やはり動的型が好きな人はありとあらゆることがゆるゆるで
それはこういった会話にも表れてしまって、全てが場当たり的なんだな
会話がこうなんだから、他のこともそうなんだろう
指摘されてから直したらよい、的な

どうしてそうなってしまうのか、非常に興味深いところであるが
おそらく現実が正しく認識できていないか、もしくは根本的なところを履き違えているだとか
そんなおかしな状態で日常を過ごしていると
思考回路がいい加減になってしまって常習化してしまうのだろう

モデルが正しくないところへ幾らインプットを流し込んでも
正しく学習できないばかりか、どんどん変になっていく
そのうち何が何やらどうでもよくなってしまうのだろう