「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って?
ホンさんのFlash、素敵詩的すくりぷと ttp://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html 以前、「win限定、音入りバージョン」というのがあって ttp://web.archive.org/web/20050125090311/http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html そこには、最後の方で、洋楽(?)の歌が流れていました。ハーイハイとか言ってたかな? とにかく、幸せを音にするとこんな感じになるのかなぁ、と思うくらいに心温まる歌でした。 今は聞くことが出来ません。 無くなってしまった。 誰か歌名や歌手名を知っている方、どうか教えてください。
・みんなのうた「カゼノトオリミチ」 トトロの「風の通り道」じゃなかったんだね。 でも、これはこれでいいものだ。 優しい歌声が、ありそうな一つの日常をより叙情的に表現している。 空、森、人工物。ジブリアニメは本当に世界が美しい。 なびく髪やちょっとした表情などに「そこに人が生きている」感覚が詰まっている。 ここでの「カゼノトオリミチ」とは、人生の通り道。 都会で疲れた主人公は、休暇を取り愛する人が住む町に帰って来たんだね。 それはひょんなところから見つけた、人生の抜け道。 このまま、ずっと二人で暮らしていたい。主人公の心はゆれる。 でも、やっぱり。彼は、生きるために都会へ戻る決心をする。 しかしやはり都会が窮屈なものだとしても。 彼の愛する人が一緒にいれば、彼らはきっと耐えていけるのだろう。 やはり人生は、お互い支えあえる人と共に歩みたい。 ・みちしるべ いや、素晴らしい作品だ。 物語としての構成の巧みさと、それにマッチして心を揺さぶる音楽と絵。 「文章系として、一つの完成形」というのは決して大げさではない。 これはネタバレするともったいない……けど、感想なのである程度ネタバレ前提で。 私達は、生まれる前はどこにいたのだろうか? そう問うと、答えに詰まる人も多いかもしれない。 薄暗い母親の体内という一つの「狭い世界」から、 私達は「広い世界」へと進み出してきた。 進むか進まないかという自分の気持ちに関わらず、道が自分をはこんでいく。 しかし、長い長い道には……終点がある……。 そして、私達は終点から帰っていくのだ。私たちの後ろにある世界へと。 溌溂とした感性の息吹。これは他の人にも是非見て欲しい作品となった。 ただ、少しだけ疑問をば。終点の後も彼女は自分の意志で歩き出したのであるが、 それはどこへ向けて歩き出した比喩だったのだろうか。 歩き出すのであれば天国とは少し違う気がする。 私たちがは魂となっても私たちにはどこかに進む道があるということを主張したかったのだろうか。 それとも、単に私たちの魂が自由になったという比喩なのだろうか。 それとも、輪廻転生的な概念を示しているのだろうか。 それとも、広い世界で生まれた新たな命としての「はじまり」なのだろうか。 「終点から自分の意志で逃れた」という描写に、もう一歩具体的な踏み込みが欲しい。 途切れた。 人間が「終点を拒否する」というのは古来から何人もの人々が願い、しかし未だに達成出来ていないもの。 たとえ道しるべがあったとしても、そんなに簡単に自分の意志で歩き出せないところであるはずだ。 そういう認識が自分の中にあるので、若干の違和感があった。 でも、これを知ることができて本当に良かった。それは偽らざる思い。 折角の機会なので、これに関しては日刊氏の見解も聞いてみたい。 ・道しるべ 妄想とネタバレ全開で! 人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。 だってここにある道は、窓を開け見えるのは、元々は先人達が歩み、開拓し、踏み慣らしたもの。(癒着によって年度末にやけに丁寧に工事されてきたもの) だから終点の先を歩む。それはフロンティアを開き、足跡を残し、路を創り、後人に渡すということ。 それは定められた道を歩んでいくよりも、ずっとずっと緩やかで辛く険しいことだろうけど、きっと素敵なことですよね。 一方で迷い続けて一向に終点にはたどり着けそうもないわたしみたいな人も決して少なくないのでしょうが…… >この道を行けばどうなるものか。 >危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 >迷わず行けよ、行けばわかるさ。 (アントニオ猪木) ぬいぐるみと言うのが、重要な小道具として使われている気がします。 少女と寄り添い、抱かれ、地図を渡し、共に道を歩み、その終わりに青空があることを教え、別れる。 このぬいぐるみは誰から贈られたものだろう? 作中では描写されていない父と母から? 大きな大きな地図を残した沢山の先人から? 何が詰められていたのだろう? ほんとの光? 夢? 希望? 明日? 祈り? 色々と空想は広がります。 そしてこのFlashはそうした空想の余地を大きく残しているのが、魅力になっているんだと思います。 実際ベテランさんの解釈は、胸に響きました。それで自分なりに解釈しなおしてみました。 わたしは詩心がないので、どうも、胡散臭い解釈になってしまうのですが。 そして、わかりにくいことを、理解されないことを恐れず、平易な文章と「私」視点を最後まで貫いた、その作者の心意気にじわんときます。 >>152 >人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。 なるほど、そういう見方には気づかなかった。胡散臭いなんてとんでもない、重要な視点だと思う。 そうすると、たとえば「定年を迎えてのリタイア」(何かが見えてくると思い一心に仕事に打ち込んだが、最後には何も無かった) という見方もできるのかもしれない。それ以上は、作者のみぞ知るところなのだろうが。 解釈の幅広さはともすれば欠点にもなるけれど、確かにそれに対する作者の覚悟めいたものを感じました。 間接的な表現を突き詰めてこそ、達することができる境地がある。 このFLASHは、そこが魅力的であることに異存はありません。 それでは、今度は私から。 「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」 http://www.youtube.com/watch?v=T1q_0PXmJOk 私はロシア民謡が好きで、特にカチューシャを良く聞きます。 その中でもこれはアコーディオンの響きと力強い歌声がお気に入りで、 3分があっという間に感じ、つい何度もリピートしてしまっています。 一つの見方として、これはメロディーとリズムで人気がある曲です。 ひたすらに無心で聞いて高揚感を得るのが、楽しみ方の一つでしょう。 百聞は一見に如かず。まずはこの歌の魅力に触れてみてください。 ただ、私はこの曲の歌詞の意味を知るとより深く鑑賞出来るものだと思っています。 折角なので私なりに、それについて触れておこうと思います。 一般に歌われている日本語版の歌詞は、このようになっています。 リンゴの花ほころび 川面にかすみたち ■君なき里にも 春は忍び寄りぬ …繰り返し… 岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌 ■春風優しく吹き 夢がわくみ空よ …繰り返し… カチューシャの歌声 遥かに丘を超え ■今なお君をたずねて 優しその歌声 …繰り返し… リンゴの花ほころび 川面にかすみたち ■君なき里にも 春は忍び寄りぬ …繰り返し… これ、シンプルな歌詞のようで、実は歌詞の解釈がかなり割れます。 まず、前提としてカチューシャはここでは女性の名前を指します。で、恋人がいます。 そこで「君なき」の「君」とは誰なのか? カチューシャか、その恋人かです。これが難しい。 また「なき」は「亡くなった」のか「いなくなった」のかも解釈上微妙なところです。 もし「君」がカチューシャならば、これは恋人を慕う歌詞です。 里で、どこかへ行ってしまった恋人を想って歌うという情景ですね。 このときに「亡くなった」であれば歌声が届く場所は天国ですし、 「いなくなった」であれば、どこかは分かりませんが遠くの場所ということになります。 逆に「君」がカチューシャの恋人ならば、カチューシャを慕う歌詞になります。 恋人がかつての「岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌」を思い出し、 「カチューシャの歌声」が「遥かに丘を超え」ていったことを思い描き、 「今なお君をたずねて」いき、「優しかったその歌声」の思い出に浸る。 このときに「亡くなった」であれば訪ねる場所はお墓ですし、 「いなくなった」であれば、里から旅をして彼女を訪ねる道中の情景になります。 このどちらでも筋が通るので、解釈が分かれる歌詞になっているわけですね。 人と解釈の違いを比べてみる、というのもまた一興でしょう。 しかしロシア語版の訳を調べてみると、はっきりとどちらであるかが分かります。 咲き誇る林檎と梨の花 川面にかかる朝靄 若いカチューシャは歩みゆく 霧のかかる険しく高い河岸に カチューシャは歌い始めた 誇り高き薄墨色の鷲の歌を 彼女が深く愛する青年の歌 大事に持ってる彼からの手紙 おお 歌よ 乙女の歌よ 太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ 遠き国境の若き兵士の元へ カチューシャの想いを届けるのだ 彼は思い起こすか 純真な乙女を 彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を 彼は愛すべき祖国の地を守り抜き カチューシャは愛を強く守り抜く 咲き誇る林檎と梨の花 川面にかかる朝靄 若いカチューシャは歩みゆく 霧のかかる険しく高い河岸に 端的で無駄のない表現の中に、格調高さが光る秀逸な訳だと思います。 もちろん歌うリズムの関係もありますが、これを見ると日本語版は相当省略されているのが分かります。 これは、戦場に行った恋人を想って歌うカチューシャのお話だったのですね。 この訳を踏まえながらもう一度映像を見たとき、私には何も考えずに見た時とはまた違った感慨がありました。 「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。 カチューシャは恋人をひたすらに信じ、彼はそれを心の奥で切実に受け止めながらも前を向く。 それがあえて高らかに歌いあげられているからこそ、多くの人々の心を動かす。 自然に観衆が音楽と一体となっている姿を見ると、そう思えてなりません。 これは厳密な意味でのFLASHではないかもしれませんが、 「人の心を動かすものとは何か」という視点においては、何かしらの参考になるのではないかと私は思っています。 >「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」 高速の変化球のようで、受け止められないー。きっとかなりの労苦を背負って、贈ってくださった言葉なのに。無知なわたしを許してください。 あー、テトリスの曲ダー。ってのがわたしの第一印象。もうね、そこから、教養のなさを察してください。 このメロディーの中毒性は、わたしも含め沢山の日本人が、古びた旅館の遊技場とかで経験していると思う。 ドラムのようなビートが気持ちいい。胸に響いてきた。踊りたく。 何かの本にあった、ダンスの輪に入らないで外から聞いたオクラホマミキサーって、もうどうしようもなく物悲しいって言葉を連想しました。 歌になると濁音が雰囲気を作っていて、言語や声は一種の楽器なんだと改めて思う。想い出にまた一つ色が加わりました。ありがとう! 歌詞はふむふむ、解釈によってそんなに変わってしまうものなんですね。 創作物は、作り手と受け手の相互作用で意味をなすと捉えていただけに、新鮮な驚きでした。 「作り手」、「受け手」、の間にある「訳者」、「仲介者」によって如何様にも変化する。きっとそれはFlashを含めあらゆるものについて回るものなんだろうな。 ロシア語がさっぱりで、知識欲の薄いわたしは、ベテランさんの紹介に大きく依存してしまう。 それは今、此処になき(無き? 亡き?)作者が直接伝えられないジレンマでもあって、 こうした歌が時や場所を超え広がっていくのに欠くことの出来ない要素なのかも。 戦地に向けた恋人への歌。そして実際ドイツ軍との戦闘でも愛唱された歌。カチューシャは、兵器の名にも使われた。 ちょっとゾクリと来ました。湧き上がる群衆に、国旗に、軍服。 長い長い熱戦と冷戦の時代。危うい時代だったと思います。この歌が幾つかの感慨とともに、穏やかな時に歌われたことに、胸をなでおろします。 >「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。 強く、勇敢な言葉だと思います。その言葉を大切にしてください。愛も真実もわたしは信じられなくなっちまったんだぜ。ローラ! >>159 ストライクゾーンは人それぞれですから、お気になさらず。 ワイルドピッチが怖くてピッチャーなんぞ出来ませんからね。 (何食わぬ顔をしてワイルドピッチを重ねるARAKAKIはそれはそれでどうかと思う) むしろ、ストライクゾーンから外れた球でも取ろうとしてくれるその姿勢が有り難い。 人に何かを呈示しあうときに大切なのは、やはりそういう心意気だと思うんだ。 ちなみに、テトリスの有名な曲はコロブチカだったりします。 カチューシャとは微妙に違いますが、おんなじ様なものなので気にしないでください。 カチューシャと並んで私も好きな曲です。高揚感と中毒性。 ここで「テトリスはなぜ大ヒットしたのか?」に関する考察を展開したいところですが、紙面の都合で割愛させて頂きます。 参考:「TETRIS (テトリス) - コロブチカ (A-Type)」 ttp://www.youtube.com/watch?v=QQLR_CWNc9s >戦地に向けた恋人への歌。そして実際ドイツ軍との戦闘でも愛唱された歌。カチューシャは、兵器の名にも使われた。 >ちょっとゾクリと来ました。湧き上がる群衆に、国旗に、軍服。 >長い長い熱戦と冷戦の時代。危うい時代だったと思います。 実際、これは戦争の賛美歌であると抵抗を感じる人もいるというのは否定しません。 しかしここでは、私は戦争自体の是非はひとまず脇に置いておきたい。 仮に戦争を絶対悪としたとしても、愛と真実が真っ赤なニセモノだったとしても。 カチューシャとその恋人には、罪はないのではないでしょうか。 付言すれば、この映像から注目して欲しいのは「人がたくさん集まった時に生み出されるパワー」というべきものです。 FLASH界の中で、再びこのカチューシャのライブのように人を集め気持ちが一つになれる「何か」が生み出されることを願ってやみません。 そう受け取ってもらえると心が軽くなります。 多分わたしは全力投球しても、キャッチャーミットに届かないんじゃないかな。ワンバン、ツーバンと。 うわー、テトリスは間違いだったのかぁ。しかもゲームボーイだったとは。 まー、わたしの無学なところはより鮮明に伝わったようで、それはそれでいいか。本当にいい加減なやつだな、わたし。 >仮に戦争を絶対悪としたとしても、愛と真実が真っ赤なニセモノだったとしても。 >カチューシャとその恋人には、罪はないのではないでしょうか。 あー、いや、歌自体を、否定するつもりは全くなかったです。 