1943年、U155をはじめとするUボート数隻の狼群(ウルフパック)はビスケー湾を出撃した。

とたんに第307ポーランド航空隊のモスキート双発戦闘機が襲いかかる
ポーランド人はイスパノ機関砲4門をU155の艦橋に叩込み、Uボートも艦橋の20ミリ連装で
反撃した。モスキートは左翼エンジンに命中弾を浴び、破片を散らして退避
このころUボート艦橋にはウインターガーデンという張り出しがもうけられ20ミリや37ミリ砲を
つむようになっていた。37ミリ砲タイプは高度3000mまで対応できた。

二番手のモスキートは急降下にうつったとたんイスパノ機関砲が突然故障してうてなくなった。
他のモスキート二機の激しい機銃掃射。U155も対空砲火で反撃した
この攻撃でU155の船体は傷つき、多くの負傷者が出たのでロリアンに引き返し修理する
ロリアンの掩蔽ブンカーにもウエリントン爆撃機が殺到し攻撃した

1944年、U155は洋上で執拗におそいかかる第248飛行隊モスキートの機銃掃射で損傷しながら
なんとかロリアンにたどり着いた。ついに連合軍のノルマンディ上陸がはじまったのだ。
このとき、U155は空母1隻をふくむ25隻を撃沈する殊勲を上げ、生き延びたまれな艦であった。

第617爆撃団のアブロランカスター重爆がロリアンを爆撃、全長6,4メートルの巨大爆弾トールボーイ
は厚さ数メートルのコンクリートを貫通、爆発した。内部繋留のUボートは横倒しになる
米軍の第四機甲師団のシャーマン戦車もロリアンを包囲し、造船所の労働者はあわてて逃げだした
カサブランカ会談で指名された、Uボート造船所が最優先目標でまさに包囲されつつあった