【早稲田大学】渡部直己11【俺の女になれ】
前スレ
【早稲田大学】渡部直己10【俺の女になれ】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1586182985/
日本小説批評の起源
渡部 直己 著
発売日:2020.06.26
価格:3,740円
近代批評の起源は『水滸伝』とその伝説的注釈者にあった。
日本の近・現代文学批評の系譜を東アジア的視界から問い直し、
宣長から小林にいたる主流にあがなう文学の血脈をさぐる空前の力作。 5.
では渡部直己自身の研鑽度はどうかというと、アカデミシャンとは違って、大いに勉強不足だ。
「俺は(初期ナラトロジストの)ジャン・リカルドゥーのタネ本だけで10年ももった」
というみっともない不勉強自慢をよくしていた。
せめてフェミニズム批評くらい勉強しておけば、結果は違ったのに。
6.
「俺様ランキング」で下位の作家や学生には、侮蔑や罵倒をもって応対するのが常であり、
政敵の村上春樹に、「中心に空虚があるので、春樹の作品世界は天皇制と同じ」
という無理筋の批判を執拗に続けたのも問題。
下記「バカは教室から出ていけ」はアカハラそのものだ。
7.
渡部直己のセクハラ・アカハラ体質は、
彼の批評意識の低さとも有機的に結びついているというのが結論。
実は天野にとって渡部直己は、同じ平岡篤頼ゼミの遠い先輩。
専門が近く、近著にも目を通しているので、
彼が絶滅に瀕している文芸評論界では屈指の実力者であることも、よく承知している。
だから彼が今回の社会的制裁の意味を骨身に沁みて理解し、根深い男根中心主義を廃して、
第一線の知的研鑽を重ねて再起することを願う気持ちがないではない。
いずれにしろ、今回の勇気ある告発が、被害者側、加害者側、社会全体にとって、
最善の転機となることを期待したい。
2023年4月18日 この糞爺大嫌いだし、こいつの党派で靡いてる子分批評家どもも大嫌い
そりゃ人間は幸せになりたいものだし性欲もあるから女が欲しがるのは仕方ない
が、そんなんなら潔く女を買えよと思う
権力をバックに女学生を買うというセコさが実にくだらん
それこそそういう煩悩と罪状に右往左往する自我を小説にでもすりゃいいのに
それもせずに(創作講義を説いちゃいるがどうせ自分じゃ書けねえんだろ)文学の未来だのあるべき文学だの大上段から裁くのはお好きと
文学の終わりどうこう以前にまずお前自身を何とかしろ
こんなんだから文学やアカデミズムの評判が悪くなるんだ 平岡篤頼に指導された小川洋子について渡部直己はどう評価しているのかな? フェミニズムをインストールしても植村恒一郎のようにとんでもない方向に突き抜ける人とかいるし 藤島ジュリー景子社長でさえ「業界が特殊であるという甘えを捨て」って言えるのに
こいつほど業界の特殊性に守られている奴もそうはいないだろう
あと大澤真幸あたりか
どの面下げて講釈垂れてるんだか
文芸業界は芸能界以下 渡部や市川は文壇を芸能界にしたかったんじゃないかな インポテンスで早漏とかは限界。介助あって笑える。天啓発。 弁証法の方のように おっぱいある こどもある と少しずつ進むと飽きない多産。 ttps://amjls.jp/conferences 『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』書けなくなった批評家を救ったもの
首藤 淳哉 2023年5月7日
90年代からゼロ年代を通じた福田和也の活躍ぶりは、
まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」という言葉がぴったりだった。
「月300枚書く」と本人が言っていたように、文芸評論や時事評論、エッセイ、コラムを書きまくり、
ワイドショーのレギュラーコメンテーターを務め、文芸誌『en-taxi』を編集し、
母校である慶應大学の教壇にも立った。
当時、夜の街でもしばしば著者を見かけた。バリバリ仕事をしつつ遊びもこなす姿が眩しかった。
そんな破竹の勢いだった著者を、ある頃からぱたりと見かけなくなった。
たまに新刊が出ても、かつてのようなキレはなかった。
ある時、著者が家族を捨て、女性のもとに走ったという話を聞いた。
ゴシップの類だろうと思っていたが、『福田和也コレクション1』の解説で、
著者の親友である映画史家の伊藤彰彦氏がこの件に触れていて、本当の話だと知った。
もっとも、女性に入れあげた中年男性の話など珍しくも何ともない。だが事態はもっと深刻だった。
どんなに暴飲暴食をした後でも、ひとたび原稿に向かえば、これまでに読んだ本や、人と交わした会話、
子供の頃の記憶などから、言葉がどんどんやってきて、それを交通整理するだけでよかったという。