きっと恐らく物凄く寒く、過酷な状況で沢山歌われ、心を慰めたこの歌は、それだけ人を惹きつける魅力があったんでしょう。 「愛」と「真実」、「正義」と「悪」、わたしは何というかほんとーにダメなやつだなぁ、 何かそういう言葉に憧れつつも、自分のものとして馴染まないなぁ、 だから真っ直ぐに向けられた言葉に対して。凄いなぁ、わたしには無理だ、わたしって寂しいやつだなぁと思う次第だったんです。 あー、ここら辺はプライベートなガラスのハート。(うーん、よくわからんっすね) 何か歌自体じゃなく、使われ方の怖さっていうのかな。 例えば今はFlash系ゲームの全盛期。黄金期。ソーシャルゲームってやつです。CMで沢山の人に認知され、お金をガンガン稼いでます。 でも周りの声を聞いていると、ちょっと怖いですよね。バブリーでもあり、ギャンブルでもあり。必ずしも笑顔を作っているとは思えない。 わたしは実際、敬遠していて触れてないので細かいことはわからないのですが。 >FLASH界の中で、再びこのカチューシャのライブのように人を集め気持ちが一つになれる「何か」が生み出されることを願ってやみません。 兄の全盛期のFlash紅白の受け止め方です。 ttp://www.logsoku.com/r/swf/1104128577/ 兄は不器用な人で、沢山人がやって来ると逃げちゃう人なんですね。このスレ立てたみたいに。 でも、そんな兄の言葉を振り返ってみると、好きです。当時はどちらかというと苦手だったんですけど。 この他にも沢山の人と騒ぎ合って、出会いがあって、本当に無駄に、でも幸せに、時間を過ごしたようです。 今年はこれだけ魅力的なコンテンツなのに、反応が少なすぎて…… ちょっと面白いのがあるのですよ、もっともっと寄ってらっしゃいって気持ちはあるのですが。 ベテランさんみたいな人が、そう願い続ける限り、きっと、まだ終わらないと思います。 作者さんも名無しになって、積極的にスレに参加すれば感想を書き残す雰囲気があれば、とわたしは思います。恥は書き捨てる為にある。 そうすれば少なくとも三十人分の歓声が響くのだから。 ライブっていいですよね。拍手と歓声と歌声が一体になって、とても楽しく響く。 ちょっと思ったままを書いてみたので、脱線や的はずれな部分が大きいと思います。それでも躊躇わないのだ! 送信! >>161 >>162 無学なんて卑下しないでください。 私も学があるわけではなく、凡庸な一人に過ぎません。 私の文章の半分は知ったかぶりで出来ています。残りの半分は優しさでありたい。 >例えば今はFlash系ゲームの全盛期。黄金期。ソーシャルゲームってやつです。CMで沢山の人に認知され、お金をガンガン稼いでます。 >でも周りの声を聞いていると、ちょっと怖いですよね。バブリーでもあり、ギャンブルでもあり。必ずしも笑顔を作っているとは思えない。 モバゲー、グリー等の台頭は、GBとファミコンから任天堂に親しんできた私にとってはどこか寂しいものがあります。 ただ、任天堂とソニーを筆頭としたゲーム業界の斜陽は、どことなくFLASHの辿ってきた状況に似通っている気がします。 ここで私としては「ゲーム業界の現状についての一考察」を書いておきたいけれども長くなるので割愛。 そして「第三回紅白FLASH合戦」……その感想を改めて見る機会を与えてくれて感謝したい。 お兄さんはここで既に活躍されていたんだね。不覚にも目頭が熱くなった。 紅白FLASH合戦を知ったのは三回が終わった直後ぐらいのときなので、まだ自分はそこにはいない。 そこからはまりこみ、さかのぼってどんどん見ていったんだなぁ。 そう考えると、自分は案外ニワカな気もする。 >作者さんも名無しになって、積極的にスレに参加すれば感想を書き残す雰囲気があれば、とわたしは思います。恥は書き捨てる為にある。 >そうすれば少なくとも三十人分の歓声が響くのだから。 これは的のど真ん中なところで。 私が今回の紅白を通じて訴えてきたことは正にそれなので、理解してくれる方がいて本当に嬉しい。 職人の方々が聞いたら厳しいと感じるかもしれないが、 「FLASHがそこにある」だけで他人から感想をもらえる時代は、もはや終わりを告げたと言っていいだろう。 感想はオマケと考えて趣味を貫くか、開き直って営業努力をするか。 その二択に迫られるのではないかな。。。 あと運営の方々は、どちらかといえば展示会みたいな方向性を考えているのだろう。 なんだろう、上手くいえないが……/upの二の舞になるのを避けてくれれば、あとは何も申しません。 私は共同体の再構築を望むけれど、立場を越えて人々が再び集ってこない限りそれは無理なのだろう。 一人の観客として、既に自分の意見は書くだけ書いた。 後は運営と職人の方々の選択を見守っていきたい。 ほたーるのひかーり まどーのゆきー フィナーレは近いかな? あー、わたしは、自己ヒゲと嘘ばっかりで、周りから変にひかれてしまい、ご心配をおかけになるかもしれませんが、そんな自分が好きでもあり。 だからあまり心配なさらないで。でもお心遣いありがたいです。 わたしは、むしろモバゲーやグリーの方に、加えればKPOPのようなものに、嘗てのFlashブームを投影してしまう。あの頃も多くの人が夢を見てそれ故に傷つ(以下略) 人は飽きっぽい動物なんですよね。 slashup、あれは絶望的だった。のまねこ騒動、あれも酷かった。あれから暫く兄もわたしもFlash板から離れていた。 ベテランさんはあの時代を乗り越えていたのかー。それはとても、有難い、ありがたいことだなー。 感想は営業どころか自分の為になりますよ。力になりますよ。Flashとは別分野のわたしが言うんだから、間違いない(おいおい) モノの見方が広がり、言語化することで心をより豊かにし。思いを綴るキッカケとなり、文集力は自然と上がり、とても前へ進む心の刺激を与えてくれる。 それにニコニコやyoutubeみたいに気軽にコメントできる場所も増えた。嘗ては絶滅したかのような著作権侵害の黒作品どころか真っ黒なものも増えた。嗚呼バンプオブチキン。 Flash制作に関わる人なら、尚更。作品を見るだけでも得るものがあるし、正面から向き合うことで、する方も受ける方もお互い技術や魅せ方を学ぶ修練にもなるでしょう。 ベテランさんはどう思います? まー、明日は明日の風が吹くサー、と。 共同体ができても多分、わたしは離れていくだろうなー。こんなヤツが何処かに一人くらいいてもいいよね? わたしは第三回紅白の頃よりも、今の方が好き。この世界は思ってたより素晴らしく、この足は自分で思ってたより頑丈みたい。 >>165 >わたしは、むしろモバゲーやグリーの方に、加えればKPOPのようなものに、嘗てのFlashブームを投影してしまう。 ああ、そういう見方も確かに。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。 ブームがやってきて、終わった。それだけのことなのかもしれませんね。 >感想は営業どころか自分の為になりますよ。力になりますよ。Flashとは別分野のわたしが言うんだから、間違いない(おいおい) >モノの見方が広がり、言語化することで心をより豊かにし。思いを綴るキッカケとなり、文集力は自然と上がり、とても前へ進む心の刺激を与えてくれる。 >それにニコニコやyoutubeみたいに気軽にコメントできる場所も増えた。嘗ては絶滅したかのような著作権侵害の黒作品どころか真っ黒なものも増えた。嗚呼バンプオブチキン。 >Flash制作に関わる人なら、尚更。作品を見るだけでも得るものがあるし、正面から向き合うことで、する方も受ける方もお互い技術や魅せ方を学ぶ修練にもなるでしょう。 全く同意見です。しかし、今残っている職人様方は、奥ゆかしい方々が多いようで。 昔は、名有りでも職人の方々の感想が飛び交っていました。ですが、今はその土壌は失われてしまったようです。 感想の集積に意味を見出す方も、それほど多くないのでしょう。 運営さんがコメントを推奨してくれたならあるいは……と思ったりしますが、中々しがらみもあるのでしょうから。 >共同体ができても多分、わたしは離れていくだろうなー。こんなヤツが何処かに一人くらいいてもいいよね? >わたしは第三回紅白の頃よりも、今の方が好き。この世界は思ってたより素晴らしく、この足は自分で思ってたより頑丈みたい。 日刊氏はそういうスタンスなのでしょうね。もちろん、結構なことでしょう。 共同体というのは、意志の集まりが先にありそれが実体化したものです。 ですから、根源的には意志を持たないものを縛り付けるためのものではない。まあ、それも今の時点では仮定の話です。 皆が間接的にせよFLASHの個化、分節化を望むというのであれば、もはや私にできることはないですから。 正直なところ、私には、日刊氏が自分一人で歩いていけることが羨ましいです。 もし他の人も思い思いに歩いていけるのなら、私はまた山上の隠者として、雲海を見ながら風を感じていたいかな。。。 >ブーム あー、細かく言うならあれです。ブームの演出、捏造(敢えてキツイ表現をするなら)をしてるって感じ。 元々、一定の人気や口コミ評価があったんだけど、メディア戦略なのか、急に大人気な流行ものやメジャーなものにしようとした。 結果、一瞬は輝いたんだけど、その後にはそれまであったペンペン草も生えなさそうなのって。 ソーシャルもKPOPも勢いが鈍っただけでそこまで行ってないので、わからんですが。でも「怪盗ロワイヤル」や「ヨン様」とかは。 Flashでは「ノマネコ」や「やわらか戦車」とかが顕著っすね。どちらも作品や作者に非がないところも含めて。 まー、そーゆーわけっす。slashupもそうかなー。あぐかるもそうかなー?(おい) 何だろうなー、怖い。あとお金が絡みだすと、チャネラーはかなり冷たくなるような。 >雑感 あー、何か重たいものを背負っているって感じがします。 理想と現実のギャップってやつかな? 過去と現在と未来ってやつかな? あれだけの強い意志で呼びかけしている口から出た言葉なので、わたしはどう応えたらいいか。てきとーな人間なので。 感想とかは義務でやりだすと、自分も周りもとても辛い思いをするのを兄が教えてくれました。 花ちゃん、いいかい、鼻歌でスキップするんだ、それならたとえ疲れても迷っても、笑顔は消えない、ってか。 わたしはほんとに何もできないし、しませんが、ちょっと息を抜いたり、愚痴や本音をこぼしたり、そんなんに成れたらなーと思います。 えっと絶望はしないで。でも過度な期待もしないで。 今を懸命にもがいて、もがききって、ぶったおれて、もうダメポって感じまで行けたらなーとわたしは思う。 なんてね。 実際のところは、陽だまりでうとうとして寝言を言っている感じ、になるんじゃないかと。 カチューシャへの道は果てしなく遠いっす。 >ブームについて ああ、そういうニュアンスだったんだね。 確かに情報社会であるがゆえに、上手く情報を操作すれば「ブーム」はいともたやすく作り出されてしまう。 演出と捏造、なるほど。そういう視点でFLASHブームを見たことは無かったので、興味深い。 あと2chは、基本アマチュア・同人的サブカルチャーであるのかも。 なのでお金は持ち込みたくないし、持ち込まれたくない。そういう文化的特徴がある気がする。 >雑感について 私は何か背負ってるのかな。どうなのかな。 一介の観客なので、たぶん何も背負っているものはないんですよね。 そういえば、最近笑ってないかもしれません。 笑顔になるだけの、心の余裕を失っているのかも。 自分はなにも背負ってないのにね。不思議ですね。 また、日刊氏の在り方には「上善水の如し」に表される道家、すなわち老荘思想の魅力を感じます。 水が上から下に自然に流れる。それが道家における「道」なんですよね。 しなやかでいくべきところにいく、自然体の心地良さ。それを日刊氏のコメントから感じました。 ぜひ、そのスタンスは大事にしてください。 陽だまりでの寝言は、気持ち良さそうですね。 しばらく、となりでひなたぼっこしていてもいいですか。 ブームって難しいですよねー。 最近になってステマという言葉が使われているように、もう如何にもなブームの仕掛けは通じないと思いつつも、「祭り」のように燃え上がるとすんごい感じ。 2chはアマチュア色つよいかー。確かにそう思う。 あー、何か変に惑わせてしまいごめんなさい。 くー、後から見るとかなりポエミー入ってます。 恥ずかしい。 スタンスがないのがわたしのスタンスなんで、これから変わっていくだろうけど、大事なものは大事にしなきゃ、ですね。 どうぞどうぞ、もう何でも吐き出してやってください。 わたしもちょっと会話に飢えてたところがあるので、楽しい感じに。 気軽に会話するところって、少ないんですよね。 でも、わたしには特にコレといって語るものがなく、だらだらになっちゃうし、ベテランさんはベテランさんだからこそ惹きつけられる魅力があると思うので。 私の方向は向かないでください。というか向かれると、わたし的に困ります。もろ被りで上へと行かれると、わたし的な感想書けなくなっちゃう、ような、そうでも無いような。 ゆるゆると。 >>170 2chは要するに「王様の耳はロバの耳」といいたいみんなが叫ぶ場所。 一緒に王様の悪口を言ってた人が王様側についたら、それはやっぱり不機嫌になるでしょうね。 のまねこ騒動から、いつのまにこんなに年が経ったんだろう。 自分も年をとるわけだ、やれやれ。でも私は14歳です。設定上は。 ちなみに私の会話は愚直に前に突きすすむか、斜め上に吹っ飛ぶかの二択なので、 そこまで日刊氏と被ることはないかなぁ、と思ってたりします。 人の感想と自分の感想を見比べて悦に入るのが、私は好きです。 違いが有るからこそ、そこが逆に面白いと思うんだ。 せっかくなので次いってみよう。 愛を信じられなくなった日刊氏におくる、歌シリーズ第2弾。 もちろん、このスレを見ている他の人にもおくりたい曲です。 「スカボロー・フェア サイモン&ガーファンクル」 ttp://www.youtube.com/watch?v=He-LXx0dsL4 まあ、メロディーと響き渡る歌声が作り出す世界に浸ってください。 この映像に収録された風景は現代のものですが、情景としてイメージを作るのに一役買ってくれます。 歌詞がしっかりついているので歌いやすいのもよい。 やはり心が落ち着き、安堵感に浸れるのがこの歌の一つの魅力といえるでしょう。 男性がスカボローに行く旅人に出会い、かつて愛した女性に宜しくと言づてを頼む。 人でにぎわうスカボローの市場には、青々とした新鮮な野菜が売られている。 このような、和やかな日常風景がイメージできるはずです。 歌詞は、日本語に訳すと次のようになるということです。 スカボローの市場に行くのかい? (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム) そこに住んでいるあの人に宜しく伝えて欲しい かつて、私が真の愛を捧げたあの人に 薄い布地のシャツを作ってくれるようあの人に伝えてほしい (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム) 縫い目も無く細かな針仕事もしてないシャツをね そうすれば再び、真の愛を捧げることができるだろう 1エーカーの土地を見つけてくれるようあの人に伝えて欲しい (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム) 海と海岸の間にね そうすれば再び、真の愛を捧げることができるだろう 革を鎌の形にして刈り取りをするようあの人に伝えて欲しい (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム) そして、短いヒースの束の中に全部入れるようにと そうすれば再び、真の愛を捧げることができるだろう スカボローの市場に行くのかい? (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム) そこに住んでいるあの人に宜しく伝えて欲しい かつて、私が真の愛を捧げたあの人に ……やっぱり、平和な感じを受けますね。 