめた!」とスケート靴をリンクのごみ箱に捨てて帰った
驚いたスケ連は「せめて世界選手権のエキシで滑って華を飾ったら」と勧めた
そこで滑ったのが自分で振付した「八木節」
1977東京世界選手権と言えば佐野稔の涙の銅メダルが感動的だった
とにかくジャンプがバンバン決まってこれは凄いと興奮して観ていた記憶がある
一方文男は彼の「八木節」を観た何人かの外国のコーチから「うちに来ないか」と誘われた
しかし彼は世界女王リンダ・フラチアニを教えていたキャロル爺に教えてほしいと思っていた
「選手を見るとコーチの教え方って大体分かる彼は基礎をとても大切にした教え方をする
当時は振付もしていたが音楽の使い方も良かった」
しかし肝心のキャロル爺からは誘いがなかったので
手紙を書いたり自宅を訪問したりしてコーチになってもらったそうだ
そして世界選手権に出てフリー最終グループに入ったのは良いが
凄い選手達に囲まれてすっかり調子が狂って全くジャンプが跳べなくなってしまった
その上ロビン・カズンズの演技後花束の嵐になって15分も待たされた
しかし「凄いねエキシビションみたいだ楽しんで滑っておいで」
というキャロル爺の言葉に元気を取り戻しノーミスの演技が出来たそうだ
レークプラシッドでは優勝候補のフラチアニは素晴らしい演技をしたがまさかの銀メダルで
彼女はショックのあまり銀メダルを長い間目の触れない場所にしまい込んだという
キャロル爺はその後長い間フラチアニは不当な採点をされたと訴え続けてきた
40年以上経った去年もこんなことを言っていた
「リンダ・フラチアニは金メダルを獲るべきだったと思うが試合前から結果は決まっていた」 札幌五輪ジャネット・リンのフリー「道化師」「ノクターン」「レオノーレ序曲」
彼女は規定が4位に終わり金メダルが絶望的になって選手村に帰って泣いていたが
五輪で勝利するという当初の使命は果たせなくてもベストを尽くそうと心を切り替えたという
ジャネット・リンについては演技を観ていたことは覚えているが
それよりもカルピスの宣伝に毎日のように出ていたことの方が記憶に残っている
そしてずっと「札幌の恋人」ジャネット・リンが金メダルを獲ったと思い込んでいた
最近になって実は銅メダルだったと知って驚いた
そういえば同じ1972年のミュンヘン五輪でも「ミュンヘンの恋人」と言われたのは
金メダルのツリシチェワではなく台落ちしたコルブトだったね
翌年の世界選手権では規定の比率を下げる目的でショートが導入された
しかしそのショートで彼女は2回も転倒し結局一度も勝つことなく失意の中引退してしまった
しかし彼女を絶賛する声は絶えることがなかった
五十嵐文男「僕は特に彼女のスケーティングに惹かれましたねとにかくソフトで無駄がない
プログラム中ずっと正確なエッジに乗っていて流れていくように滑りきったんです」
「(後にプロの試合に一緒に出た時)驚いたのは彼女が滑るっていう時になると
各国の選手達がみんな控室から出てきてフェンスの所でひしめき合って見てるんです
そのくらい皆が憧れていたし尊敬していたんですね」
杉田秀男「ジャンプのレベルはあれから随分上がりましたが
未だにジャネット・リンほどの選手はいませんよ
音楽と一体となった演技を見せてくれる素晴らしい選手でした」
ISUのセミナーでは「バランスの取れたプログラムとは」という話題になると
ジャネット・リンの名前が必ず上がってくるそうだ
フィギュアスケートとはどうあるべきかという全ての答えが
彼女の演技の中にあるのだと 長野五輪伊奈恭子&ジェイソン・ダンジェンのショート「鼓童」
伊奈恭子はリレハンメル・長野・ソルトレイクと五輪3大会連続アメリカ代表で出ている
彼女はアメリカ国籍を選んでも日本人であることを誇りに思ってきたという
アルベールビル五輪はナターシャ・クチキ&トッド・サンドが
トリノ五輪は井上怜奈&ジョン・ボルドウィンが出ているから
アメリカは5大会連続で日系人女子がペアで五輪出場したことになる
小柄で細い日系人女子はペアには最適なのでしょう
実はルディ・ガリンドも「ペアをやってみたいんだけど」とコーチに相談した時
「身長があと10cm無くては無理だよ」と一笑に付されたのだが
ガリンドがリンクにいたクリスティー・ヤマグチを示すと
コーチは「なるほど」と本気になって考えてくれたそうだ
そしてガリンドの姉がヤマグチの母に話を持ち掛けヤマグチ&ガリンドが誕生したのだ
伊奈&ダンジェンのこの「鼓童」はひたすら笛と太鼓の純和風の音楽で
前年の世界選手権でも滑っていてその後フィギュアで「鼓童」を使う選手が増えた
ストイコも長野五輪とソルトレイク五輪で「鼓童」を滑っていて
2007欧州選手権ではコストナーがフリー「SAYURI」「鼓童」で優勝している
あんな大きなかんざしを2本も挿して芸者を演じたのはコストナー位かも