だが今、その循環は完全に断たれている。長年の不摂生は心身に深刻なダメージをもたらし、
80キロを超えていた体重が30キロ以上落ちたという。
村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、
「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなければならない」と述べている。
文学は目を背けたくなるような人間の醜い部分も扱う。
書き手に基礎体力がなければ負のパワーにやられてしまう。
若い頃に肉体をないがしろにしてきた著者は、まさに今、肉体の報復を受けている状態にあるという。 結局はガキしかオルグできなかったゴミってとこだな
批評共々体質的な人間なんだから和姦に持ち込める才能がない時点で終わってる 白江幸司
SNSでは、若い人が醜悪な発言をしても、吊し上げられることがあまりなく、放置されて済まされることが多い。
2023年6月20日
山下達郎のジャニーズ擁護も、スガ秀実周辺の若手〜中堅がこぞってスガを称えるのも、
恩顧や義理などの「仁義」によるものなので、
天皇制より仁義縛りのほうが人を規定するのでは?と思いを馳せる。
2023年7月6日
荒木優太(新しい本がでたよ)
山下達郎に対する饒舌と比べて渡部直己裁判への沈黙を想うと、ちょっとくらっくらしてくるね。
2023年7月9日 スガ秀実の柳美里へのセクハラは彼女のグーパンチの返礼で眼鏡が飛んだことで帳消しになってるような。
メガネを拾った後のスガは隅っこのソファで一人酒に勤しんでいたというが。スガにとっての「主人と奴の弁証法」と柄谷の「交換」は
対照的だが、ライターは必ず、嘘を吐く。 >>366
>>成功体験が彼を狂わせた
渡部によるセクハラ→性交の成功体験の間違いだろ。 セクハラはレべ低丁度そのタイミングに社会のひずみが不幸。
悪霊生霊死霊退治はレヴェ帝。 出世しないで嫁少ないカネが余って若い女と遊んだとかはどうか。 >>299
全共闘くずれも大概だけど、"全共闘ではない"がアイデンティティだと、何もないから単純にメスの取り合いが前景化してるだけの文屋になるんだよな。
怒鳴ることに輪をかけて内容がなくなる。
業務内容ですらなく、趣味判断に過ぎん文体主義者の体質的な好き嫌いであそこまで威張るんだぞ?
才能がある面談者に君はここにいるべきではない。ってしっかり言える人は、その辺の権力性に自覚があるだけマシなんだなあと思った。 今話題の松尾潔とやらがこいつのゼミ生だったんだよな
ゼミでこいつに邪険にされてたことを暴露していたが、
この松尾って奴、ジャニーズの件もそうだが、
世間的に水に落ちてから叩く傾向が顕著にあるな >>347
>>批評の現場でも、「不思議の国のアリスは大きくなったり、小さくなったりした挙げ句、
大量の水(涙)を放出するので、ペニスである」という珍説を披露したこともある。
(「視姦の国のアリス」『読者生成論』)
これはギリシャ神話のペルセフォネが冥府=地底の王ハデスに誘拐されて、ペルセフォネの母デメテルが娘を追って探している内に、
エレウシニアの王の家に招かれ、そこでbauboバウボというjester(笑わせることを役目とする者)に出会い、バウボのメクリ上げた
スカートの中を見せられたデメテルは思わず、明るい気分を取り戻す。バウボの小像がこれ。https://en.wikipedia.org/wiki/Baubo#/media/File:Terracotta_Baubo_figurine.jpg
渡部はペルセフォネとアリスが地下に落ちたエピソードのアナロジーから、アリス=男根説を導き出したのだろう。 荒木優太 @arishima_takeo
ええー。
一段落したら渡部直己事件の総括的なことするのかと思ってたけど、なんかヌルッと終わってしまったな…。
いよいよどこも振り返らない事件になっちゃってるけど大丈夫なんだろうか。 早稲田文学が休刊したことの責任の一端が渡部直己にあることは歴然だろ。
老兵は死せず、ただ消え去るのみ。
柄谷にも言えるだろう。
論争でコテンパンにされたから、古い思想が消えるとかじゃなくて、それへの関心が薄れて行くだけ。 栗原裕一郎 @y_kurihara
『早稲田文学』に関しては、渡部直己事件の流れとはいえ、同誌制作総指揮と編集者が
作家を訴えるなんて異常状態にあったわけで、続いていたほうが不思議ではあった。
編集者が寄稿者をブロックしてたりしますし。おれのことですが(笑) ある小説へのこいつの解説読んだけど、酷すぎてゴミだった
その作品自体の読解じゃなく最後に別の作品を呼び出して無理やりなまとめ
こんなのが文芸評論家を名乗れる上にセクハラか 何の小説の解説?
