【VIVA NICE】CASCADE-カスケード-【えええぢゃないか】 [無断転載禁止]©2ch.net
>>364ー>>370
今日はID2つ間おき交互に使いIDコロコロじゃないのか?
今日8/2は人類に向け初めて原子爆弾を
投下した日なんだが日本人じゃないBBA
にはなんとも思わないんだな
午前8時15分には原爆によって亡くなられた方々へのご冥福と恒久の平和を祈り一分間の黙とうをしたか?
美輪明宏さんは長崎出身で、10歳で原爆を見た。水を欲しがる女性が家に来たが、手が無い。土瓶を口に含ませ飲ませたら、拝んでくれた。
それで亡くなった。手の施しようがない。背中の赤ちゃんは元気ですか?と聞く母親もいた。赤ちゃんは死んでいて答えられなかった。
キチガイのお前は暑さの中で誰と戦って
る?こっちに不快感を与えようとしてるかもしれんが
子なしどころか結婚もできない
低学歴のキチガイ子供部屋婆が哀れ、
としか思ってない
糞尿は半島人、朝鮮人のお得意だから
お前は生活保護不正受給している
チョンだがな >>364ー>>370
必死で1日中数時間おきこちらのカキコミと一緒に見せようとしているが無理があるから
お前のような中卒低学歴の底辺婆のカキコミと同一にはハタ見えんからな 下痢食える、JKのパンツ3枚を口、鼻、チンコに付けながら抜く! ジャニー喜多川氏による性加害問題をめぐり、元ジャニーズJr.の木村伸一氏(46)が実名・顔出しで「 週刊文春 」の取材に応じ、
自身が受けた被害とジャニーズ事務所退所後の苦悩の日々を明かした。木村氏はジャニー氏から「V6に入ってよ」などと声をかけられ
ていたが、実際に加入することなく事務所を退所。21歳の頃に芸能界から引退している。
小学生の時に父親が事業で失敗し、自己破産するなど苦しい家庭で育った木村氏。中1から新聞配達、高校生になると歳をごまかし
て夜の街でキャッチのバイトなどを行い、月17万円ほどを家に入れ、家計を支えていた。
1995年1月8日、当時高3だった木村氏がアルバイトをしていた地元大阪のマクドナルドに電話がかかってきた。ジャニー氏だった。
木村氏が語る。
「親類が黙って応募していたんです。半年くらい前からジャニーさんは自宅に電話をかけていたのですが、母親が相手にしなかった。
その日はたまたま姉が電話を取って、バイト先を教えたそうです。『今日、KinKi Kidsのコンサートが大阪厚生年金会館であるから来
て』と。バイト中なのでと断ろうとしたら、マクドナルドのマネージャーに『何言ってんだ、行ってこい!』と言われて。ジャニーさ
んに会うと熱心に口説かれ、数日後に上京するよう新幹線のグリーン車のチケットとお金を渡されました」
ジャニー氏が熱心に口説いてきた
木村氏は苦しい家庭の事情を伝え、就職するとジャニーズ入りを渋った。しかし、ジャニー氏は「その分のお金は補える。僕につい
てきて」と熱心に口説いたという。
そこからジュニアとしての活動が始まった。
悪夢のような出来事が木村氏を襲ったのは雑誌「Myojo」の撮影があった日の夜だった。
「下半身にグチュグチュした感触が…」
「寝ていると、下半身にグチュグチュした感触があった。童貞でしたが、舐められているとわかりました。掛け布団の下をのぞくと、
ジャニーさんと目が合った」(同前)
急いで布団を戻した。「どうしよう」と思ったが抵抗することは選ばなかった。イカないと終わらないと思った。ことが終わると
ジャニー氏は部屋を出て行き、木村氏はすぐにシャワーで身体を洗い流した。
翌日、枕元には2万円が置いてあったという。 〈《ジャニーズ性加害問題》「イカないと終わらない」“幻のV6メンバー(46)“が実名顔出し告白 ファンの誹謗中傷に悩み、「なんで自分は耐えなかったのか」と自殺願望が…〉 から続く
「東京ドームのステージから見る、ペンライトがいっぱいの景色って、すごくキレイなんですよ。全然自分がメインじゃないんですけど、それでも、すごく気持ちが良くて……」
30代半ばの元ジャニーズJr.の男性は、初めて東京ドームのステージから、観客席を眺めたときの気持ちをこう振り返る。
仲間との楽しい日々、レッスンに費やした努力、そしてステージでの恍惚感。だが、その僅か数時間後の出来事によって、全てを捨てざるを得なくなった――。
