関数型に魅入られた人は我々と違ってなんか宗教のように関数型を推すけど
あれはなんなんだろうか。なにか彼らの中で現行の言語で許せない何かがあって
よくわからない"それ"からの解放が宗教的恍惚をもたらすのだろうか?

たとえば俺はRPNの電卓を愛用していて日常的に2*3+4*5を
2ent3*4ent5*+と操作して計算しているわけだが
この方が計算機の構造に合ってるしエレガントで速いとは思うものの
「これからの数学では2*3+4*5は2ent3*4ent5*+と表記すべき!未来はそうなる!」
なんてあたまおかしなことはそれが引き起こす「副作用」を考えると
とても言えないわけで。

ちょうど俺が最近のC++やらなんやらのわけのわかんない型や書式、クラスの氾濫に嫌気が差して
あの「なんでもクラスだ」「クラス名は読んでわかる奴にしろ」「メソッドも見てわかるように作れ」で
長い名前だらけでキートップの磨耗をできるだけ防ぎたいプログラマーに絶不評のObjective-C最高じゃん?
ってなってんのと逆ベクトルで、関数型こそ至高!ってなる…なにがあるんだろう?