具体的な対象を具体的に批判しないと、
お前は渡部のチンカス以下だぞw。
「読解」なんて無邪気に使ってる時点でお里は知れるが。 The Red Diptych
蓮實重彦が大江健三郎について書いた文章を読んでふざけんじゃねぇと思ったので、蓮實の原罪を断罪することにした
途中から渡部がボロクソに叩かれてるな 荒木優太 @arishima_takeo
今年一番印象に残った文学ニュースは、深沢レナさんの裁判がひと段落したこと
(といってもまだつづいているようだが)とそれに呼応するかのように『早稲田文学』が休刊になっちゃったことだな。
特に総括とかしないんだろうなと思うのだが、どうなんだろうね、今後文芸誌がフェミニズム特集とか組んだとして
上記の事件を華麗にスルーした上でやられても「えっ!?」とか反応しちゃう気がするが、過大評価なのかね。 佐野亨(1982年11月24日 - )
佐野亨 Toru Sano
映芸(もちろん現在の体制になってからの)に対して、僕は非常にアンビ
バレンツな感情を抱いているが、稲川方人さんにかんしては、いままでの
人生でもっとも危機的な状況にあったとき、そのことばにたいへん救われ
たという思いがある。だからこそこの件では失望したし、いまいちど考え
てほしいと思う。
2024年2月3日
岡田秀親
話を戻します
渡部直己の記事が掲載された映画芸術を読んで、私も加害者側しか取り上
げないのはどうかしていると思った。
荒井さんに双方の意見を聞く耳がないことは先ほど書いた過去の経緯でわ
かっていたが、当時にもいた稲川方人さんの意思はどうだったのだろうと
改めて思った。
2024年2月4日 「自分の箸で食事シェア」もセクハラ認定 元早大教授らに賠償命令
毎日新聞 / 2024年2月22日 19時41分
https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20240222k0000m040313000c/?tpgnr=poli-soci
早稲田大学大学院の教授だった文芸評論家の渡部直己氏から在学中にセクハラを受けたとして、元大学院生の女性(33)が渡部氏と早大に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(増田稔裁判長)は22日、渡部氏と早大に計99万円の支払いを命じた。2023年4月の1審・東京地裁判決から賠償額を約40万円増額した。
1審判決が違法性を否定した、食べかけの食事を渡部氏が自分の箸で女性とシェアした行為について、2審判決は、立場の弱い女性が食事に乗り気でなかった心情に照らし、「セクハラ及びパワハラに当たる」と認定した。早大の責任については、1審同様に適切な学習環境を提供する義務を怠ったとした。
判決によると、原告の詩人、深沢レナさんは15年9月に渡部氏が教授だった現代文芸コースに合格。17年4月に渡部氏と2人での食事中に「卒業したら俺の女にしてやる」などと言われた。相談した別の教授からも「あなたに隙(すき)があった」と言われ、18年3月に自主退学した。
早大は18年7月、深沢さんからの申告に基づき、渡部氏のセクハラを認めて解任した。【斎藤文太郎】 渡部直己は早稲田大学文学部卒の三浦凛理を愛人にして老後を過ごせば良いと思う 浮遊月
今日の道新。深沢レナさんのインタビューと併せて、渡部直己氏と早大の
コメントも。
https://pbs.twimg.com/media/GK5F7VjbUAAJPOl.jpg
2024年4月11日 偽日記@はてなブログ 古谷利裕
2024-05-01
⚫︎荒川修作は、下のような強い言葉を言う。まず最初に一撃を「かまして」くる。
この、まるで詐欺師のような「かまし」を、どのように受け取るのか、「かまし」
に対してどのような態度を取ればよいのか。少なくともこの35年以上、そのことは
ずっと頭にあり続けている。以下のアラカワの発言は、「季刊思潮No.1」(1988年)
より引用。
《僕が言っていることを知ることはできても、信じることはそう簡単にできないで
しょう。なぜならあなた達は学校やいろんな所で、時間とはどういうものである
