生産性の向上っていうのが誰視点なのかって話。
高階関数の実装者側は、そもそも渡される関数の副作用に対してできることは何もない(どんな副作用かも分からないんだから当然)のだから、元々「余計な心配にリソースを割く」こと自体がない。引数として渡される関数には副作用がないか、副作用を持つとしても高階関数の処理に影響は与えないという前提で書くだけでしょ。引数として副作用のあるlambdaを渡して、それが原因で高階関数の処理に影響を与えたら、それは呼び出し側が悪いってスタンスで書くしかない。
高階関数の呼び出し側は、特に高階関数のコードが読める状況なら(典型的には自分だけで書いている状況なら)、引数として渡す関数・lambdaに副作用があったとしても、それが高階関数の処理に影響を与えるか否かを判断できる。高階関数の処理に影響を与えない副作用がある関数・lambdaを与えるのは別に問題はないのではないか、それでも何か避けた方が良い固有の問題点があるのかどうかというのか792の疑問ね。
コードを読む人は、高階関数に引数として渡される関数・lambdaには副作用がないか、副作用を持つとしても高階関数の処理に影響は与えないという前提で読むだけ。

実際に副作用のあるlambdaを書くことはほとんどないけれど、780みたいな単純な代入処理はたまにlambdaで済ませたくなることもある。そういうときに、一般論とか教条主義的なスタンスを超えた問題が何があるのかなという疑問だったんだが。