前にもたびたび話題になりましたけど、「中間言語」とか
「知識表現」とかいったモノは、ひょっとしたら
必要ないんじゃないの?みたいな話があります。
「文語で書いたモノがあれば、それはデータなんであって、
人間がどう解釈するかっていうのは、けっきょく人間の
都合じゃねぇの?」っていう立場です。
「春は、あけぼの」って言われたら、「平安時代に、清少納言と
呼ばれた人が、『春は、あけぼの』と書き残した」という事実が
あるだけで、「じゃあ、本当に平安時代の春はあけぼのだったのか?」
を確認しようはありません。「だったら平安時代に行ってこい」みたいな
話になるわけですし、文献以外に残っているものは、考古学的な
証拠しかないのですから。
現代社会においても、裁判においては調書と物証がすべてなワケだし、
それが捏造されてて冤罪だったりするかもしれません。
そんなワケで、「意味」については、人間に丸投げしちゃって
いいんじゃないでしょうか。