か、空間とはどういうものであるか、大体教えられて、身をもって経験してきたわ
けです。この頭の中に完全に植えつけられているだろう時間とか空間の概念を変え
ない限り、あなた達には一つも救いがないってことを本当に知らなくちゃいけな
い。》
(追記。人生の危機にあって揺らいでいるような人の前に、偉そうなおっさんがやっ
てきて、自信満々に、「いいか、お前が今まで信じてきた常識なんてものは、全部
嘘っぱちなんだよ。まずそれをわからない限り、お前はこの先どうにもならねえ
ぞ」みたいなことを言い出して依存させようとするのは、完全に詐欺師のやり方
で、もう、その瞬間にその人の言うことは一切信用したらダメだと判断すべきだ。
個人的なことを言えば、ここまで露骨でなくても、少しでもカリスマ的な雰囲気を
出してくる人には、もう、即、心のシャターを下ろすという感じで生きてきた。ア
ラカワはまさにその典型なのだが、例外でもある。面白さが警戒心をはるかに上回
る。いや、しかし、ほんとに例外なのか ? 、うーん。みたいな感じで、「季刊思
潮」を読んで以来三十数年間、ずっと考え続けてきた。)
704文字 mixi
Lewis Carrollコミュのルイスキャロルのとてつもなさ
mixiユーザー
2006年07月15日
「地下の国のアリス」が始め「アリス」という他者のために書かれた物語であるということ
と、数学者(論理学者?)であるドジソンの手によって生み出されたものであるという2点
に非常に興味を持っています。
一方では、「少女愛好家」としての一面が強調され、その偏愛の結果としてアリス作品が見
られていることや、また数学者というのは実はあまり関係ないという見方もあるわけです
が、僕にはどうもそうは思えない。(まだ完全な主観ですが・・・)
少女愛好家な「だけ」の人物の作品がこれだけ多くの人を魅了するはずはないだろうし、
「数学」という自分の専門を無視して作品を生むはずはないだろうという気がしているので
す。
[2] mixiユーザー
07月23日
キャロルのロリコン説に関してはさまざまな見解があるため、
一概には言えないと思いますが、
『不思議の国のアリス』のテクストには性的表現の比喩と取れる箇所がいくつかあるみたい
です。
●きのこの上で自分の背丈を気にしている芋虫。
「caterpillar」は「cater・pillar」で区切ると「要求に応じる・柱」となります。つまり男
性器の比喩です。
●「stir」スープを「かき混ぜる」の他「興奮させる」という意味もある。
●体が大きすぎて鍵穴の向こうに見える庭に行けない。
大きすぎて入り口に入らない、という比喩。 [3] mixiユーザー
07月23日
>2.りつ さん
>『不思議の国のアリス』のテクストには性的表現の比喩と取れる箇所がいくつかあるみた
いです
日本では渡部直己も、同じようなことを言っていますが、こんなものはこじつければ、どん
な文章表現作品にも見つかるものでして、フロイト風解釈の悪影響そのものでしょう。
>「caterpillar」は「cater・pillar」で区切ると「要求に応じる・柱」となります。つまり
男性器の比喩です。
これなんか、まさにこじつけそのものですよね。
1933年にAlice in Wonderland Psychoanalysedという短い論文が出ていますが、どうや
ら冗談で書かれたらしいこの論文から、本気にとって大まじめに論じた人が多かったようで
す。
ウィリアム・エンプソンなんかも、フロイトで解釈していますが、所詮はある時期までのア
メリカの流行に過ぎないでしょう。
>●体が大きすぎて鍵穴の向こうに見える庭に行けない。
大きすぎて入り口に入らない、という比喩。
くまのプーさんには、蜂蜜を食べ過ぎたプーが穴から出られない、というそのものずばりの
エピソードがありますが、ミルンでこういった指摘はないわけで、結局は性的比喩は、それ
をみつけようとするものの精神状態を現している、というほうが妥当かもしれませんね。
[4] mixiユーザー
07月24日
その渡辺直巳サンの授業で、
小耳にはさんだもので。笑。
確かに渡辺センセの精神状態はいつもエロかも。笑。