中世の町並みが、浮かんでくるいい歌です。 ……これでめでたしめでたし、といいたいところですが。 しかし、この歌はそれだけでは終わらないんですよ。 (パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム)の部分。 これは「男性」が市場の野菜を思い浮かべたのではなくて。 実は「旅人」が言っている部分なのです。 要するにこういうことです。 A:スカボローの市場に行くのかい? B:パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム A:薄い布地のシャツを作ってくれるようあの人に伝えてほしい。 B:パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム A:1エーカーの土地を見つけてくれるようあの人に伝えて欲しい。 B:パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム A:革を鎌の形にして刈り取りをするようあの人に伝えて欲しい。 B:パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム そうすると旅人は男性に尋ねられているのに、野菜の名前を連呼していることになる。 しかも、男性も実現が不可能なことばかり頼んでいます。 なぜ、このようなことを言っているのか。 そのヒントになるのは、サイモン&ガーファンクルが加えた自作の詠唱部分です。 動画の中では括弧にくくられていた歌詞がこれです。 深い緑に包まれた、丘の中腹で、 雀を追いかけ続けて、茶色の羽に頭の白い奴をね 毛布と寝具の中、山の子供は、 召集ラッパの音にも気づかずに眠る 丘の中腹で、わずかな木の葉の 銀の露だけが家族の墓を洗い清める 兵士となった子供は銃を磨くばかり 戦は轟き、紅の軍隊の中を燃え上がる 将軍は兵士に殺せと命じる 長い間思い出すことの無かった大義のために戦えと これは、いわゆる反戦歌です。 サイモン&ガーファンクルはなぜ、反戦歌を詠唱としてわざわざ加えたか。 それは、本文には戦争の悲惨さが編みこまれているという見解だったからに他ならないのです。 そこで(パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム)に戻ると、 これらの野菜は、古来「災難、悪霊除け」に使われていたらしいのですね。 ……ということは。 一般の人が抱くであろうイメージが、ここで大きく崩れさる。 かつての「なつみSTEP」さながらの二重構造が私達の前に立ち現われるのです。 つまり、この歌に歌われているのはこういうことです。 男性は戦場で斃れ、亡霊となっていた。 しかし、彼は愛した人が心残りで成仏出来なかった。 そこで彼は通りかかった旅人か、生き残って帰還する兵士に最後の言付けを頼む。 彼らは生きた心地もせず、ただひたすら悪霊払いのおまじないを唱えるだけ。 男性は、心の底では二度と彼女に会えないことを分かっていた。 もはや、彼の目には涙はない。 しかし、それでも彼女にもう一度会いたいがゆえに。 ただひたすらに、不可能な問いを……繰り返すばかりだったのである。 また、反戦歌で歌われているのは、彼もしくは彼の息子の生い立ちなのでしょう。 戦争は、ただ淡々と人を戦場に送り出し、国家の名の下に斃れさせていく。 無垢な少年が、戦争になすがままに飲み込まれていく様子が述べられているわけです。 そこまで意味が分かったあと。再び、この歌を聴いてみてください。 日本は、有数の平和な国です。 かつての大戦は終結し、世界は平和への道を着実に歩き出しています。 しかし、私達は今も様々な場所で紛争や諍いが起きていることを忘れてはならないでしょう。 無益な争いに巻き込まれ、無念の内に斃れる人々は今でもゼロではない。 それは世界においても日本においても、また同じ。 この歌に込められたのは、無情にも引き裂かれた愛。 その悲しみの連鎖は、今も止まってはいない。 聞き終わったあなたは、この世界に何を感じ……何を思うのでしょうか。 (訳と解釈の参考サイト:ttp://kifuru.web.fc2.com/fair.html) >>171 そうですね。一人一人、見方が違うから面白い。17歳くらいのベテランさんも見たいです。青春! あと、わたしは感想のカブリを気にしすぎてしまってたかなと反省。 わたしやベテランさんみたいに長文で語ってる人がいると、感想内容がかぶる人も自然に増えていくと思います。 その時に、「俺のコメントはいいや、あなたに任せる」って人も出てしまうかもしれないけど、 それでも敢えて「俺もこう思う、君もそう思ってるんだね」(ハゲシク同意とか)と書ける気楽さがあってもと思う。 何だろうな。独創性の競争じゃないんだから、感想の下手さや上手さを選別してんじゃないんだから、過疎ってんだから、 一人でも多く一言でも多く、自然体でレスできる心みたいなのがあったらと。 ここでの二人のやり取りも、見ている方がいたら野次でも飛ばしてくれぇ。 地獄からスレ主の兄の許可もとっている、というか元々そんなカセは無いわけで。 ・スカボロー・フェア サイモン&ガーファンクル 初見で、落ち着いたー、癒し系だー、と言わせるのが狙いだったのかもしれないけれど。 それでもざわざわっとしたモノが残った。 ギターと歌声というシンプルな中にも、クリスタルのように透き通った声でも、メロディーや音のハモり方に、何とも言えない切なさを感じたのです。 あと郷愁も滲んできました。何処か遠い地から見つめてるのかなと。 解釈を読むと、そうした謎がはっきりとしてきました。 反戦歌なのかな? 自分にはレクイエムに聞こえました。 確かに戦争の無慈悲さが強調されるのですが、それ以上に人情的な無念さかな、そういうのを親身に受け止め、歌に託す感じが。 ひたすら陽気なカチューシャも、何処か哀愁を感じるこの歌も、どっちも言葉にできないほどに、胸に染み渡る。 わたしが生きているこの世界。 わたしが立っているのは現代日本の平々凡々な生活なのだけど。その下には、数え切れないほどの苦悩や苦労が横たわっている。 ごきぶりを叩くことにさえ抵抗を覚えるわたしでも、 廃棄や大量生産で命を物凄く消費し奪っているファーストフードのハンバーガーなんかを平気な顔して食べている。 だから、わたしには、この歌の亡霊みたいな人に心震わせられるけど、いざ自分の見える地平の先でそうしたものがあると思うと、 あー、ほんとに呑気なやつだなぁ自分って。 今と、この場所に感謝しないと、と身につまされてしまう。 愛ってなんだろう。それは素敵詩的すくりぷとみたいなものかなー。兄が愛したあの歌の歌詞はなんだったんだろう? あー。 わたしはこーゆーストレートものも好き。 ttp://www.youtube.com/watch?v=NWs07TQZhBI ・さよなら、モナーRPG ダウンロード ttp://www45.atpages.jp/vipkohaku2012/db/profile.cgi?_v=033&tpl=view2 VIPRPG紅白2012 ttp://www45.atpages.jp/vipkohaku2012/db2/profile.cgi?type=and&tpl=view2&key=&sort_item=19&sort_mode=4 最近こんなんやってました。一気にやりこんでしまった。 RPGツクール2000。デフォルメされてライトになってますが、グロいシーンもアリ。 短編寄りの中編っぽいボリュームです。でも濃縮されてる。エンカウント率が程々に低めなのが嬉しい。 2012年VIPRPG紅白の作品。こんな大会もあったなんて。Flash「紅白」が2chに残したものは、こうして実を結んだりするのですね。 フリーシナリオながらも、光る曲とマップ構成、絶妙な戦闘バランス、ギミックの楽しいダンジョン攻略、新しい宝箱を開けた時の喜びを堪能できる。 RPGとして綺麗に纏まっている。自由さと丁寧さが、かなり高いバランスで取られている。 戦術性もある。でもわたしみたいなゴリ押し派でも結構いける。 世界観は2chらしく、かなりカオスな作りになってるけど、それが新しい土地へと進む心の刺激に繋がっている。 何だろう? このドキドキ感。市販のRPGなら「ゼノブレイド」以来。ツクール系ゲームなら実に「夜明けの口笛吹き」以来の不思議世界を冒険してる感じ。 なんかオススメしたくなっちゃった。Flashとは関係なくてゴメン。 >その時に、「俺のコメントはいいや、あなたに任せる」って人も出てしまうかもしれないけど、 >それでも敢えて「俺もこう思う、君もそう思ってるんだね」(ハゲシク同意とか)と書ける気楽さがあってもと思う。 >何だろうな。独創性の競争じゃないんだから、感想の下手さや上手さを選別してんじゃないんだから、過疎ってんだから、 >一人でも多く一言でも多く、自然体でレスできる心みたいなのがあったらと。 >ここでの二人のやり取りも、見ている方がいたら野次でも飛ばしてくれぇ。 激しく同意。ただ、スレタイ的にこのスレを見てる人は少ない希ガスw (こういう言い回しも、少なくなってきたのかもしれない) ちなみに、素敵私的すくりぷとの歌については私も分からないので、 まだまだこのスレは続きそうですね。 >>180 なるほど、そうですね確かに主題はレクイエム。 「歌に託す」という感覚は、私も強く感じていました。 旅人は、慄きながらも彼の願いを受け入れ。 彼は、心残りが無くなってついに成仏する。 旅人は彼女の家を探し、見つけてそれを伝え…… その言葉の意味を理解した彼女は思わず涙する。 私はそのような後日談を思い浮かべました。 ・Electric Harmonique いいですね〜、味がある絵と率直につづられる言葉。 思い出に浸っていて、6分間が長く感じなかったです。 歌詞を重視する私としては途中のところもあったほうがよかったですが、 それも演出の範囲内なのでしょう。 私は恋人はいなかったですが、心通じ合えた親友がいました。 光陰矢の如し。本当に、時の過ぎるのは早いものです。 子どものころよく遊んでいた男の子。今から思えば、それは初恋。 今はもう、どこか遠くにいってしまって会えないけれど。 自分の心の中には、今も彼がいる。 ここら辺の歌詞、特に心に響きました。 自分なりに訳しなおしてます。 >what All stories end, another one begins. >And I meet you again somewhere across the time.... >But It's just hard to tell you could find. (私の全ての「人生」という物語が終わり、そうしたら、もう一つの物語が始まる) (そして、私はあなたともう一度出会う。――どこかの時の交差点で) (まあ、あなたに「見つけた!」と告げることは難しいだろうけれど) 後、誰かが言ってましたが、結局のところ「FLASHはただのツール」だと思うんです。 私はFLASHを通して、作者の意志、創造性、感性、人間性を見ていますから。 だから、世の中の全てのものはFLASHの題材となり得る。 よって「FLASHとは関係ない」ものというのはないと思っています。 FLASH以外でも何か気になった題材はぜひ。 というか私からも投げつけます。たぶん。 「さよなら、モナーRPG」は評判が良いのですね。 書かれている他の方の感想を見て、日刊氏が私に伝えたいことが分かるような気がしてます。ありがとうございます。 ぜひ時間を見つけてやりたいのですが、 今私は「ファンタジーライフ」「ドラクエ7」という時間を食いまくるゲームに加え。 「レイトン教授 超文明Aの遺産」もプレイしようとしており、 しかも普通に仕事が忙しくなるとゲームをする時間すら取れない。 どうしてこうなった!状態です。 ちなみに、その前は「RPGツクールDS+」で150時間をかけた末にエターナりました。(未完成で放置ということ) 我ながら何をしてるのか良く分からない。 ここは過疎スレ、クレクレスレ、誰も見てない、誰も見てない。 自覚せねば。 >スカボロー・フェア サイモン&ガーファンクル こうして歌に残って極東にまで伝わったってことは、旅人は体験したことを閉じ込めず何処かの酒場で語ったんじゃないかな。 それが元でポピュラーソングになって、何時しか彼女の耳にも届いたとしたらいいな。 ちょっとメタ視点になってすいません。歌になったことで、救われたんじゃないかと思いました。 そしてわたしたちの心にも救いがある。悲しい歌でも、恋人の姿を思い浮かべて、気持ちを新たにする。何というか、あーというか。 >Electric Harmonique 雰囲気が好きです。包み込むような柔らかさみたいな優しさがあって。ベテランさんの解釈や訳を聞いて、また深く好きになりました。 最近は歌詞で訴求する歌が、ヒットチャート上位に中々、無くて、ちょっと寂しいです。 でも歌いやすさというのかな、 カラオケで歌われるようなある種のお手軽さがある作品が受けがいいってのは、それはそれで喜ばしいことなのかも。 >VIPRPG紅白2012 RPGツクール作品って中々、手にとってもらえない。 イベントを知るのに一困難、ダウンロードをするのに一困難、長いプレイ時間に一困難と。 だからこのイベントでのプレイヤー投票によるランキング、レビューの紹介を、公式サイトに入れるというのは、凄く合理的だと思います。 暫くRPGから離れていた、イベント開催スレッドを知らなかった自分でも、手にとってしまったので。 Flash紅白じゃ、どうなんでしょ? ツクールと違って手軽さがあるので、必須ではないと思うのだけど。 作品数が爆発的に増えない限り、何とかなるっぽい? でも、運営の一言コメでもあると、賑わって面白いかなあ。現状の作品の羅列だけじゃ、ちょっと寂しいよぉ。 ドラクエ7かー。プレステでやったことがあります。どう、リメイクされたんだろ? 気になるけど、わたしも時間的に厳しい。 ちなみにドラクエ10にハマるとヤヴァイみたいです。生活リズムが変わっちまうそうです。 >Flashはツール あー、なんか同意です。 FlashがFlashに影響されるという時は転換し、映画や音楽や本やゲームかなどなど、他のところから強く影響を受けるFlashの時代になったのかも。 わたしはあんまり作者のことは考えてないです。どちらかと言うと第三者というか、読者の方を意識してる。それ以上に1年後の自分を意識してる。 自分に恥ずかしくないようにね。実際は後悔の連続なんですが。 そこがベテランさんとわたしの大きな違いなのかも。 >ここは過疎スレ、クレクレスレ、誰も見てない、誰も見てない。 粗末な山小屋でも、明かりを灯し、毛布をひき、屋根を修理すれば……意外に居心地がいいものです。 ふと、旅人が迷い込んでその暖かさに触れることもあるかもしれません。 いきなり盛り上がることはなくとも、気長に、気長に。 少なくとも、私はパチパチと音を立てる暖炉のそばが心地良いのですよ。 >Flash紅白じゃ、どうなんでしょ? ツクールと違って手軽さがあるので、必須ではないと思うのだけど。 >作品数が爆発的に増えない限り、何とかなるっぽい? >でも、運営の一言コメでもあると、賑わって面白いかなあ。現状の作品の羅列だけじゃ、ちょっと寂しいよぉ。 そうだね。FLASHではここまでしなくても大丈夫かも、とも思うし、 やっぱり寂しいのは嫌だからもっとやって欲しいとも思うし。 少なくとも、イベントの有り方として何かしらの参考にはなるのだと思う。 考えてみると、ブームが終わり作品数が減ったからこそ。 かえって、できるようになることもあるのかも。 全盛期の時から、様々な場所での「量」が減ったことで……逆に「質」を高められる場所もあるはずでは。 まあ、具体的にそれが何なのかは、自分には分かりかねるけどさ。 >わたしはあんまり作者のことは考えてないです。どちらかと言うと第三者というか、読者の方を意識してる。それ以上に1年後の自分を意識してる。 >自分に恥ずかしくないようにね。実際は後悔の連続なんですが。 >そこがベテランさんとわたしの大きな違いなのかも。 なるほど、FLASHを通してそこに何を見るかというのは人によりけり。 そういう違いが有るというのも、また趣深いといえるでしょう。 ただ、文章を公開して後悔するのは私も同じなんですけどね。 最近、印象に残ったものを円盤投げしてみます。 「2013/3/2、朝日新聞、青be投書欄」 >小学6年の息子が、国語の問題で「傍線部の言葉の品詞を答えなさい」と聞かれ、 >「夕焼け」を「感動詞」と答えていた。 >そうか、そんなに素晴らしい夕焼けを見たことがあるのか…… こういう感性、私は大好きです。 もちろん、テストに書いたらバツだとしても。 人生では、先生に教えられることだけが正解ではないのです。 「名詞」という正答自体に価値が無いものとは、私は考えません。 何かの体系を知ることで、私たちの世界はみるみる広がっていくのですから。 でも、この生徒とは、なんだか友達になれそうな気がしてます。 キミは自由だ、大空へ翼をはためかせて飛んで行け。 そう思わされる投書でした。 暖かい。 いわゆる文字の羅列に、それを感じていただけると、嬉しいというか、分不相応だなーとか思ったりします。 ベテランさんはもうちょっと高いところから物事を俯瞰しているように見えたので、一連のやりとりから何だか温かみを感じました。 だからわたしも暖かさを感じています。 クールでカッコイイ! を目指したこともあるのですが、三日で力尽きました。 テレビは時代を映すものではなくなった、とふかわりょうがコメントしていましたが、嘗てはFlashがその役割を担っていたと思う。 それだけ時事ネタが多かった。 PV系もムネオハウスから始まった。他にもゲームやアニメのパロディーが多かった。 今はちょっと変わってる。そんな印象を持ちます。なんだろうなー、(良くも悪くも)頑張っている、もがいている、作品が増えた気がします。 昔は質を求めるあまり、初心者の作品が執拗に叩かれることがあったけど、そうした悪意は治まっているようにも思う。 >「2013/3/2、朝日新聞、青be投書欄」 わたしの小学生の頃を思い出しました。 春だったかな? 夏だったかな? 放課後で遊んで、通学路を通ってる時に見た、夕焼けのオレンジ。 あれは本当に眩しかった。 子供のうちって、寝るのが早くて、日が落ちるとともに睡眠ってことが多かった。 だからなのか、妙に寂しく印象に残るんですよね。 あの頃のわたしは、「もう一日が終わってしまうのか」と思ったりしたのだろうか。 今はこうして静かで心地いい春の「夜」の感覚を味わえるようになったと同時に、そうした幼な心の感性を無くしてしまった気がします。 それは悲しいけど、幼少の頃のわたしに、「わたしは昔とは違うけど、こういう世界を見続けているんだよ」と胸を張れるものを手に入れたい。 「嗚呼! 素敵なステーキ」 ダジャレです。寒くなりましたね。クールです。ではでは。 最後にもう一つ。 これはかなり古いのだけど、オーパーツだなーと感じている「web」漫画。 主人公の登場のさせ方から、凄まじい。兄のお気に入り。コメントをしたいし、聞きたくなる逸品です。 ・遠泳 ttp://web.archive.org/web/20021006123336/www.fsi.co.jp/conts/a/11/ennei_intro.html >ベテランさんはもうちょっと高いところから物事を俯瞰しているように見えたので、一連のやりとりから何だか温かみを感じました。 そうですね。個人的には、高みから見える景色に憧憬を抱いています。 いや、私自身はそこまで登ることができたわけではありません。 むしろ私には高みに登れる能力が無いからこそ、その眺望に魅せられるというべきでしょうか。 その一方で、私は等身大自分が率直に感じたものも一面の真実だと思っています。 もしかしたら、それが暖かさにつながっているのかもしれませんね。 哲学でたとえるなら。 かつて近代哲学は、カントやヘーゲルに至り壮大な体系を築きました。 私は、その理論が織り成す山道の遥か高みに憧れを抱く。 でも、その一方でキルケゴールやサルトルが感じたような。 いまここの私という、すなわち「実存」というべきものにも価値を感じるのです。 (余計分かりにくくなった気がするけれど気にしない) >今はこうして静かで心地いい春の「夜」の感覚を味わえるようになったと同時に、そうした幼な心の感性を無くしてしまった気がします。 >それは悲しいけど、幼少の頃のわたしに、「わたしは昔とは違うけど、こういう世界を見続けているんだよ」と胸を張れるものを手に入れたい。 とてもカッコイイです。 大人の世界は、子どもの時よりも大きく、そして深くなっているんですよね。 それを喜びに感じ、子どものころの自分に恥じない生き方をしたいものです。 あっ、私は14歳ですけどね。 ・遠泳 FLASHと漫画を混ぜたような形式が面白いですね。 昨今のFLASH界では、もう色々と煮詰まってしまった感があると思います。 それは日刊氏が言われた作者があがくことが多くなっていることにつながっているのでしょう。 でも古き時代のこれを見ると、表現方法は工夫次第でまだまだ発展の余地があるのかも。 内容に関しては「ひと夏の思い出」をリアリティ豊かに描き出しています。 「あ、こういう感じでみんな生活しているな」と思わせてくれる世界観構築が巧み。 描写も少年少女の感情の機微を捉えており、つい感情移入させられました。 基本的にはモノクロでシンプルに描かれており中々想像の余地がある作品ですが、 私は、この作品における主題は「ひと夏の思い出の印象深さ」だといました。 作中において、翼が遠泳がなくなったことに対してとてもガッカリしているシーンがあります。 それは、彼女の思い出の中でいかに「遠泳」が輝くものであったかを示しています。 物語は翼のその感情を中心にして展開し、最後に物語自体が主人公の思い出となりました。 主人公が、大人になって「こんなことがあったなあ」と思い出す。 その時に、どのような感想を抱くのか。私は決してマイナスの感情ではないという気がします。 あのころがあって、今がある。 人は、印象に残る思い出を胸にみな今を歩き続けるのではないでしょうか。 てっ、哲学…… えと、学者名しか浮かばない。デカルトなカントでフロイトなアウグストゥス。これも合ってるかどうか。 ただ、キルケゴールには共感していった感じだったので、それに近いかも。 共感したってことしか覚えてないのですが。 あれですね。若いうちは何でも勉強しとくといいよー、としか伝えられない。ソフィーの世界とかにふれておきたかった。 勉強してそれがスポンジのように吸い込む時期と、自分の力不足を痛感して勉強したいって思う時期って、微妙にラグがある気がします。 わたしの決意表明は何時も言葉だけで、実践が伴っていない。 言うだけ番長ってやつです。 あらかじめ書いておいたわたしの遠泳の感想は↓です。 「ブラックジャックによろしく」や「ラブひな」、その他webで連載している漫画や、広告に出てくるケータイ漫画など。 今は漫画のweb化が盛んな時代になったようです。 でも、一方でジャンプのデジタル漫画が無くなったように、「webで流す意味」のある作品は減っていると思う。 これはちょっと寂しい。 そんな中、映像と漫画と音を効果的に使ったこの作品は、時代のメインストリームにはなれませんでしたが、 わたしの心に深く残っている。そんな作品。 ・遠泳 ttp://web.archive.org/web/20021006123336/www.fsi.co.jp/conts/a/11/ennei_intro.html 最初の男主人公の登場シーンで、ヒイテしまって閉じる紳士淑女もいらっしゃるかもしれません。 堅物の商業誌ではやれないくらいの見せ方。 でも、次のタイトルが出てくるシーンで「おお!」とわたしは唸りました。工夫とセンスが溢れている。 またここで語られるのは、オタク受けする「萌え」ではなく、成人受けする「エロ」でもないと思う。 ちょっと心をむず痒く、ほろ苦くする初恋のような開放的な港町での「性への目覚め」。 なんて言葉遊びを見ている暇があるなら、一見してください。読了まであっという間だから。わたしが保証する。 構成が本当に見事。飽きさせない。 漫画的な映像と、映像的な漫画の使い分けが絶妙。 どうしても片方に偏ってしまいがちなところを、上手く区分けしている。かと言って統一性が失われているわけでもなく。 次々とコマが流れるシーン、下へとページをスクロールしながら期待にワクワクさせるシーン。 特にスクロールするシーンは、音や動きが効果的に挿されていて、大胆ながらも細かい仕事が施されている。 波の音、セミの音、花火の音。それぞれが静かに、しかし強く夏へと駆り立てる。 この作品、主人公(俊)とヒロイン(翼)以外にもう一人メインとなる脇役(薫)がいるのだけど、この描かれ方が本当に素敵。 「翼が待っているのはお前だ」の一言の重さ。 二人が泳ぎきって笑っているのを、見つめる微妙な表情。 何でこんなに深く読まさせられてしまうのだろう。 考えてみた結果がこれ。 漫画でよく見る登場人物の心の声を読者に伝える描写やナレーションが、最後の方の主人公以外、省かれている。 ex)1 「タカシ……」 再会したタカシは馬になってました。←──── ex)2 \从人从人从人从人从人从人从人从/ < 違う、今のはしぃのボールだろ! > /WWWWWWWWWWWWWWWWWWWW\ ブン [] ミ ∧ ∧ ∧,,∧ (Д゚ #) ミД゚ ,,彡 [] 彡 と []o o[] ミ 7 ミ ミ ブン (_/7丿 U''U о ┌──О───────── |チームワークは悪そうだな… ←───── └──────────── とかです。 キャラクタの心情を表現する描写。 読者は神のように、沢山の登場人物の心理を読むことで、物語を大局から見据え、それぞれの心の葛藤やぶつかり合いを楽しめる。 これは小説では難しい、分かりやすさや複雑性を生む大きな漫画での発明だと思う。 しかし、前述したように、この作品にはそうした描写がない。 その代わり、セリフと絵と構成だけで、それを示唆しようと、かなり筆をヒートアップさせている。 これによって読者が登場人物の心を想像し察することで、逆説的に人物の行動や感情が強く、深く、掘り下げられることになる。 思春期という多感な時期が、優しく描かれている。 モノクロで物足りなそうと思うかもしれない。 でも、物語のハイライトで世界の色づけを明確にする綺麗なカラーな部分があるので、ご安心を。 むしろ余りにもスムーズな移り変わりなので、すらすらと通り過ぎて、気づかない人もいるかもしれない。 あと、音は。花火のシーンなんて最高。 音だけで、わたしが今まで見たどの花火よりも、高く印象づけられるそれが浮かんでくる。 褒めちぎるのもなんなので難点を。 ヒロインの水着シーン。エロチックな場面なのだろうけど、今一つ色気がない。 演出や絵に、もう少し艶っぽさが欲しかった。 ここらへんは、熟しきらない青さが良いんだという人もいると思うけど。それはわたしだけど。 海で溺れた主人公が親友に助けられるシーン。うーん、ちょっとあの距離を運ぶのは物理的にキツいんじゃ。 もう一つ説得力のある描写を付け加えて欲しかった。 いや、ここは気を失って何時の間にか花火の音、っていう珠玉の切り替えこそがサイコーって言う人もいるだろうけど。それはわたしだけど。 と、どうも粗探しも難航してしまう。 夏と海と青春、恥ずかしさとドキドキとしんみりが広がる余韻。 大好き! なんですね。わたし、このweb漫画。 っと、ベテランさんの方がテーマに深く切り込んでますね。 わたしのは長文の割に踏み込みが浅い。表面的な部分ばっか見てる。 この板に来て何年経つのだろう。でも、わたしの知らない表現方法はまだ沢山眠っていると思う。 この作品や、嘗ての紅白で言えば「サモンヒーロー」を初めて観た時の衝撃。 ああいうのが、まだある感じがします。 そうですね。すごく現実感があると言うか、物語世界が丁寧に描かれている。 そういう下地があるから、物語が染みこんでくるのかも。 夏休みが終わる。思い出となっていく体験。 とてもノスタルジーを感じる雰囲気があるんですが、何処か未来に希望を感じさせる後味。 きっと花火をまた二人で、それから三人で見れる日が来ますよね。そんなのがありました。 >あれですね。若いうちは何でも勉強しとくといいよー、としか伝えられない。ソフィーの世界とかにふれておきたかった。 >勉強してそれがスポンジのように吸い込む時期と、自分の力不足を痛感して勉強したいって思う時期って、微妙にラグがある気がします。 確かにそうですね。 「勉強しておけばよかった」は大人に成ってからみんな思うものです。 その慨嘆も、上手く使えば一つのFLASHのテーマになりそうですね。 まあ、私のスポンジは残念ながらあまり吸い込まなかったんですが。 哲学はそれなりに好きになったようです。 個人的には、「ソフィーの世界」見たいな感じで哲学を誰かFLASHにして欲しい。 哲学の部分はあまり分かりやすい説明とはいえませんが、 ストーリーは人気になったのも頷ける出来です。>ソフィーの世界 そこをもっとかみくだいてくれれば、かなりの良作ができる気がします。 映像って「分かりやすさ」にかなり貢献するので。 ここを覗いている職人さんがいたら、誰か作ってくれないかな〜(チラッ >漫画でよく見る登場人物の心の声を読者に伝える描写やナレーションが、最後の方の主人公以外、省かれている。 >これによって読者が登場人物の心を想像し察することで、逆説的に人物の行動や感情が強く、深く、掘り下げられることになる。 なるほど、確かに。これは気づかなかったです。 漫画などではそれを省くとイメージが膨らまなくなってしまいますが、 映像として表情の変化を表現できるのであれば、十分省くことができるのですね。 もちろん、それを補う描写と構成を練らなくてはならず、改めて作者さんの光る構成力に驚かされます。 >夏と海と青春、恥ずかしさとドキドキとしんみりが広がる余韻。 >大好き! なんですね。わたし、このweb漫画。 あまり深読みと分析に走りすぎても、作品の本質を逆に見落とすことがあります。 日刊氏が「大好き!」と思ったところが、そこからこのFLASHの本質になるともいえます。 夏と海と青春の余韻。その大きな魅力が、日刊氏の文章から伝わってきました。 >この板に来て何年経つのだろう。でも、わたしの知らない表現方法はまだ沢山眠っていると思う。 >この作品や、嘗ての紅白で言えば「サモンヒーロー」を初めて観た時の衝撃。 >ああいうのが、まだある感じがします。 そうですよね。 