みんな「あれは箸だ」とか「転んだら危ない」とか騒いでいたが
そしてバンクーバー五輪のリード姉弟のオリジナルダンス「さくらさくら」「鼓童」は
着物を着て扇子を振り回して日本全開の演技だった
アイスダンスでも昔から日本の音楽はよく使われていて
サラエボ五輪の頃ボロジンスカヤ&スビーニンがフリーで渡辺真知子の「迷い道」を使っていたし
幕張世界選手権のグルシナ&ゴンチャロフのオリジナルダンス「別れても好きな人」も
2007東京世界選手権のデンコワ&スタビスキーのエキシ平井堅の「哀歌」も
どれも違和感なくアイスダンスとよく合って素敵だった ソルトレイク五輪伊奈恭子&ジョン・ジマーマン
フリー「パガニーニの主題による狂詩曲」
エキシ「An American Trilogy」
長野五輪の後伊奈恭子はダンジェンとはもう滑りたくないと言い出し
ジマーマンと滑ってみてその日のうちに彼と組むことを決めたという
フリーの振付は2度の五輪王者ドミトリエフそしてコーチがタマラということで
独創的な技が満載ミシュクテノクスピンも入って地元アメリカの大歓声の中で神演技
そしてエキシのエルビス・プレスリーがまた感動的な演目で
キャンドルリフトの時のジマーマンのイーグルは本当に見事だなあと思うし
終盤の「His truth is marching on」の所で伊奈恭子がジマーマンに高く持ち上げられて
両手を広げていくところなんかもう何度観てもジーンとくる
この曲は1991世界選手権エキシでナターシャ・クチキ&トッド・サンドが滑った曲で
この曲を聴くとどうしてもその時の感動も思い出す
タマラコーチは伊奈恭子&ジョン・ジマーマンについてこう語っている
「トレーニングを始めてすぐ2人の違いを感じました
生まれ育ちによる性格や考え方の違いです
キョウコはアメリカ国籍で長いことアメリカで生活していましたけれど
彼女のメンタルにはどこか日本的な部分がありました
日本人は義務をとても重んじていて感情を表に出さないし
目上の人を敬って言われたことはしっかり守りますよね
ジマーマンはとてもいいスケーターでいい人でしたけどそういうタイプではなかったので
2人が同じモチベーションで一緒にトレーニングするのはなかなか難しかったです
私たちコーチ陣は時間をかけてこの2人を一致させなければならなかったんです
同じ動きができるように2人とも同じ姿勢で練習に臨めるように
お互いを思いやって批判することがなく現役のペア選手として長く続けていけるようにとね
これはコーチの課題ですねコーチというのはエレメンツだけでなく
他の人やパートナーへの接し方も指導するんですよ」
伊奈恭子はシングルでも全日本ジュニアと全米ジュニアで優勝していて
シニアでも1997年まで全米選手権に出場していた
彼らは引退してプロになってからの演技の方が凄くて
引退後10年経って2人共40歳近くなっても信じられない高度な技を連発していた
素晴らしいペアだった トリノ五輪井上怜奈&ジョン・ボルドウィンショート「アルビノーニのアダージョ」
井上怜奈はアルベールビル五輪(ペア)とリレハンメル五輪(シングル)に出場し
長野五輪もシングルで出場を目指したが全日本で3位に終わり出場はならなかった
その後引退しようとしたが母親の勧めでアメリカに拠点を移し
土産物屋さんやお寿司屋さんでアルバイトをしながら練習していた
2000年頃ジョン・ボルドウィンの父親から何度も電話でペアの申し込みがあった
しかし怜奈はペアをするつもりはなかったので断っていた
あと1年シングルで選手生活をやって引退するつもりだったのだ
しかしあまりにも連絡があるので1度彼と滑ってみたら意外としっくり来たので
どうせあと1年上手くいってもいかなくてもいいかなという気持ちで受けることにした
ジョンの方ももう引退しようと思っていたのだが
親にペアをやってみるように勧められていたのだ
そして全米選手権ではビリから2番目の成績だったがジョンは意外にもこう言った
「時間をかけてちゃんと練習したら絶対いいチームになれる
あと1年間真剣に頑張ってみたい怜奈はどう?」
怜奈も「本当に真剣にやるならあと1年やってもいいよ」と答えた
そして2人は猛練習するようになり全米選手権でも優勝し
トリノ五輪ショートでは五輪史上初めてのスロー3Aを綺麗に成功させた
2人はバンクーバー五輪も目指したが全米で3位に終わり怜奈の4回目の五輪はならなかった
怜奈は「最高だったこういう風に現役最後を終えられたら良いと思っていた通りにできた
これ以上望むことはない」と引退を表明した シュルタイスのバンクーバーのフリー
なんの前情報もなく見たが衝撃的だった
ステップとか頑張れってとこもあるけどそれも込みで一つの作品として素晴らしいと思う
バンクーバー男子シングルの個人的MVPは断然これ