南雲・草鹿はミッドウェーの戦訓として、「何が重要かと身に染みたか」どうかを判断するにあたり
第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦の実運用を見ていると、ハッキリするだろう。
源田は1942年7月17日に瑞鶴の飛行長に転勤したから、一応考慮の外に置く。

6月12日に(源田が???)軍令部へ提出した空母部隊再建案に基づき、
1コ航空戦隊は、大型空母2隻(攻撃隊を搭載)+小型空母1隻(自衛戦力を搭載)の3隻編成に変更となる。
この前提で、第二次ソロモン海戦の「南雲・草鹿のナゼ?」シリーズが始まる。
 ・龍驤の分派:戦力の集中・分散(戦闘機)
 ・温存した艦攻隊:戦力の集中・分散(艦攻・艦爆)

■龍驤の分派(その1)
この第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦の時期に関し、アジ歴に大した公式書類が公開されてないから、
一次史料が不足気味、ではあるけれど…
そんな中、田中「記録マニア」二水戦司令官は立派だ。戦時日誌等がキチンと残ってる。
(だから、海軍上層部からは煙たがられ、第二水雷戦隊司令官を解任され、という左遷人事コースを歩むのか???)
  例えば、Ref.C08030095600の18/52頁に、8/7 1642発の4空航空機の偵察電報が記載されてる。
  「ツラギにある敵艦 大巡3 駆逐艦7 輸送船27」と、ハッキリと記録されている。
  20/52頁には、25sf司令官の敵情報告「輸送船約40」の記録がある。
  46/52頁、11AF参謀長(酒巻宗孝)の8/13 1018発の恥ずかしい電報、
「ガダルカナル基地陸上の敵兵力は有力部隊にあらず」すら記録されている。
  また、Ref.C08030095700の8/52頁に、軍令部1部長 16日1940発の「8/12のソ連情報」の打電内容が記録。
  状況判断の誤りを衝かれると、クビが涼しい参謀達から見れば、迷惑な記録だろうな、と思う。

さて、本題に移って、GF長官の命令(8/23 2055)の原文を確認(Ref.C08030095800の35/48頁)
 「明24日のガダルカナル方面作戦は、左に拠り之を実施すべし(中略)
 2. 支援部隊は 午前中に敵機動部隊に関する情報を得ざれば 之に備えつつ 午後適宜の兵力を持って
 ガダルカナルの攻撃」

(続く)