さらなる進化を目指して工夫する職人の方々がいる限り、まだまだ技法はあるはず。 「サモンヒーロー」は「おもちゃ箱をひっくり返したかのような」という評があったと思います。 職人の方々には、ぜひ色々ひっくり返してみて欲しい。たとえば、ちゃぶ台とか自分の机とか。 片付けるのが面倒ですが、アイデアが浮かべばそれはささいなことです。 ちなみに、私は「杉本君こんばんわ」を見たあとに「杉本君こんにちわ」を初めて見た時が衝撃でした。 >映像って「分かりやすさ」にかなり貢献する わたしもそう思う。 特にFlashは短編が多いからか、Flash熟練者には分かりやすい作品が多いように思う。 哲学って文字だけ見てると滅入っちゃう時があるから、読書慣れしてない人にとっては、そういうアプローチは有効かも。 人生の役に立つFlash? >深読みと分析 あー、こういう理知的なのわたしも好きなんだけど。 どーも、感情が先走り、ラブレターみたいになってしまう。 わたしが本気でそういうのに取り組むと、強烈なネットストーカーの文に化けるみたいです。 >サモンヒーロー 兄も浮かばれていることでしょう。ねぇ、兄さん? おもちゃ箱、机、ちゃぶ台。何なら本棚ごと、一軒家ごと、マンションごと、ひっくり返しても。 人生狂っちゃうだろうけど。 「杉本君こんにちわ」。見れない。見たかった。 ネットって旬なものにお手軽に触れられて便利なのだけど、情報が通り過ぎるのも速いもんなんですねー。 特に最近のわたしはアンテナが十分に張れてなく、こうやって後悔を重ねていくんだろうな。 あー、何かボーとした感じで、十分なレスを送れなくて、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 (繰り返すと却って誠意って感じられなくなるもんなんですね)ごめんなさい。 >人生の役に立つFlash そうそう。そういうテーマのFLASHって、未開拓の分野だと思うんだ。 たとえばゲームではDSが流行るきっかけとして「脳トレ」があったんだけど、 最終的に物凄いブレイクスルーだったんだよね。 ミリオンを遥かに越えて、400万本とか500万本ぐらい売れた。なぜ、「脳トレ」はそんなに売れたか。 やっぱり潜在的に「ゲーム」と「勉強、トレーニング」を融合させたものに対してのニーズがあったのだと思う。 でも肝心の後続のソフトの出来が続かずに衰退してる今を見ると、すごくもったいない。 内容が固すぎて、わざわざDSでやるメリットがないものばかり。 オリジナリティある「面白さ」と堅実な「実用性」を兼ね備えたソフトは、脳トレ以降、未だにほとんど出てないと言っていい。 Flash界でもしかり、といえる気がするんだがね。 >ネットって旬なものにお手軽に触れられて便利なのだけど、情報が通り過ぎるのも速いもんなんですねー。 「こんにちわ」は、正統派の綺麗なMG作品でした。 「こんばんわ」の「何をするんだ杉本くん!→ぎゃー」とのギャップが凄かったです。 もういつのまにか見れなくなってしまったのかなぁ。 こういうのは、FLASHが息の長いものになるためには避けて通れない課題でしょうね。 紅白のほうでも色々言いましたが、何かしらの集約化と体系化を図って欲しいところです。 まあ、誰がやるのかというのが一番問題なのでしょうが…… 思い出は汲めども未だ尽きず。 愛の歌シリーズ第3弾といきましょう。 「加藤登紀子 Jazzy 百万本のバラ」 http://www.youtube.com/watch?v=dOHF8FuNyC4 カチューシャのが「寒風に吹かれ燃ゆる愛」 スカボロフェアーが「引き裂かれた愛」だとすれば。 この歌は「報われない愛」の歌です。 率直に綴られたストレートな歌詞ですから、それについてあまりどうこう語るのも無粋でしょう。 ありのままの自分で聞いて、ありのままに感じてください。 ただ、一ついえるのは。 「人生における幸せとは?」という問いを、この歌は思い起こさせてくれるということです。 画家がやったことは、周りから見れば「馬鹿なことをしたものだ」と嘲笑されるものかもしれません。 しかし彼は不幸になったのかというと、決してそうとは言い切れない。 「人を愛する」という心のエネルギーを燃やす行為。 それを、彼は悔いが残らぬようにやりきった。 そのことは、周囲の評価とは逆に……彼の人生を豊かなものにした。 私には、そう思えました。 また、ジャズのお洒落な雰囲気というのも、一つの非日常の空間という気がして心地よいです。 そして、歌い終わり最後に静かに目を伏せる。ここに余韻がある。 その仕草も趣深く、数ある「百万本のバラ」の中で私はこの映像を選びました。 お金を稼ぎ富んだ生活を送ることは豊かな人生につながる、それは一面の真実といえます。 しかし、たとえ金銭的に貧しかったとしても。肩身が狭い思いをして生きていたとしても。 純粋に「愛」した経験こそが、私達の人生を真っ赤に、かつ華やかに彩ってくれるのだということを忘れてはならないでしょう。 たとえそれが報われない愛だとしても、百万本のバラの思い出は決して色褪せないのです。 ちょっと参考にしたの。俳句に近い閃も近づいてるし。十年以上前。わたしはこの人の境地には立てないなー。感性フルスロットルって感じで。 ・俺的[芸術に触れよう] 俳句【小林一茶】 ttp://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/001.html#R177 >脳トレ あれですね。どっかのいーかげんな学者さんが「ゲーム脳」なんて叫んでいて、それをメディアが盛んに取り上げてって逆風の中、 こういうのを出したところが、如何にもすげーなーと思いました。 ゲームの見方そのものを一気に変えてしまった。 そう言えばDSでは料理、絵心教室ソフトも出てるんですね。 こんにちわは見たかったなー。 杉本くん何をするー、は笑いました。その後、こんにちわを観ないでサモンヒーローを観たからこそ、わたしの衝撃は大きかったのかも。 知らないってのも、お得なのかな。 >「加藤登紀子 Jazzy 百万本のバラ」 わたしのバイブルに書いてあった、プレゼントの三分類です。 1自分があげたいものをあげる。 2相手に「何が欲しい?」と聞くか、事前に趣味をよく知らべ、相手が欲しがっているものをあげる。 3相手のこれまでの趣味にない、新しい引き出しを開けるようなものをあげる。 あー、この物哀しくも伸びやかな声。世界一カッコイイ豚で歌ってる人ですね? そうですね? ←確認しろ さて、捉え方は真反対になっちまったようです。戦争勃発! この人の寂しさは、女優のために全てを投げ打ってあげたプレゼントのバラの海が 「どこかのお金持ちがふざけたのだとおもった」 って思われてしまうものなのかな。 プレゼントの分類で言えば、1そのものです。とにかく自分が理想とした彼女に似合うものをと、突っ走っちまった。 それで自分はそれを窓から見下ろして、、幸せを感じる。 で、わたしだったらヒク。バラの海は贈った本人にとっては美しいものだろうけど、一個人と結びつけるにはあまりにも派手。 きっと一束のバラの花束を渡された方が、嬉しくなる。 それ以上に、彼は絵描きなんだ。 だから、自分の画の才能と技術を全て使って彼女をモデルにした一枚の絵を描くのが、もっと素晴らしいことだと思う。 キャンパスを売って、バラの花を買うってのは、悲しい表現に感じる。 これって愛って呼べるんだろうか。恋のような気がする。恋は盲目。 それじゃ、愛って何って言うと 「バラの海で輝く女優の美しさを一枚の絵に託す」ってんじゃないかなー。って、愛ってなんだろーなーって自分でもようわからんのですが。 そんなことを優しく歌って、愛についてわたしに考えさせるこの動画も、愛に溢れてるって言えるのかな? 報われない? 周りから馬鹿にされる? 努力の方向を間違ってやったヤツが、語っていいのかよ? アイドル像から離れて、ちょっとは人間として相手を見つめてやってくれよ? イデアを投影しすぎだろ? それで、てめーの勝手な感情の発露の結果、少しでも相手は幸せになったのかよ? 少なくとも女優が笑ってくれたら、周りの幾人かは、祝福してくれると思うぞ? 一方的に感想を書き綴って長文ってのやって、耳心地にいいことばっか語ってるわたしに愛はあるのかよ? 愛に豊かさって要るのかよ? 世界の中心で愛を叫べんのかよ! 盗んだバイクで走り出すー! ちょっと暴走してしまいました。いやー、読み返してみるとひでーやつですね。人間としてダメ。わたしって。 キャンバスをキャンパスっていってるし。でも、こーゆーのは心の赴くままに。……書いたほうがスッキリするかと。……いや、でも、酷い。 >>203 >>204 自己レス。 何か勢いで書いちゃってごめんね。 自分の愛着ある作品をこう言われたら、凄く辛い思いするんじゃないか。そういう想像力を失った暴言でした。 なに、熱血やってんだ。半分ギャグで書いたのが、尚更タチが悪い。冷めたあとで、凄く後悔。 返答にもお困りでしょう。スルーって方向で、よろしくお願いします。 ・俺的[芸術に触れよう] 俳句【小林一茶】 小林一茶の句、ずっとまたーりした俳句だと思っていました。 また見方が深まりました。ありがとうございます。 閃と俳句、確かに。 短い秒だからこそ、少ない言葉だからこそ、見えるものがあるんですよね。 ちなみに、私は人間を動かすものは「理性」と「感性」の両方であると思っています。 願わくば、その両方を大切にしていきたいですね。 で、こちらなんですけれども。 >何か勢いで書いちゃってごめんね。 >自分の愛着ある作品をこう言われたら、凄く辛い思いするんじゃないか。そういう想像力を失った暴言でした。 決して、日刊氏が気になさることはないです。 率直な意見交換をしようと、進んで紹介をしているわけですので。 むしろ真剣に見ていただけたということで、喜ばしいことです。 ただ、ですね。 >返答にもお困りでしょう。スルーって方向で、よろしくお願いします。 ええ、まあ、そうですよね。お気遣いありがとうございます。 でも、なんといいますか。 実は言いたいことを言わずにスルーできるほど、私は人間出来てません。 要するにアレだ。 ワイルドピッチが怖くて渾身のボールを投げられるか? 思いっきり打ち返されるのが怖くて投手やってられるか? 打たれたら打たれた、勝負の世界はそれで結構! ピッチャーってのはそれを覚悟してマウンドに立つんだよ。 情けなんてかけられるほうがよっぽど腹が立つ。 こっちは本気でやってんだ、そっちも本気でこいと言ってるんだ。 暴走上等、ぶつからずに生まれるものなんかとことん脆い。 いいたいことはとことんいう。2chはそれができる場。 この期に及んで酷い酷くないなど知るか、そこに馴れ合いなど不要。 >プレゼントの分類で言えば、1そのものです。とにかく自分が理想とした彼女に似合うものをと、突っ走っちまった。 >それで自分はそれを窓から見下ろして、幸せを感じる。 たとえ絵描きが女優に3と思ってもらえるように、必死で努力した結果でも1ですか。 1と3の違いって一体何なんでしょう。相手を喜ばせようとしても、結果として喜ばなければ3には成りえないんですかね。 また、絵描きは窓の下で彼女を見上げますが、その時点での気持ちは決して幸せとはいえないはずです。 大方叶わぬものだったとはいえ、大きな喪失感に打ちひしがれていたはずです。 たとえいくら純粋に彼女の喜びを願っていたとしても、彼のプレゼントは何の意味を持たないただの1に過ぎないものですか。どうなんでしょう。 >きっと一束のバラの花束を渡された方が、嬉しくなる。 もし一束にしていたとして、それで本当に女優に絵描きの気持ちを伝えることができますか。 その程度なら他の男性が何もいわずとも渡してきているでしょう。 それに身分違いの想い、一束程度のバラで収まるものとは到底思えません。 そのぐらいの量の愛ならば、高嶺の花として見ているだけに留まると思いますよ。 >それ以上に、彼は絵描きなんだ。 >だから、自分の画の才能と技術を全て使って彼女をモデルにした一枚の絵を描くのが、もっと素晴らしいことだと思う。 >キャンパスを売って、バラの花を買うってのは、悲しい表現に感じる。 彼の才能と技術が彼女の心を動かし得るのならば、もちろんそうしていたはずでしょう。 家を売らずに絵を書いて済むにこしたことはない。それでも、彼は売らずにはいられなかった。 そこでは彼自身が一番、己の無力さに悲しんでいたと思いますけどね。 自分の能力の限界は、自分が痛感するものだと思いませんか? >報われない? 周りから馬鹿にされる? >努力の方向を間違ってやったヤツが、語っていいのかよ? >アイドル像から離れて、ちょっとは人間として相手を見つめてやってくれよ? イデアを投影しすぎだろ? >それで、てめーの勝手な感情の発露の結果、少しでも相手は幸せになったのかよ? 「絵描きの努力の方向は間違いであった」 「絵描きは人間として女優を見つめられなかったので、幸せにできなかった」 私はこのどちらの主張ともに賛同できません。 要するに「努力の方向が正しいとか間違ってるとか、それ誰が決めるの?」ってことです。 「ああすれば女優は喜んだ、こうすれば女優は喜ばない、ってそれは本当なの?」ってことです。 それがいくらもっともらしい言説だったとしても、少なくとも私にはそれを容易に信じることはできません。 私自身が、それを簡単に断じられないから。 そうですね。心地いい馴れ合いは楽しいものですが、それだけだと倦怠感。 いやぁ、この反応は嬉しい。ベテランさんって強い人ですね。わたしなんて弱い弱い。ゴブリン並。 わたしのは詭弁に為ってなければいいのですが。 いっちょ、逝ってみるかー。 まず、前提としてベテランさんは「愛の純粋さ、豊かさ」を感じていて、わたしは「恋の盲目さ、哀愁」を感じているんだと思うんです。 それで合ってます? >たとえ絵描きが女優に3と思ってもらえるように、必死で努力した結果でも1ですか。 うー、難しい問いですね。わたしは直感的に1、 女優に恋して「俺のプレゼント見てくれ、あわよくばそんなプレゼントした俺を知ってくれ、ハァハァ」と感じたのですが。 3だったのかも知れないですね。 でもね、どうもアイドルに恋して、その人本人に恋してるって感じがしない。 なんだろね。遠い存在。それをプレゼントの物量に任せて無理に近づけようとしている。そんなのが残ったんです。 バラの海に舞うアイドル。でもバラにはトゲってありますよね。 ここら辺は感覚的に思ったことなので、異論・反論くださいな。 >そのぐらいの量の愛ならば、高嶺の花として見ているだけに留まると思いますよ。 愛に量ってありますか? 愛とは競うものですか? 「わたしの方があいつよりあなたを愛してる」って言って、他よりも膨大な量のプレゼントを贈るのが愛ですか? 輝き続ける女優も花束を貰い慣れたら、どんなに誠意ある言葉を添えていても、そんなに嬉しがらなくなるもんなんですか。 プレゼントに送り手のオリジナリティって必ずしも必要ですか? 真心があれば、十分じゃない? わたしはそう思う。 情熱ならわかる。熱したり、冷めたりする。そんなのがある。でも、愛はわからない。 これは半ばわたし自身への問いです。わたしにはそんなに真面目に愛は語れない。哀。 >そこでは彼自身が一番、己の無力さに悲しんでいたと思いますけどね。 >自分の能力の限界は、自分が痛感するものだと思いませんか? でもね、描き続けなければと思うんです。 理想が大きいのなら尚更。 たとえ本人に渡せなくても、街行く人に「わー、この人綺麗」って手にとって貰うくらいには。 本当に一部の天才や時流にあった人は、そんな葛藤を感じないかもしれませんが、 多かれ少なかれそういうのを乗り越えた先に、乗り越えられないと知ってため息ついた時に、喜びがあるんじゃないかな? わたしって青臭すぎるか。 >要するに「努力の方向が正しいとか間違ってるとか、それ誰が決めるの?」ってことです。 >「ああすれば女優は喜んだ、こうすれば女優は喜ばない、ってそれは本当なの?」ってことです。 ああ、断定は出来ない。言葉の勢いだけでやった所なので。 わたしは今から宇宙飛行士を目指します(ハート) 体育は1ばっかだったけど、死ぬほど努力するからベテランさんも応援してね お腹が空いた、空きすぎ、お腹がグーグーなってるよ >たまねぎage たまねぎ厨うぜー。玉ねぎだいっきらいなんだよ。 >ひつまぶしup 多謝。 とか。あー、何やってんだろうな。ピエロ的に語るとこんな感じです。却ってわかりにくくなった気がする。 それでね、それでね。 「色んなものを無くしながらも、街中を回って綺麗な花を集める」という努力。 「自らの才能のなさを痛感しながらも、美しいものを追求し、描き続ける」という努力。 わたしは後者の方が好きです。 わたしの言いたいことは、それで全てだと思う。 っとっと。 わたしはこう言う訳の方が、感性に合ってるかも。 ベテランさんは既に前提知識としておありだったのでしょうが。 ttp://www.youtube.com/watch?v=SzkqhA-K ありゃ、リンク失敗。これなら、大丈夫かな? ttp://lyric.kget.jp/lyric/wy/zw/u/ 良かった。 強い言葉のときには、本当に送信するべきかいつも迷います。 でもしっかり受けとってくれていると、安堵するんですよね。 >ベテランさんって強い人ですね。 ムキになってるだけ、ともいいます。 本当に強い人は、余裕無く人の意見にあれこれいったりしないんだと思います。 >まず、前提としてベテランさんは「愛の純粋さ、豊かさ」を感じていて、わたしは「恋の盲目さ、哀愁」を感じているんだと思うんです。 >それで合ってます? はい、そうです。で、もちろん「恋」の歌であることは間違いないです。 ただ、私は「無償の愛」というか、「自己犠牲の愛」というか。 そういうイメージを強く感じたので「愛」のほうを強調しました。 私の中では、無償でないのが「恋」で、無償なのが「愛」かなと。 無償の愛など存在しないとお思いであれば、「無私の愛」と言う感じでしょうか。 >でもね、どうもアイドルに恋して、その人本人に恋してるって感じがしない。 >なんだろね。遠い存在。それをプレゼントの物量に任せて無理に近づけようとしている。そんなのが残ったんです。 >バラの海に舞うアイドル。でもバラにはトゲってありますよね。 >ここら辺は感覚的に思ったことなので、異論・反論くださいな。 そうですね。絵描きがやったことは、常識に照らせば褒められることではない。 近づく努力もしていないのに無理な手段に出るのはまずいというのは理解できます。 ただ、私にはそこで「まずはお近づきになりましょう」って言えそうな、 タイミングよく「プレゼントして欲しいものってありますか?」と聞けそうな日刊氏の柔軟さが羨ましいかなあ。 私には、偶像を越えて「その人本人」にまで迫っていける気がしないんです。 >「わたしの方があいつよりあなたを愛してる」って言って、他よりも膨大な量のプレゼントを贈るのが愛ですか? >輝き続ける女優も花束を貰い慣れたら、どんなに誠意ある言葉を添えていても、そんなに嬉しがらなくなるもんなんですか。 >プレゼントに送り手のオリジナリティって必ずしも必要ですか? 真心があれば、十分じゃない? わたしはそう思う。 真心のある等身大の言葉を送って、それでいけると成算があれば。 もしくは、自身にその結果を受け止める覚悟があれば別ですが。 そこまで自信が持てず限りなく可能性がゼロパーセントに近いとき。 自分ができる最大限のことをやらなければ、私ならば後悔します。 やろうと思えばもっと出来るのに、人並みのことしかやらずに失敗したら諦めきれないです。 「これでだめなら、諦めがつく」 そういう決意を持って、絵描きはこの行為に臨んだのだと思います。 >でもね、描き続けなければと思うんです。 >理想が大きいのなら尚更。 >たとえ本人に渡せなくても、街行く人に「わー、この人綺麗」って手にとって貰うくらいには。 >本当に一部の天才や時流にあった人は、そんな葛藤を感じないかもしれませんが、 >多かれ少なかれそういうのを乗り越えた先に、乗り越えられないと知ってため息ついた時に、喜びがあるんじゃないかな? >わたしって青臭すぎるか。 いや、それは私も同意です。 本気で女優に恋をしたなら、まずは自分が同格の画家になるまで死ぬ気で本業を極める。 そういう風に思うことが出来なかった絵描きは、やはり愚かだったのでしょう。 >わたしは今から宇宙飛行士を目指します(ハート) 体育は1ばっかだったけど、死ぬほど努力するからベテランさんも応援してね >お腹が空いた、空きすぎ、お腹がグーグーなってるよ >たまねぎage >たまねぎ厨うぜー。玉ねぎだいっきらいなんだよ。 おなかがすいたってなら、嫌いなものだから食べないなんてふざけてるんじゃないよ。 好きなものだけ食べたいってのは、虫が良すぎる甘ちゃんだ。 死ぬほど努力すればいいってもんじゃない。まず自分を見つめて努力の方向を考えろ。 そういうふうに、私は説教すると思います。 でもこの子ども達が「そういう風に思ってしまった」こと自体は受け止めるとも思います。 >「色んなものを無くしながらも、街中を回って綺麗な花を集める」という努力。 >「自らの才能のなさを痛感しながらも、美しいものを追求し、描き続ける」という努力。 >わたしは後者の方が好きです。 「絵描きがするべきなのは、絵の追究であって、花集めじゃない」 なるほど、その通りです。 ただ、私はその両者であればベクトルが違う等価のものとして見ます。 いや、興味深いなあ。素直にそう思います。 >伊東ゆかり版「百万本のバラ」 いや、この人の訳は知らなかったですねえ。 うん、より具体的な訳だと思います。いい訳ですね。 少しでも感性に合ったものを見つけて頂けたのなら、それに越したことはないです。 本人がどう言おうと、ベテランさんは素敵な人だと思う。 真面目で信念を持ちながら、わたしのいーかげんな暴投を受けても、応えてくれる。 ここまで本気に主義主張したのは、わたしは久しく無かった気がします。 今回はベートーヴェンなアウフヘーベンへと。 >自己犠牲 「無償の愛」「無私の愛」はよくわからんし、言葉遊びになっちまうので避けますが。 「自己犠牲の愛」には、わたし少し疑問があるんです。 例えば「あなたの為に私の全てを捧げる」と言って、夢を諦める人がいるとします。平凡な生活を捨てる人がいるとします。 それは当人にとっては、やっていて気持ちいいし、素晴らしい思い出になるでしょう。 でも、相手にとっては、ちょっとヒクというか重荷になってしまうんじゃないかな。 女優がもしも絵描きの存在を知っていたら、彼の自己犠牲を知っていたら、それを嬉しいと思う前に ワタシのためにそこまでしなくてもと、悲しい気持ちになるかなと妄想します。 ここでの「自己犠牲の愛」は、理想像の女性と絵描きのハァハァ心から成り立っていて、そこに違和感があるのかも。 バラの花ってきれいだけど、ナルシー。鏡だけを見ていて、相手を見ていない、そんな寂しさ。 それに相手は夢を売る商売、女優の道を選んだ人だから。 「夢を追いかけてるあなたが好きだったの!」「わたし、あなたとの平凡な生活がキボンヌだったの!」 と返事がきたとき、それは本当に自己犠牲の「愛」と言えますか?(ああ、なんて中二っぽさ、最近読んだ小説に毒されすぎ) >アイドルとその人本人 そうですね。人間って多面性があるし、特に女の子は化粧をしますからね。 こーいってる「わたし」も、実際のところはなんなのか…… それは秘密です。バレテーラな予感もしますが。 「ベテラン」さんも何なのか。わたしの察するところ「お久しぶりです、お元気で何よりです」とつい応えてしまいそうな。 これはかなりわたしの「僕の考えた最強の恋愛像」を投影していて、却って現実的じゃない感じが今更ながらしてきました。 >自分ができる最大限のことをやらなければ、私ならば後悔します。 >やろうと思えばもっと出来るのに、人並みのことしかやらずに失敗したら諦めきれないです。 >「これでだめなら、諦めがつく」 >そういう決意を持って、絵描きはこの行為に臨んだのだと思います。 >でもこの子ども達が「そういう風に思ってしまった」こと自体は受け止めるとも思います。 >>「色んなものを無くしながらも、街中を回って綺麗な花を集める」という努力。 >>「自らの才能のなさを痛感しながらも、美しいものを追求し、描き続ける」という努力。 >ただ、私はその両者であればベクトルが違う等価のものとして見ます。 あー、そこまで深く考えていたなんて。これらと関連して、こいつでわたしの「愛」へのコンプレックスゆえの暴走をゴールさせようと思います。 >伊東ゆかり版「百万本のバラ」 この訳だと、絵描きはキャンバスを売ってないんですね。それどころかもっと凄いことをしようとしてる。 真っ赤な真っ赤なバラの花で 町中探したバラの花で あんたの窓の下に描こう 百万本のバラの海 絵描きは絵を諦めたんじゃなくて、広場をキャンバスにバラの花を絵の具にして、全力で精一杯の絵を描いた。 心とは裏腹に何時か枯れてしまうバラの花で。 つまり 「家(生活)を無くしながら、街中を回って綺麗な花を集め、今しかないタイミングで彼の考える精一杯の絵を描いて贈った」 となり、すると今まであんなに反抗していたわたしは何だったろう? 的な凹みと嬉しさを感じてしまったんです。 また他の訳に当たってみるというのは、歌シリーズでベテランさんが熱弁していた「訳」によって「解釈や印象がガラリと変わる」 という教えの、影響そのものでした。 原典に忠実な訳なのか、或いは意訳なのか、わたしにはわかりませんが、わたしはこの歌詞に心打たれたのでした。 ベテランさんがこの訳を知らないでよかったー。ご存知だったらそれこそわたしはピエロになってました。 色々ありがとう、気持ちは済みました。 私なりの弁証法的な、止揚へ。 >それは当人にとっては、やっていて気持ちいいし、素晴らしい思い出になるでしょう。 >でも、相手にとっては、ちょっとヒクというか重荷になってしまうんじゃないかな。 >ここでの「自己犠牲の愛」は、理想像の女性と絵描きのハァハァ心から成り立っていて、そこに違和感があるのかも。 >バラの花ってきれいだけど、ナルシー。鏡だけを見ていて、相手を見ていない、そんな寂しさ。 >「夢を追いかけてるあなたが好きだったの!」「わたし、あなたとの平凡な生活がキボンヌだったの!」 >と返事がきたとき、それは本当に自己犠牲の「愛」と言えますか? 色々考えを巡らしましたが、仰るとおりだと思います。 人のことを考えない自己犠牲は、愛という名の偽善。 いや、偽善にも達しないのかもしれません。 結局、私が絵描きを必死で擁護したのは、 「頑張ったならば、その分報われるべき! だから報いない方が悪い!」 そういうエゴから来る、私自身への必死な自己弁護でした。 私の中では、これまで「愛」についてそれなりに考えて来たという多少の自負がありました。 でも、今は「愛」がなんなのか、良く分からなくなった。 ただ、それでいいんだと思います。「分からない」ところから、始まる。 ソクラテスの「無知の知」に、多少なりとも近づけただろうか。 分からないけれど、少なくともスタート地点に戻った事で。 私はまた、歩むことができます。ありがとう。 さて、2年前。 私はテレビで、津波が家をいとも簡単に押し流す映像を見ました。 それは現実なのに、なぜかこの上なく現実に感じられませんでした。 色々考えた末、長田弘が今亡くなろうとする人の気持ちで詠んだ詩をここに刻みます。 「イツカ、向コウデ」(『死者の贈り物』みすず書房) 人生は長いと、ずっと思っていた。 間違っていた。おどろくほど短かった。 きみは、そのことに気づいていたか? なせばなると、ずっと思ってきた。 間違っていた。なしとげたものなんかない。 きみは、そのことに気づいていたか? わかってくれるはずと、思っていた。 間違っていた。誰も何も分かってくれない。 きみは、そのことに気づいていたか? ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。 生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。 きみは、そのことに気づいていたか? まっすぐに生きるべきだと、思っていた。 間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。 きみは、そのことに気づいていたか? サヨウナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。 愛はですね。あの、ですね。なんと言えばいいのか。 ベテランさん、私の言ったこと覚えてますか。 >「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。 強く、勇敢な言葉だと思います。その言葉を大切にしてください。愛も真実もわたしは信じられなくなっちまったんだぜ。ローラ! わたしの言葉の妙なトリックやレトリックに惑わされないで。どちらかと言うとわたしの方が「愛」を教わる側だったはず。 根拠無い妄想なんかに。ダメですよ。一時的にそんな気分になっただけですよね。ちょっと寄り道したって感じにしてください。 それでも考え方が変わってしまうというなら、わたしがパクった北村薫さんの「ターン」を一読してください。 あー、わたしは相手どころか自分のことも良くわからないやつなんで。 >震災 わたしも、どうも現実感が沸かないです。未だにそうです。 神戸震災の時も似たようなもので、すっかり記憶の中では風化してしまっています。 ただ原発が怖くて、怖くて、傍では「大丈夫」と言いながら、「沖縄にでも逃げようか」と、思っとりました。 だけど、なんとか前を向けたのは、わたしよりずっと近くの最前線で生きている戦っている人たちがいる、ってことでした。 滲みる詩ですね。紹介ありがとうございます。 何というか悲しくも絶望しながらも、共に歯ぎしりをして悔しい思いに打ち震えながら、そうしてこぼれる言葉。 それでも隣を歩いて、最後を見届けてくれる、そしてその先を見つめながら再会を約束してくれる、そんな友の歌。そう思いました。 嬉しいよね。こんな人が近くにいてくれたら。 恥ずかしながら、今日知った歌です。 こういうのを聞くと、何というか、大なり小なり不条理に襲ってくる不幸を、苦しみながらも、それでも受け止め、優しさに心を委ね、 それから同じように苦しむ人にわたしもそうだったよ、一人ぼっちじゃないよ、と伝えれる、そんな気がします。 ttp://www.youtube.com/watch?v=gO3geXZoW00 なんて美談を語れるほど、わたしの心は白くなく。 実際、当時、一番癒されたのはこの動画でした。あう。 ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13877669 >愛 友人に聞いてみたら「いや、そりゃ愛までいってないじゃん。恋に決まってるでしょ」と返ってきました。 「やっぱりそうかー」と、私の中では論争は終わってしまったのです。 そして大震災を思い黙祷すると、平穏の大切さが噛み締められる。 たとえ倦怠感を感じようと、無事なのがすなわち名馬。 そのありがたさを忘れてはいけないと、改めて思います。 