しかし、現実は、まなぶ著のマリアナ沖海戦でも書かれているように、何故敵前で燃料補給をしたのかって事だな。
大鳳爆沈の後、第一機動艦隊の司令部要員は、一端駆逐艦若月に移乗、更に羽黒に移乗したものの
通信状態の不良から…というかどこからも電波が来ない・受信が出来無いのでは無く、
呼びかけても各方面応答がないので、戦果がよく分からない、電波の量は戦果に比例するというけど、
そのまま6/19 1600〜翌1200まで、羽黒で指揮を執っていたわけだが、やはりよく分からないと言う事で
母艦瑞鶴に移乗したわけだが、この20時間はかなりの致命的なミスだったと思う。
最初から何故瑞鶴に乗らなかったか?何故指揮権をそのままにしたか。
南雲長官は南太平洋海戦では、野分に移乗したが、空母戦指揮を次席指揮官の角田に渡して
自らは、翔鶴の艦長の説得(翔鶴を囮で突っ込むとかいう有馬と、アホかという草鹿がケンカ)しつつ
瑞鳳、翔鶴を後退させつつ、適切な処置をしている。これはもうMIの失敗の時の戦訓が生きていると思う。
二航戦飛龍が生き残って、指揮権がわやくちゃ(一航艦の次席指揮官は阿倍さんだったっけ<利根か)になったことから
旗艦被爆の際の航空戦継続のやり方を知っていたわけだ。 南太平洋では、二航戦には角田(一応大砲屋)と
瑞鶴艦長が自ら戦闘を継続して、トドメを刺したけど、マリアナ沖では、二艦隊の栗田も、三艦隊の二航戦も
なんか手持ちぶさたで、なんか指揮の混乱が見える。 この辺が20日1750からの空襲をもろに受けて
マリアナ沖で盆踊りをやる羽目になった遠因だと思うんだがねえ。

>>312
かといって、秋月型は数が限られるし、やはりここは丁型駆逐艦松型が居ればと思いますね
対空対潜能力はそうでもないけど、ダメコン能力に優れ、それでいて小回りがきく。
そして半年に一隻就役出来るし、工法が簡略化されているので、民間造船所でも作れる<ドッグの数を有効に使える