オブジェクト指向を考え出した人間もオブジェクト指向の解釈を誤っていたのではないか
クラスというのは人間が直感的に思い描く世界の事物をプログラムコードにマップする手段ではなくて、
プロセスという大きなチューリングマシンの中の小さなチューリングマシンを記述する手段にすぎなかった
(チューリング完全性の利用例の一つだった

クラスのコンストラクタは状態機械であるところのチューリングマシンの初期化と生存期間の始まりに相当する
デストラクタは後始末と生存期間の終わり。
メソッドはチューリングマシンにlive timeを与え、計算を進めさせる。
そんだけ

状態(mutableなデータ)を含むから関数型プログラミングとは似て非なるものだし、
数学的にカタをつけるにはチューリングマシンの一変種で無限長の磁気テープをクラスで小分けにしたもの、
としか言い様が無い