『ターン』『スキップ』『リセット』の時の三部作は興味深く読んだのですが、何せ結構前なので詳細な表現は忘却の彼方へ。 ネタが分からなくてすみません。時間があったら読み返してみたい作品群です。 でももちろん、心の中で絵描きを擁護しなくなったわけではないです。 日刊氏は、アウフヘーベンの先にさらなる戦いを望みますか? それなら、私は受けて立つことにやぶさかではありません。 私の愛の理解は、ある程度カント的な動機説、心情倫理説に依拠しています。 たとえばナルシシズムは「自己愛」と訳す。 すなわち、必ずしも「愛」はもう一人の人間を必要としないのです。 自分を愛する、自然を愛する、平和を愛する。そこにまぎれて「女優を愛する」というだけのこと。 確かに絵描きは一人ひとりの人間として向き合う「愛」には達していない。 でも「何かを好きで大切に思う心」があれば、私は広い意味での「愛」の仲間に入れてもいいのではと思います。 たとえ、それが他人を不幸にしたとしてもです。「愛」はイコール「善」ではない。 ・アン・サリー 満月の夕(ゆうべ) なんとも、優しい歌ですね。 人の悲しさを見つめ、それを受け止める。 >絶え間なくつき動かされて >誰もが時代に走らされた >すべてを失くした人はどこへ >行けばいいのだろう >それでも人はまた 汗を流し >何度でも出会いと別れを繰り返し >過ぎた日々の痛みを胸に >いつか見た夢を目指すだろう 心に残った部分は、ここでした。 全てをなくした人ですら、また夢を目指して歩き出す。 全てを無くさなかった人が、現実が辛いとか辛くないとか言っている場合じゃないだろう? 穏やかながら、そういう風に叱咤激励されていると感じられました。うん、頑張ろう。 ・危険なポポポポーン 笑いは、沈み行く心を励まして勇気付けてくれます。 当時感情を逆なでして大ブームでしたね、ポポポポーン。 マリオRPGの戦闘曲が、妙にテンポ良く合っている。 そういえばマリオRPGの音楽は、様々な動画に使われていましたね。 かつてのFLASHではマリオトロポリスを思い出します。 とにかくノリと勢いで押し切るFLASH。 ときにはそのエネルギーに、押し切られたいときもありますね。 >愛 あぁ、思いつめてたんじゃなくて、中々オープンな環境に恵まれていて、深い信念を持っているようで、ほっとしました。 「愛」はイコール「善」ではない。心に刺さる言葉だ。また考えさせられる視点。 心配しすぎていました。却って失礼だった。 時の三部作、ご存知でしたかー。わたしゃ泣かされました。 北村薫さんはミステリの大家だけど、ミステリとは離れた作品にケッコウ面白いものが転がってるように思う。 「月の砂漠をさばさばと」とか、ぴろぴとさんに読ませたい。 無事これ名馬。ああフィールオーライ。つの丸さんの一見めちゃくちゃながらもリアリストな視点。みどりのマキバオーのダービーも泣ける。 わたしのアウフヘーベンはバームクーヘンのようなものです。 その心は、「シン」がない。 ちょっと背伸びをしたく使っただけなんで、その、よくわからんです。哲学って。 根っこのない議論になってしまいそうなので、ここらで勘弁してください。 >満月の夕(ゆうべ) アン・サリーさんの歌声なのかな、歌い方がほんとにじんわりと来る。 挙げてくださった歌詞部分はオリジナルにはないもので、わたしも心が動かされた箇所だったので、嬉しい。 ソウル・フラワー・ユニオンさんのオリジナルは、神戸大震災の夜を力強くパワフルに歌っていて、同じ曲とは思えない後味が残ります。 包み込むのと迫ってくるのの、違いかな。でも、どちらも優しい歌だと思います。 >ぽぽぽぽーん あのCMは、なんつーか、ヤバカッタですね。 もうトラウマになるくらい聞いていた気がします。ACはケッコウ良い感じのCMを作っていると思うだけに、何故ぽぽぽぽーん。 やっぱ笑い飛ばせるってのが好きなんだと思いますです。もうめっちゃ皮肉入ってるんだけど、あー、何だろう、笑ってしまった。 ちょっとnintendo directで「うごくメモ帳3DS」が発表されました。 絵を描けないわたしは静観ですが、これはニコニコの層やFlash界のアニメ系やラクガキ好きな若年層を取り込んで、ムーブメントになりそうな予感。 こういうのが下地や入口になって、アニメ界や創作界の土台を支えるのかもしれない。 でも、「ものすごく脳を鍛える5分間の鬼トレーニング」のような不発の可能性もある。 さて、どうなるか。興味津々です。 お気遣いありがとうございます。 私は何事も無駄に思い詰めたがるので、そういう心配りがありがたいのです。 うごくメモ帳、サンプルを見ると確かにムーブメントになる可能性はありそう。 やっぱり絵をかけない自分には敷居は高いけれど、少しでも遊びの幅を広げようとする取り組みは評価したいところです。 やっぱり「笑える」っていいですよね、好きです。でも、ツボが人によって全然違う。 私は「笑う哲学者」こと土屋賢二氏を私淑していますが、好き嫌いは、はっきりと分かれます。 折角なので自分はこういう笑いが好きだ、というのを。 「東京イミフハイスクール」 ttp://www.youtube.com/watch?v=_NmDSLmpEDI 要するに真面目にボケるのが好きなんだと思います。 あんまり「ここが笑いどころである」というのも無粋な気がするので内容には深く突っ込みません。 あとこの動画について言えば「真剣に目を見て何かを伝える」って心を動かすのかも、という示唆を私は感じました。 コミュニケーションの心理学において「メラビアンの法則」というものがあります。 声の感じで、「maybe」(かもしれない)といった文がどの程度「そうかもしれない」かを判断する実験で、 力強い口調の場合は、普通の口調よりも、「そうかもしれない」と感じたということが立証できたという実験だと言われています。 感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、 話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合だったのだそうです。 要するに、93%は「話す態度」によって変わってくるわけです。 実生活で、私のためを思ってこのぐらい真剣に語ってくれる人はいないからか。 つい暇じゃないのにチェスをやりたくなってしまうぐらいに魅力を感じました。 日刊氏にも、そういう魅力を感じますよ。 わたしも思い詰めてしまう時もあるようで、無いような。 難しいっすね。ほどほどに行ければ、って感じかなー。 わたしはケッコウ酔ってないのに笑い上戸というか、ギャグが滑ってもその寒さを笑いのサカナにしてしまう性質なので、 わたしの「笑った」は、外部から見ればもうどうしようもなく参考になんないと思います。 でも、わたし自身は、そう思える自分が、ちょっと好きです。笑えるってのは本当に楽しい。 けれど、そのギャグセンスの無さは、このスレの寒さが証明していますが。 >「東京イミフハイスクール」 も頬が緩みました。ニヤリとしました。それで何かスッキリとした爽快感を味わえたり。 予備校は予備校で、癖の強い先生が沢山います。まー、受験に落ちてもそんな出会いを楽しみましょーと、そう思わせる感じでした。 視点は半分皮肉めいたパロディーですが、かなり誠実に茶化しているというか。 熱心に語りかける声は、ほんとからかってるわけでもなく、妙に生々しい迫力。 だから言葉の持つ元CMとのギャップが大きく働くのかもしれません。メイビー。 うう、わたしがメイビーを使うとキムタク並みの軽いものに。 Flashで特に思い出に残ってるのは「ペリー来航」や「はやくも2005年をあきらめたヒト」とか、です。けれど変化球で ・自前着ぐるみで行くご当地キャラ祭り ttp://portal.nifty.com/kiji/111128151043_1.htm 心地いい笑いがあったものは、これかな。この作者さんの小野法師丸さんの書く明快で人柄が滲んだ文章が、かなり好きなんです。 彼のサイト「テーマパーク4096」は、わたしの糞フラボンジュールの土台となっている。 なんだろうな、鬱屈してるのだけど、後ろ向きじゃないというか。 当然のようにあるささやかな日常に切り込んで、笑いを作り出すというか。 伊達にテキストサイト黎明期から、貪欲に活躍しているわけじゃない! と思わせるエンターテイナー。 好き嫌いはわかれそうですが。わたしはこーゆーのが好きです。名刺がわりに。 ・自前着ぐるみで行くご当地キャラ祭り なるほど、この方は目の付け所がシャープです。エンターテイナーですね。 どこかシュールな行動のおかしみ、平和な笑いが溢れてきます。 >それでも、こうしたキャラクターたちに常々感じていたことがある。 >写真の通り、彼らはしっかり完成されていたり、手堅くまとまっていたりしているのだ。 >ゆるさを名乗っているというのに、それでいいのだろうか。 >ぶっちゃけお前ら、あんまりゆるくないんだよ。ゆるいってのは、こういうことだ。 ゆるキャラも「ゆるくない」って指摘を受けるとは思わなかったでしょうね。 「いや、ゆるいってそもそも褒め言葉じゃなくね?」 っていうツッコミ待ちのこれは性質としては自虐に近いんですが、卑屈には感じない。 なんというか、開き直ったことでの明るさを感じます。 >たくさんのオフィシャルキャラが集まるイベントに、着ぐるみ一市民として混ざった今回の試み。 >新しい軸でのイベントの楽しみ方だ。 まさしく斬新なのだが、そもそもどうして混ざろうと思ったのか。 まずそこを小一時間問い詰めたい。 >それほど長くはない滞在時間だったが、その間に起きたことは人生の縮図のようにも思える濃密さ。 >着ぐるみは人を笑顔をさせるだけでなく、中の者の心にも光を灯すのだ。 場違い感アリアリで明らかに浮いてしまった悲しみと、そこに人が寄ってくれた喜び。 禍福はあざなえる縄の如し。人生の縮図ですね。 心に光がともるとこの世はまんざらじゃないな、と思えます。 でも人生そんなに濃密でなくてもいいんじゃないか、とツッコミたくなったことは秘密。 うん、こういうツッコミたくなるものは好きですね。 「森内俊之vs森内俊之」 ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13368406 自分がとにかく突っ込みたくなったのはこれです。 将棋はルールぐらいしか知りませんが、それで十分楽しめました。 いや、あまり細かいことは気にしない初心者だからこそツボに入ったのかもしれません。 やっぱり羽生さんが言うんなら仕方がないんだと思います。 淡々と自分と向き合う森内竜王も素敵です。 ちなみに私は囲碁が好きです。だから囲碁のFLASHがあったっていいじゃない。誰得? 俺得です。 そういえばAAでの力作「DQ風2」などを製作したMG氏は「碁は四段です」ってアピールしてましたね。私よりも強い。ぐぬぬ。 それと、個人的にこれをみて思ったのは、ニコニコのコメントの威力です。 コメント抜きのyoutube版もありますが、率直に言えば随分面白さが違うなと感じました。 他人のコメントで笑いどころが分かるし、集団としての盛り上がり感が素晴らしい。 人の「wwwwwww」を見るだけで、自分もつられて笑ってしまうのはなぜだろう。 FLASHブームの後を受けてニコニコが動画文化の担い手となれたのは、 コメントの威力にいち早く気づき、集約の工夫をすることでその力を引き出せたからなのではないでしょうか。 そこでFLASHでは、どのような工夫ができるのか? それに関しては職人の方々の構想を待ちたいと思います。 >ボケとツッコミ そうですねー。ボケっぱなしってのは、かなり俯瞰的に計算しないと、笑えないような気がします。 単純そうに見えて、考え抜かれている。 読者をイメージする想像力を必要とする芸風。 ニコニコはコメントでツッコミが入りますよね。だからボケだけの作品でも、輝くんじゃないかと思いました。 >「森内俊之vs森内俊之」 将棋がわからない自分でも、かなりすんなりと笑いに入っていけました。 自力でわかったのは、手駒を増やすと、二度うち辺りだけなんですが。 コメントって力がありますよね。 どうしてもネットの作品だと一対一というか、何処か孤独なところがあるんですが、これだと賑わいがあって雰囲気が楽しい。 漫談でも落語でもお客さんの笑いがあって、一つの文化として完成する、とかなり背伸びして考えてみました。 タブの「羽生さんが言うならしょうがない」もかなり素敵です。 ニコニコには作者と受け手での距離感で勝れないなー。作者から作品が巣立ち、各々の話のネタに語られる。ある日見ていた理想の光景じゃないかと思います。 たとえFlashで作られてもどんどんニコニコに輸出される時期に入ってるのかな。 となると、Flashならではの利点。クリックできる要素、ゲームとの融合、長さがわからない故の二転三転の展開のドキドキ感、とかかなー。 上手く生き残れれれば、と思います。 さわっていて楽しい、2chやアスキーアートの魅力を抽出した、ってのはこの作品かな? こういう系統は人気商売ゆえに減っていく(というか絶滅した?)のかもしれませんが、これを超える同系統の作品にまだわたしは出会えていなく、一抹の寂しさを感じてしまうのでした。 いや、むしろオンリーワンの魅力なのかな。 SLIDE ttp://freett.com/counterq/rw03fl/slide.html ついに閃が開催されましたね。 私のほうは閃へのコメントを書き上げてました。 疲れたー やってしまった。 あれだけ楽しみ発言してたのに、開催日がすっぽり抜けてたなんて。 レスされるまで気づかなかった。 ああ、何やってんだろー。 っつーことで、しばらくは他事はしばし中断して、閃をマイペースで楽しもー。 . . . 閃2013 ttp://hirameki2013.yukishigure.com/works.html . ・オープニング ttp://hirameki2013.yukishigure.com/opening.html さあ、どう始まるかと思っていたら。 機能的で実用的なオープニング。発生からイベントの経緯が、丁寧に綴られている。 色々、紆余曲折があるけど、「求めれている」っていう強い意思を感じた。 ただ、テンポが急ぎ足だったかな。初見では、読むことができん箇所が。 文字だけを追えばギリギリで読めると言いたかったけど(それでも読めなかった)、全体の映像を観ようとすると完全に振り切られてしまう。 でも、これはこのイベントが長い歴史と広い関連性を持っていて、とても15秒で語りきれないという、良さ故のネックなのかも。 終始、活動映画的で説明調なのも重みと渋みがあっていいけど、 閃を凝縮するには映像と文を混ぜ合わせたり単語とかの乱れ打ちとかすると、メリハリが出るんじゃないかな。チャレンジャーって感じで。 それでも、映画的にこだわるなら、画面と文字の出る幅を合わせたりすると「らしさ」が出るかも。 でもでも、なんか内容を把握して観ているうちに、「ここまでやって来たんだ」、って感慨があった。 子離れを見送る親のような、めでたさと寂しさが混じったそんな感情。微妙な距離感がある。 ちょっと入口は狭いけど、何回か噛むと味が出てくるスルメOPだと思う。 そして15秒って、そういうことするのには丁度いい長さ。 あらら、すっぽり忘れてましたか。 まあ、早めに気づいて良かった、と思えば(汗 私は既に本スレに投下したので、暫くは日刊氏のコメントを見学してますね。 わくわく。 ほんと、開催時期、素で来週かと思ってた。修学旅行で遅刻してしまったかのような、やっちまった感。 時間っていうのは、速いもんですねー。 わたしは長距離と比べて、スプリントは得意じゃないんす。 