実名でこう証言することを決意したのは、中村◯◯氏(35)だ。 中村氏はジャニーズJr.が多数出演していた『8時だJ』(テレビ朝日系)を観て、テレビに出ることに憧れた。滝沢秀明や今井翼、山下智久など、ジュニア人気が最高潮の時代だった。母が履歴書を送り、中学1年だった01年1月、事務所からいきなりダンスレッスンに呼ばれた。そこからジュニアとしての活動が始まる。
「毎週末にレッスンがあって、週を重ねていくごとにA、B、C、Dとグループ分けされて、上のAとかBまでいくと『ザ少年倶楽部』(BSプレミアム)にバックとして出られるんです。レッスン前日とかに必ず連絡があって、呼ばれてないと切られたんだ、となる」
レッスンは渋谷のNHKの709リハーサル室で行われ、当時69歳のジャニー氏の姿もあった。ジュニアたちは昼食時になると、ジャニー氏から1000円札を受け取り、NHK内の食堂に駆け込むのが常だった。
「普通のちっちゃいおじいちゃんという感じでした」
あるとき、レッスン終わりにジャニー氏に声をかけられた。当時、六本木にあったジャニー氏の自宅マンションに呼ばれたのだった。
「〇〇や△△が泊まりに来るけど、ユー、来る?」 合宿所”と呼ばれるマンションに連れて行かれると、今ではデビューしているジュニアたちもいた。
「自分としては、ジュニアの子たちとみんなで、わいわい泊まりに行くぐらいの感覚でした。あと、叙々苑の焼肉弁当が出るんですよ。何千円もするような。それが楽しみで行ってました」
2、3度自宅に行った後、被害に遭ったのは、02年10月19日。日付がはっきりしているのは、この日、東京ドームでタッキー&翼のデビューを記念したコンサートがあったからだ。
中村氏も出演し、翌日も同じ公演があったため、ジャニー氏の自宅に泊まることになった。その日は5人ほどが泊まっていたと記憶しているという。寝室で3人のジュニアと並んで寝ていた。中村氏は真ん中だった。その深夜のこと。
「女の子にやられているっていうのを想像して…」
「足元のほうから布団に入ってきて、すぐジャニーさんとわかりました。もう怖くて動けない。マッサージをされていたのかわからないですけど、(性器を)しゃぶられて……。自分のおじいちゃんみたいな親しみもあったので、そのショックもありました。やられてる最中は、女の子にやられているっていうのを想像して、頼むから終わってくれって。結構長かった気がします。30分くらいの感覚でした」
翌朝、ジャニー氏と他のジュニアと朝食を食べていた時だった。
「テーブルの下で、足の甲を、足でさすられたんです。それがまたゾッとした」
タクシーでドームに到着したとき、他のジュニアが会場入りする中、彼はジャニー氏に呼び止められた。
「1万か2万を手渡されました。『いらないよ』って断ったけど、『あげる』って言われて受け取った記憶があります」
前夜の出来事は、コンサートの時間を迎えても、重くのしかかっていた。
「結構、引きずってた。そこから、もうやる気が半減してました」
初日と同様、その日も観客席にはペンライトの光が揺れていた。
「キレイだなって思う気持ちの反面、素直に喜べない、複雑な感情が湧いていました。もう気持ちがだいぶ病んでたんでしょうかね」
中学3年生の中村氏は直後、受験の準備を理由に、ジュニアの活動から離れる。
「その後、仲の良いジュニアから、『ジャニーさんが呼んでるから泊まりに来い』と連絡が来たんですが、『嫌だ』と言って行きませんでした。しばらくしてジャニーさんに直接電話して、辞めますと伝えた。特別引き止められるようなことも言われなかったと思います」 被害を伝えた母は「訴える」とヒートアップして…
辞める直前、母には被害に遭ったことを伝えた。
「母はかなりヒートアップしていて、『訴える』とか言ってたんですけど、そこまではさせませんでした。今でも(訴訟を)言うくらいなんですけど」
被害を受けたのは1回。だが、それが決定的だった。
「あのことがなければとの思いはあります。ユニットを組んで自分の名前が出ることを目標にしていましたが、あのことが起きて、自分の中で白紙になりました」
中村氏はそれ以降、芸能界を離れ、今は事業を行っている。
ジャニーズ事務所に中村氏の被害の事実確認を求めたが、回答は無かった。
◇◇◇ 悪夢のような出来事が木村氏を襲ったのは雑誌「Myojo」の撮影があった日の夜だった。
「下半身にグチュグチュした感触が…」
「寝ていると、下半身にグチュグチュした感触があった。童貞でしたが、舐められているとわかりました。掛け布団の下をのぞくと、
ジャニーさんと目が合った」(同前)