個々人の生存戦略としてはそりゃ英語読めた方が良いけど
コミュニティとしては裾野を広げるために各種言語のリソースは用意されてた方が良い
bookの翻訳が不十分なのは課題だが、だからといって翻訳の取り組み自体を否定するのは違うんじゃないの?
それとも英語等のハードルを越えた人間のみ触れるものであるべきという思想なのかな