英軍哨戒機の撃墜
7日、タイ湾方面は朝から雲多く積乱雲まじりの層積雲は海上200メートルまで垂れ下がって、
時々、降雨を見る天気であった。この日、青木第12飛行団長は飛行第7戦隊の主力、飛行
第64戦隊及び飛行第81戦隊各一部の配属を受け、船団掩護の全責任を一身に引き受け
ていた。飛行団長は「挿図第17の2」に示す掩護計画に基づき、陸軍戦闘機体独力により船
団掩護を担任した。0800、第一次の任務に服する飛行第1戦隊が出発した。武田第1戦隊
長は第1回目の掩護中隊を指揮して船団予定位置に直行したが視度が悪く船団を発見しな
かった。第2次以降は船団を確認して上空を掩護した。第3次は同戦隊第1中隊の担当であ
った。第1中隊第2編隊の窪谷敏朗中尉はパンジャン島北西40km,高度1000mで英国哨戒
飛行艇(米国製)カタリナ一機を発見した。中尉が300m近くに接近したところ、哨戒機の方か
ら射撃された為、直ちに一撃を加えて、1025これを撃墜した。哨戒機はこの直前、海軍神川
丸の零式水偵機と遭遇し、水偵機を追跡して船団と反対方向のパンジャン島近くまで飛行し、
たまたま窪谷機に遭遇して撃墜されたものであり、今次戦争における撃墜第1号である。現地
作戦部隊は、一様に「さい先良し」と感じたが、中央ではこれを契機とする不期開戦の事態、
すなわち、急襲不成立を憂慮する向きがあった。