あんまり期待しないで、「こいつバカやってるよ」って感じで優越感に浸るのが正しい楽しみ方、かな? ・Blue Monday ttp://www.youtube.com/watch?v=64H9jcZpmWQ >途中、東新宿から西新宿へと移り変わります。 >彼女はいったい何から逃げているのか、ぜひぜひご意見聞かせてください。 >走れよ乙女。誰もそれからは逃げられない。それは東の果てからやってきて、僕らの頭上をかすめていく。 都会的。それも大人的。清潔で、シック。 そう思えたのはお洒落な画と音楽の為かな。 写真を使うと2Dというか平べったくなりがちだけど、絵の少女の手前にも人物が入れられたことで、立体的な息吹を感じられた。 そして音楽。この何処か陽気でオリエンタル(?)な音楽は本当に洒落ていて、初見での印象を決定づけているように思う。オシャレ。 何気に走る足の動きや背景のスクロールと同期している? 一体感がある。 音楽がプツンと切れるのには初め違和感があったけど、テーマを考えるとこの断絶感は味になっている。突然、断ち切られる理不尽さ。 大人的。清潔でシック。なのは意図された印象だったのだろうか。 表情や動きに、疲労感や焦りが、ノっていない。全力疾走というより、軽やかなランニングのように見えた。 でも、それはそれで何処か遠くから見つめる視点(神の目線というか)のような、そんな立ち位置から見れたので、意外といいかも。 中盤での階段を飛び降りる箇所、メインとなる走りが自然なだけにやや丁寧さに欠ける部分もあったけど、 こういう挑戦心、個人的には大好き。こぢんまりとまとまっていないというか、何だろなー、ダイナミズムがあって好感。 コメントもいいっすね。過度にネタばらししないで、でも推理とワクワクを煽る名コメントだと思う。 余りにもいいのでコピペしてしまいました。 何から逃げてるんだろう? 時間ってのはわかるし、タイトルからある程度は推測できるのだけど。 でも、それ以上に、一生懸命走れなくなること、老いとか青春の終わりかな。もしかしたら死かなとも妄想は膨らむ。 そういう部分も含め、色々と楽しませてくれた作品でした。 15秒作品なのに一晩考えてしまった。それだけわたしが馬鹿だってことだけど。 ・mudai ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm20334449 何だろう。凄く手品っぽくも、「モノを作ってる」喜びや驚きを感じる。 指を折ってカウントダウンする間も素敵。焦ってない。 かなーりワクワクした。余韻もある。 折り鶴は予想できなかったなー。でもこう自然と演出されると、うおーすげーと思う。 非現実を現実と思わせる映像の説得力。ほんと滑らか。 珠が浮き出る不思議な現象も、違和感なく作品内で溶け込んでいる。 アニメの特徴は実写と違って、どこまで単純化やデフォルメが出来るか、って点にあると思ってたけど、 アニメなのに手の動きや折り鶴の折り目など、精緻に描写している。 だからなのか、今までにない密度を感じた。 この短さだから出来たんだろうけど、それでも折れずに貫徹したのに拍手したい心で一杯になった。 これはこのまま突き進んで、例えば折り紙を折る動作をそのまま描写してしまう、 っていう方向もアリかなーと思った。 いや、それは労力的には無茶な欲求なのだけど、他にそういうことをやれる人っていないんじゃないかと思わせるものが。 この拘り方は、病や狂気と紙一重な危うさを感じさせる。なかなか常人では踏み込めない域にいると思ったのは気のせい? 自分で自分を褒めてやってください。ご自愛を。 とにかく今回は無限に広がる可能性の一端を見れた気がする。羽ばたいて欲しい。 ・ひかげのこ ttp://1st.geocities.jp/xyzipper_szn/hrmk_hikage.html 春の一日が過ぎてしまう、そんな感慨が。 後半の絵柄の大幅な変化、やや理解しにくいブレみたいのを感じるけど。 英字も読むとまた印象が変わりそうだけど、読めないのであまくでも装飾品ということで観た。 受け止めたのはPlease! Please! Please! って所で何処か遠くにある感じがしていたのが、肉薄した内容になるのかな。 何処か遠くに感じる、って点はOPもそうだったように、かなり映画っぽさを感じるから。 ノイズみたいな縦線や背後の音などから。 コメントから「たいようを見たかったの」とあるけど。 ありがとう、は見れたってことかな。 でも「それでもね、おとうさま」からは安易なハッピーエンドだとも思えず。 作品内では「せんせい」と呼びかけているのも、妙な感じ。 きっとこうした断片的な謎は英字部分を丹念に読み解けばわかってくるのだろう? けど。 うーん、ちょっとわたしはそこまでたどり着けなかった。 でも、敢えてイベントでこういう作品を持ってきたのは、かなり面白い試みだと思う。 わたしなりの考え。 どうも、この女の子は太陽を見たかった、でも見ることができない環境にあった。 それは彼女だけではなく、おとうさまもそうだったのかもしれない。 雪女みたいに溶けてしまうとか。 せんせいは、幸か不幸かたいようが見たいという彼女の願いを受け入れ、導いていった。 彼女がたいようの下では生きられない「ひかげのこ」だとは知らず。 だからあの写実的な描写は、悲劇的な終わりを告げるとともに「ありがとう」という彼女なりのハッピーエンドを演出したんじゃないだろうか。 と、他の方の感想を見ると、ほんと切なくなる。 そこまで深かったのか、この作品。そこまで浅かったのか、わたし。滅茶苦茶マトハズレ。 と、まー、浅いなりには浅いなりで使い勝手があるだろうと、晒してみるわけですが。みんな天才だったり理解者だったりしたら、怖いでしょ? ・jump ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm20359899?mypage_nicorepo うう、何だこれは? フリーダム! とんでもなくフリーダム! 妙に笑えて中毒性がある。 白一色に線画なのと無音なのが、却って印象を深めてていい感じ。 構成って語っていいのか? 殆ど動かない序盤から、動きのピークを徐々に終盤に持ってきていて、かなり好き。 筋肉質な肉体への変化や煙を噴いて突進を一瞬でわからせるように、けっこう絵の力がありそうなのに、 何か炭酸が抜けていて、ぼけーっと見れる。いい意味で。 あのアゴ顔は三日月がモチーフかな。 造形から主人公には感情移入できない(というかする暇がない)けど、それが却ってオチを清々しくしているような。 ・Hatespeech ttp://blackyfilms.web.fc2.com/flash/flash5hirameki5.html 魂の叫びって感じ。 「おお! 俺の厨二の叫びを聞け」っていう痛さからは、イッポ置いたのは、音の賜物だろう。 とても機械的な音が、微妙に感情の振幅を控えめに味付けしている。 何だろうなー、とても切実な言葉なのに、寂しささえ感じる。独特な味。 メッセージは全て読み取るのは困難だけど、ぜひ読んでみたくなる後味があるし、かなり心に刺さる部分があった。 知らず知らずのうちに、序盤の単純な絵で侮っていた部分があったかもしれない。 何でか知らずか、「売春婦の娘」という単語が全体から浮いている気がする。 妙に具体的で地がつきすぎている感じかな。ってこれも体験から出た言葉なら、ヤヴァイけど。 ・inspiration ttp://sunsetyuhi.web.fc2.com/work/Inspiration/Hirameki2013.html 顔がほころぶ。 多分、仮面と音楽や効果音に朗らかさがあって、わたしの心を軽くしたんだろう。 かなり実験的な作品だと思うけど、ネルネルネルネを作ってるような楽しさ、甘味があった。 演技、上手いと思う。楽しんでる感が伝わってきた。 やっぱりあっちが笑ってくれると、こっちも自然とニンマリしてしまう。 youtubeと比べてFlashの方が画像が荒く見えてしまうのは、うーん。 単体なら気にならない程度なんだけど。 ・output ttp://www.geocities.jp/karoeya/movie/output.html いやー、これは開始直後から、物凄く高揚感があった。 それだけ色彩センス、立体と平面を自由に闊歩する面白み、脳の中でとろけるような心地よさがあった。 好き。初見でもう惚れてしまったが、何度も見返したくなる。 見返してみた。かなりの数。 まず音楽が好き。デジタルな「暖かさ」が春とよく合っていると思う。 同期も無理をしないように、でも一体感を持つように取られていて、気持ちいい。 あと鋭角的な線と丸みを感じさせる動き、とんがり方と緩やかな丸っぽさが、バランスよく配置されていて、飽きが来ない。 それは暫くタメの間を作ったあとの、色鮮やかな円へと画面を集約させる盛り上がりどころで、輝いている。 ここは、ほんと好き。これ観るだけでFlash観ていてよかった、と本気で思える。綺麗。 配色。色の配置の仕方が、かなり丁寧。背景も含め、ケバくなく地味でもなく。心地いいスカッと感。 今回は立体のサイコロ辺りのシーンに、ちょこっと唐突感が。 なんだろうなー、この場面が、しっくりこないというか、何というか。南東か。NATOか。 それと何気なくも序盤にあるムチのようにしなる線の魅せ方。 ごく自然に演出されてるけど、こんな切れ味あるものを見ると「あー、確かな個性がある」って思う。 ・卵焼きにかけるモノ ttp://www.geocities.jp/densekabox/flash/tamagoyaki.html 滅茶苦茶だ。オリキャラで勝負するかと思ったら、激しく忍者が出てくるし、しかも殺伐として暴力的だし、喋るし。 でも、ここまで徹底してるからこそ、ショックが大きかったのかもしれない。 既成概念や予想を、ことごとく外された時に出てくる、心の底からの開放。そんなのがあった。楽しかった。 卵焼きにはショー油だろ? とわたしは思ったけど、ケチャップってのも意外とぶっとんでますね。 そして忍者のセリフが余りにドラっギー。キマってる。こんなセリフ、思いつかないよ。 演出では、効果音の使い方にかなりビックリした。一瞬の居合劇を見ているかのような緊張感。 何気に最後の方で徐々に調味料がかかっている細部の描写にコダワリを感じる。 またオリキャラの表情がとても漫画チックで、 この点が残酷で攻撃的な印象をもちそうな本作を、ギリギリで笑いへとつなぎとめていると思った。 ・+ R.P.S. + ttp://www.geocities.jp/m3685jp/flash/hirameki2013/index.html 本日の挑戦。 4/7 6/7 4/6 1/5 2/5 5/6 7/8 5/7 6/7 17/7 ありゃ、バグ? キリのいいところだし、裏技でも超得点が取れたので、ここまでで。 慎重に進めた積もりなのに、どこかしらが間違っているのが、なんか悔しくもあり楽しくもあり。 反射神経と判断力と遊び心が要求される。妙にハマる。 飼ってください。適度なギャグテイストがメリハリを。 ただ答えの成否が回答直後ではイマイチ分からなかったので、正解・不正解を音でわけると、より親しみ易く達成感が出るかも。 あとはグーが、グッドジョブに見えてしまった。何か子供のジャンケンによくあるグーチョキパーが合わさったムテキっぽい禁じ手な感じにも。 /j^i ./ ;! / /__,,.. / `(_t_,__〕 / '(_t_,__〕 GoodJob!!! / {_i_,__〕 / ノ {_i__〉 / _,..-'" / これはオーソドックスな記号で十分な気がする。 シンプルなルールだけに混乱は少ないほうがと。でも、わたしだけかなー、そう思うの。 ・15秒で15面 ttp://nrf-flash.sakura.ne.jp/flash/fifteenfifteen.html 本日の挑戦 10、8、8、10、10、11、10、8、10、8、8、6、8、10、6、4、8、8、8、11、8 悔しい、悔しいとついリプレイしてしまった。 何だろうなー。マップ構成を覚える要素と適度にアクションを要求される要素が、上手い具合に融合していると思う。 2面はダッシュで突っ切れる。8面は落下率が高いけど、うまくジャンプが決まれば、行ける。 難度的に10面クリアで満足。11面は時間もステージ構成もムズク、この先は行けない気がした。 こういう一刻を争うゲームって、マウスを使わず、キーボードだけでプレイやリトライが出来るのがとても嬉しい。 余計なストレスが掛からず、凄く手軽にやれる。 キャラも思った通りに動くので、触り心地もいい。 失敗した時に、ステージのせいじゃなく、「ああ、自分が操作ミスしたんだ」っていう心を呼ぶのは、マリオUとかの丁寧なチューニングっぽさが。 ゲームオーバーの時に失敗した面を教えてくれたり、あわよくばクリア面に応じた一枚絵を用意してくれたり、そうすると。 ってちょっと贅沢な欲求か。でも、そう思わせるだけの土台の確かさはあった。 難易度高めだけど。 15面クリアした人の動画とか観たいなー。きっとかなり計算して15秒ギリギリでクリアできると見た。 って自分がゲームを上達すればいいんだろうけど。他力本願。 ・みほのRUN ttp://lionz.from.tv/flash/mihorun.html ドット調のデザイン、音楽はファミコンを思い出させるけど、その中でもファミコン後期のようなかなり丁寧で力の入ってるパッケージ。 中身もやってるうちにルールがすんなり入ってきて、初心者なわたしでも十分にクリアできる難易度で、いい感じ。 おまけも含めて一分くらいで楽しめるそのお手軽さが…… きっとコスパ的にはもっと楽しめれるのだろうけど、そう思える手軽さが気持ちいい。 メイドというコアなアイテムを扱ってるのに、ゲームのさわり心地や紙芝居漫画の軽やかさは、じんわりと伝わってくる優しさがある。 ホウキで銃弾とか眼鏡投げとか、一つ一つの発想も自由でそれでいて素直に画面を楽しませ、入ってくる。 3DSの立体視でこんな系統の作品を、作ってくれないかしらと、そんなプロっぽさがある。でもやってることはアマチュアの謳歌。 得点とか付くとやり応えは上がりそうだけど、広い受け皿を目指して敢えて止めたのかもしれない。自分は後者よりに楽しめた。 何だろうな。競ったり挑んだりするんじゃなくて、インタラクティブな小品をのほほんと味わえる感じ。 こーゆーの好きです。 ・Would ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm20361952 ちょっとしたダサさも含めてクール。 渋谷系Flash? なんて詳しくないのに言わせてしまうスタイリッシュさ。 実写系は恥ずかしがり屋が多いのか、人物を出すってのが少ない印象があったけど、かなり効果的に使っていて、自然と好感。 道路を歩くだけ。でも都会では正面しか見ないことが多い。人通りが激しいから。上ばっかり見るときもある。ビルに慣れないから。 そんな見逃しがちなアスファルトを進む足元の道に、敢えてカッコヨサを演出する。 この視点は、表面だけの上澄みをかっさらっただけじゃないモノを備えてるんじゃないだろうか。考えすぎ? 道路と線路、ややどっち付かずか。なんか、この作品は他に見応えのある部分やアイディアをかなり編集して削った作品に思える。 15秒という制限が枷になった気もする。 時間制限のない舞台なら、もっと輝くんじゃないかなと身勝手にも思う。 read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる