スピットファイア MkT

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1名無し三等兵
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2014/09/29(月) 21:36:43.19ID:EpcX1BC4
戦歴、戦術、その他雑談もあり。
549名無し三等兵
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2015/10/09(金) 02:15:00.66ID:pBNlPPy9
>>532
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

戦略的撤退? 馬鹿も休み休み言えってとこw
550名無し三等兵
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2015/10/09(金) 02:19:14.33ID:pBNlPPy9
弱体なイギリス空軍と強力な米空軍、コヒマとインパールはその事実を浮き彫りにしてくれる。
2015/10/09(金) 19:00:15.06ID:CDi8JXN0
・「イギリス人の誇るスピットファイアは、彼らが信じるよりはもろい」
・「米軍の虎の威を借る狐みたいなスピットファイア」
・スタンレー山脈でグリフォンスピット(?)が零戦21型にフルボッコ

松本御大のアンチスピットぶり
2015/10/09(金) 19:03:01.76ID:zwJDK+lD
>>551
親の敵かw
2015/10/09(金) 19:38:09.54ID:40aSPqHR
>>544
第5飛行師団が制空権が無いから航空作戦は出来ないと牟田口に言ったらチンドウィン渡河まででいいと言われたらしく航空支援はほとんど行わなかったみたい
第15軍司令部すっ飛ばして窮状を叩きつけた部隊には補給物資の投下をしてたみたいだけど

>>548
コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退と第31師団による奇襲成功が合わさった結果
戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が増援を送らなかったのでむしろ当然の選択
日本の補給が脆弱だっていう前情報もあったんだし
554名無し三等兵
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2015/10/10(土) 07:03:50.49ID:Jf7zSVKC
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退



この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
555名無し三等兵
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2015/10/10(土) 07:09:06.60ID:PVVz3Vz/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した
第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。
しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を
実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、
作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川
河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6
2015/10/10(土) 07:15:55.86ID:MD/nM07a
コピペ気違い発生
2015/10/10(土) 07:27:33.96ID:IFLnIICR
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

ルーズベルトは中国軍のビルマにおける「戦略的撤退」を許さなかった理由だが、
イギリス軍が曲がりなりにもインパールで日本軍に勝利したのとは違って、
中国軍は脆弱すぎて情けないくらいに日本軍に連戦連敗だったからではないか。
2015/10/10(土) 07:38:46.24ID:nZZobp4P
>>555
イギリスは本命のヨーロッパでも米ソのような輝かしい勝利を収めることができず、
軍功を焦った結果、「マーケットガーデン作戦」の失敗を招いた。
2015/10/10(土) 07:48:26.13ID:hLQDy8I7
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

1944年以降にもなって「戦略的撤退」なんてふざけんなってとこ。だから米国としては、
役立たずの中国を捨て、日本を同盟国に選ぶことを、真剣に考えなければいけなくなった。
ヨーロッパでは米国は何もせずともソ連は勝利しており、あとはナチの敗残兵を片付けるだけ。
だがアジアでは米国がいくら支援しても中国軍は日本軍に連戦連敗で、「同盟の逆転」は当然。
2015/10/10(土) 08:04:24.35ID:BMQv3FhU
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

イギリスの場合は、コヒマでの敗北を認め、シェンノートの第14空軍からの緊急支援が来た。
561名無し三等兵
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2015/10/10(土) 08:10:39.72ID:jlu2lR0+
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍主力がヨーロッパへ向けられている間、皇軍は大陸打通作戦でチンピラゴロツキを殺戮しまくってた。
だから大陸打通作戦が遂行できたのはドイツのおかげ。大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍の裏には、
ドイツの悲しい犠牲があったわけで、ドイツの犠牲によって、大陸打通作戦をやらせて頂いた。ありがとうドイツ。
「ドイツ打倒優先」で米軍主力はヨーロッパへ向けられ、ドイツは体を張って米軍に奮戦して、
皇軍の大陸打通作戦を支援してくれた。身を殺して仁を為すとは、まさにこのことだった。
562名無し三等兵
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2015/10/10(土) 08:25:06.54ID:Z5gqb2Ay
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍だって「ドイツ打倒優先」だけど、1944年以降の「戦略的撤退」はありえませんでw
2015/10/10(土) 09:56:03.28ID:YHLJ+9J+
>>561
1944年の東部戦線ではミンスクで48万のドイツ中央軍団が壊滅するとか奮戦どころかフルボッコされてね?
564だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/10(土) 15:49:16.99ID:4i74zwAt
「隼の損害、戦果ともに筆者の調査で確認できたものだけで、実際にはもっと多いはずだ。調査には限界があり、完全ではないが、
昭和19年の後半から終戦まで、日本陸海軍の航空部隊が各地で目を覆いたくなるような惨敗を喫していた中で、主戦場から外れた
ビルマとさらに南東の辺境では、最後の最後まで、隼が信じられないような健闘をつづけていたのは確かである」
? 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 2010年8月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%9A%BC%E6%88%A6%E9%97%98%E9%9A%8A

>主戦場から外れたビルマとさらに南東の辺境では

それは専ら弱体なイギリス空軍が相手だったからだ。
565だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/10(土) 16:03:15.10ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

1942年6月、独ソ戦のドイツ軍は171個師団、北アフリカのドイツ軍は3個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

2 ヒトラーの日本観
 他にもヒトラーが日本に対してあまり良い感情をいだいていない様子がうかがえる資料がほかにもあります。
ドイツ宣伝相で側近だったゲッペルスの日記には
「日本の勝利を感嘆かんたんする一方で、『白人』が東アジアでこうむった重大な損失をなげいていた」
ドイツの外交官ハッセルの遺稿いこう集には
「ヒトラーは日本軍の偉業(シンガポール陥落)に感心せず、もう一度あの黄色い奴等を追い返すために、
ドイツからイギリスに20個師団の援軍を送りたい気持ちだ」
http://ehatov1896-rekishi.doorblog.jp/archives/2161567.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f2c519fe5384e767e1c9e99abdcfc293)
566だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/10(土) 16:07:49.70ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

ならノモンハンでの日本軍敗退も、支那戦線に重きを置いていた日本軍の「戦略的撤退」なのか?

ちなみに沖縄戦では55万の米軍を、7万7千の日本軍が迎え撃っている。従って優先順位が低いから、
戦線が小規模だからといって、手抜きをしてよい理由にはならない。
567名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 16:11:53.50ID:6ZW6u1kc
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 人に上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」39。
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた40。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf

ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
568名無し三等兵
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2015/10/10(土) 16:27:41.33ID:XsbCIQ7y
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

マッカーサー「アイシャルリターン(敵前逃亡)」 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1437932670/
569名無し三等兵
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2015/10/10(土) 16:29:40.76ID:XsbCIQ7y
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退と第31師団による奇襲成功

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
570名無し三等兵
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2015/10/10(土) 16:37:34.53ID:GQ8yZQX2
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

日本軍は「マリアナ作戦」「大陸打通作戦」「インパール作戦」の、三正面作戦だが?
571だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/10(土) 17:47:45.50ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍もソ連軍も勝利に向かって快進撃を続けている中で、イギリスだけが「戦略的撤退」だぁ?
572だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/10(土) 17:51:36.99ID:4i74zwAt
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退

 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>
573だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 17:56:08.67ID:4i74zwAt
>>553
>第31師団による奇襲成功

イギリス側は、偵察機さえまともに飛ばせられなかったのか?
2015/10/10(土) 22:55:08.67ID:LmL/B4MI
>>573
英軍が一個連隊しか通れないと判断してた山を第31師団が一個師団で通過して不意打ちしたらしい
575名無し三等兵
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2015/10/12(月) 01:44:38.61ID:gWp3Dn7b
>>553
>日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退

≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ?おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
2015/10/12(月) 02:10:15.78ID:aBQTsRwf
>>574
アラカン山越えだけで力尽きてもおかしくないのにw
577名無し三等兵
垢版 |
2015/10/12(月) 13:06:00.43ID:Lowv1RmT
誰だ!
どのクソだ!
アカの手先のおフェラ豚め!ぶっ殺されたいか!?
答え無し?
魔法使いのババアか!
上出来だ、
頭が死ぬほどファックするまでシゴいてやる!
ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴき倒す!
2015/10/12(月) 15:04:54.73ID:p+BtXedh
>>548
コヒマって陥落してるって言えるの?

ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて
攻める31師団は15000以上。
これでもイギリス軍陣地が落せず、戦線は膠着
4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
2015/10/12(月) 15:08:41.01ID:p+BtXedh
>>574
そもそも、イギリス軍の航空機に昼間は常時攻撃されるため
日本軍は夜間に移動してたから。
日本軍はせっかく分捕ったイギリスの補給品を、ハリケーンに空爆されて失っている。
これもビルマ航空隊が全く航空支援ができなかったため。

隼の編隊でハリケーンを警戒しようと飛び立つと
たちまちにスピットファイアマーク[に襲われて撃墜されまくるからな
2015/10/12(月) 15:18:27.91ID:p+BtXedh
>>576
アラカンはマラリア、赤痢、チフスが大流行するやばい土地
イギリス軍で、兵の7割がマラリアにかかっていたくらいやばい土地だからな
ウィリアム・スリムは、キニーネが十分備蓄できるまで、攻勢に出なかった。
一方、日本軍はそんなのお構いなしに進軍。

コヒマでの戦死戦傷での損害は、イギリス4064人、日本5764人だが
イギリスが病死がほとんどなかったのに対し、31師団の死者14845人にのぼる。
イギリス軍は、戦傷病者を輸送機でカルカッタに送って治療してたが
日本軍機は一切妨害できなかった。
一方日本軍は航空支援が一切なく、傷病者は徒歩で帰還させられたため
途中で力尽きて白骨街道に・・・
2015/10/12(月) 15:18:30.58ID:gxHiFBZL
>>575
この文章何十回みてる
2015/10/12(月) 15:25:11.34ID:p+BtXedh
同じコピペばかりだよね
だつおロボはいったい何年前からいるんだよ?
2015/10/12(月) 15:36:21.81ID:gxHiFBZL
10年ぐらい前
584名無し三等兵
垢版 |
2015/10/12(月) 20:24:45.08ID:Lowv1RmT
昔のだつおは結構えらいひと達が持ち回りでやってたから
レベルの高いだつおもいたんだけどなぁ
2015/10/12(月) 22:23:50.78ID:Y2/gAqRj
仮にロボットじゃないとしても夜となく昼となく10年間毎日同じコピペを書き込むとか
想像するだけで怖いんだがw
586名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:12:47.24ID:jYu7peBW
???

>>578
>ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて

>>580
>コヒマでの戦死戦傷での損害は、イギリス4064人、
587名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:14:54.91ID:jYu7peBW
>>579
>日本軍は夜間に移動してたから。

たった一夜でコヒマを落としたのか?
588名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:17:14.65ID:jYu7peBW
>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。>>525
589名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:23:02.36ID:9o+thggY
???

>>578
>ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
590名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:38:45.33ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

地上に生き残るための戦い
 なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの
戦いが同等に扱われている。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
  アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
  勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
591名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:43:16.91ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html
592名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:55:04.12ID:Bv/PK3la
>>415
そんなの幼稚園児でもわかる社交辞令だしw
そんなの真に受けるおめでたい馬鹿にしちゃっていいの?ロシア人をさw
4日でとかwクソ笑った。
それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ
その間日ソ中立で胡坐かいておいてマジでよく言えたもんだわアホらしい。
真珠湾まで巻き戻して最初からヨーイドーンでやりゃ
同じくらいかかるわボンクラw
マジで4日で終わらせられたら誰も苦労せんわ、本気で思ってんのかよw
593名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:00:26.46ID:+uQeLTEs
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

第二次世界大戦
1941年 開戦
1944年 米軍、欧州に上陸
1945年 終戦
■ソ連は常に9割以上のドイツ軍と戦った
■死傷、捕虜になった全ドイツ兵の7割はソ連軍によるもの
■米軍が戦ったのはわずか1割未満のドイツ軍だった
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/information/bill-totten/__icsFiles/afieldfile/2015/06/19/2015_syunki_slides_3.pdf

戦争末期、国家の地上戦力の約 30% にあたる180 万人の日本軍が中国および満州に駐留していた。
サリー・ペイン( Sally Paine )は、「アメリカは、展開可能な日本軍の 3 分の 1を中国が足止めしていなかったら、
許容範囲内の損害で太平洋戦争に勝利することはできなかっただろう」と結論付けている。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/10.pdf
594名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:07:27.83ID:gxmTBppe
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html
595名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:43:53.42ID:BOIOht5B
>>579
>日本軍は夜間に移動してたから。

イギリス空軍お得意の夜間爆撃は?
596だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/13(火) 04:50:37.16ID:DXBqM1Rb
>>579
>隼の編隊でハリケーンを警戒しようと飛び立つと
>たちまちにスピットファイアマーク[に襲われて撃墜されまくるからな

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

コヒマへの攻勢作戦とその空輸によって輸送機が負う多大な負担とウインゲートの第
二次チンデット作戦(「木曜日作戦」)の補給支援、さらにはインパールの戦力増強のた
めに F・W・メサービー大将の第 7 インド師団の一部をアラカンから空輸する決定とい
った、これら様々な空輸作戦を行うためにはより多くの輸送機が必要である ことは明白
であった。そこで、3 月 25 日にマウントバッテンは、さらに 70 機のダコタを送るよう、
また、「ヒマラヤ山脈」ルート空輸任務から抽出している輸送部隊への指揮権を与えるよ
う統合参謀本部に要請した。3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ
64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、
「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。しかし、4 月 28 日、米軍は中東から
回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。米軍輸送機の支援が得られなくなると、

ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
ントバッテンは十分に承知していた。マウントバッテンは輸送機を中東に戻すことを拒
否し、結局、ワシントンが譲歩して当初は 5 月 31 日まで、最終的には 6 月 16 日までマ
ウントバッテンが中東の輸送機を指揮することを認めた。それでも 、プロバートが指摘
したようにインパールへの空輸はぎりぎりの状態で継続された 38。インパールとコヒマの戦いは、
英陸軍が地上の連絡線を回復し、この地域の日本陸軍を打ち破って 6 月 22 日に終了した。

http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
2015/10/13(火) 06:47:42.02ID:eGdKadDz
こいつ生きてる人間じゃねえっ!
598名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 15:47:45.69ID:lIW2M7GJ
コピペうざい
2015/10/13(火) 17:29:53.66ID:ZYjlv1zP
よくある廃墟掲示板って延々とコピペ貼られてるよね
2015/10/13(火) 19:41:17.88ID:4UIJIlXn
>>587
インパールの体験者の戦記を見てみろよ。
昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。
制空権を取られるからこんなことになる。
2015/10/13(火) 20:35:33.04ID:swRvCvPf
>>449の刑事フォイルでスピットファイアが飛行しているシーンがあったよ。
2015/09/18(日)の午後4時すぎ頃にBSプレミアムで 再放送するよ。
602名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 20:52:18.69ID:id0aeEqL
>>600
>昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。

たった一夜で、コヒマ陥落?
2015/10/13(火) 20:55:58.48ID:Db5qH0V9
>>602
一夜でアラカン山越えとコヒマ占領だろw
2015/10/13(火) 21:02:49.06ID:FfnsMR1L
>>600
史実はその逆で、イギリス空軍では日本空軍に勝ち切れず、その間にコヒマを取られた。
2015/10/13(火) 21:56:17.09ID:Wkp/fUvF
アラカン山越えとコヒマ占領、イギリス空軍何やってんのw
2015/10/13(火) 22:27:02.14ID:MsNNJ7sO
イギリスは輸送機補給成功してるんだから
インパールの制空権は日本に無いだろ

爆撃機どころかもっと脆弱な輸送機が任務遂行できるんだから
2015/10/13(火) 22:30:21.95ID:+qG+gCO7
>>604
インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で察しが付く論をありがとう
2015/10/14(水) 00:55:54.68ID:t9dZ3rPU
ビルマ方面戦線スレ的に
2015/10/14(水) 01:35:29.08ID:rIfAg2Iq
>>607
>インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で

コヒマは?
2015/10/14(水) 01:46:34.09ID:aBmXx90G
>>606
>イギリスは輸送機補給成功してるんだから

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

なら空挺降下でコヒマ奪回?

「マーケットガーデン作戦」ってすごいねw
2015/10/14(水) 01:49:14.63ID:ZZkdCqaf
>>609
コヒマは、イギリス空軍の輸送機による空挺降下で奪回されている。
2015/10/14(水) 01:51:28.67ID:svFUDUU1
>>610
弱体な日本軍は空挺降下で簡単に潰れたが、強力なドイツ軍には全く通じなかった。
2015/10/14(水) 02:10:50.69ID:7xk0gmlx
>>610
マーケットガーデン作戦が失敗したのは、強力なドイツ空軍が待ち構えていたから。
2015/10/14(水) 02:23:29.48ID:qnokxP+U
>>612
それでもJAPの義烈空挺隊よりはマシな成果だった。
2015/10/14(水) 02:46:46.73ID:h+C/2SE6
(空挺部隊にとっても)遠すぎた橋
616だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/14(水) 06:57:52.79ID:4m4jFDba
>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
>>600
>インパールの体験者の戦記を見てみろよ。

佐藤は補給要請に全精力を注いでいたが、ついに物資不足を危惧し撤退を進言するに至った。補給を軽視した司令部
は佐藤に作戦継続を強要したが、師団はすでに武器弾薬や食料の不足から著しく苦戦しており、これ以上の進撃は
不可能な状況だった。そこで直接の上官ではなく第5飛行師団の田副登師団長宛にまで直接補給を要請したが、
それでも佐藤はこのままでは全滅は不可避と判断していた。
そのような中、5月31日、コヒマ西方で58連隊が守備していた5120高地が英印第7師団の猛攻を受け、5月末日に陣地
にて紛戦状態となった。この時玉砕を決意した守備隊長白石大佐の告別電により佐藤はコヒマ放棄と主力の撤退を独自に決断し、
病兵1500名の後送を指示、部下の宮崎繁三郎少将に遅滞戦闘を命じた[7]。そして、
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって
英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%BE%B3
617名無し三等兵
垢版 |
2015/10/14(水) 19:50:14.18ID:azF5Rvk6
だつおスレ違いにも程がある
2015/10/14(水) 20:31:40.90ID:zK1mbi+W
そりゃインパール作戦に、スピットファイアは関係ないからなw
2015/10/14(水) 20:42:55.31ID:FcbCRNvq
>>612
本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、イギリスに逆転されてしまうなんてい
2015/10/14(水) 20:45:54.88ID:FcbCRNvq
>>618
一応、スピットファイアはインパール作戦中にも
極めてたまに来る日本軍機を撃退していたらしい。
でも第二次アギャブですでに完勝してビルマ航空隊が致命傷を負っていたから
ほとんど出番がなかっただろな。
イギリス空軍は制空権とってまさにやりたい放題だった。
621だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 01:17:13.35ID:H7vefe5t
>>620
>一応、スピットファイアはインパール作戦中にも
>極めてたまに来る日本軍機を撃退していたらしい。
>でも第二次アギャブですでに完勝してビルマ航空隊が致命傷を負っていたから

3月15日、インパール作戦が発動し各地上部隊は侵攻を開始。翌朝には呼応した第50戦隊・第64戦隊・第204戦隊の一式戦が
インパール飛行場を攻撃し、第136飛行隊のスピットファイアと交戦するも戦果なく第204戦隊が1機を喪失、第64戦隊のエース
伊藤直之中尉も重傷を負った[108]。17日午後、第204戦隊はモーニン飛行場を攻撃し第81飛行隊と交戦、1機を喪失するも
指揮官機かつエースであるスピットファイア1機を撃墜し(第81飛行隊長ホワイタモア少佐機)、離陸態勢の1機を撃滅(クール
ーター大尉機、炎上)、さらに2機を地上破壊した[109]。
4月4日、第50戦隊が駐屯するサモンカン飛行場を対地ロケット弾を装備した第1特任航空群のP-51が襲撃、一式戦15機
を地上破壊し第3中隊は戦力を喪失。17日、第64戦隊はインパールで米英軍機の波状攻撃を受け戦果無く一方的に5機を、
第50戦隊もP-38迎撃時に1機を喪失した[110]。なお、当時の一式戦は制空・直掩・迎撃のみならず、積極的に爆装して
の対地攻撃や威力偵察・物料投下など様々な任務に多用されている[111]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F

>一式戦15機を地上破壊し第3中隊は戦力を喪失

航空戦の勝敗は、地上撃破されたほうが負け。飛んでいる飛行機を空で撃墜するなんて、非効率極まりない。
622だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 05:11:58.29ID:H7vefe5t
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

なら大陸打通作戦はどうなる? 敵機が来襲する戦域で、どうやって進軍する?

ちなみに東京大空襲は夜間爆撃。
623だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 11:05:35.04ID:H7vefe5t
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

なら大陸打通作戦の日本軍は、敵機が来襲するのを逃げ回りながら、目にもとまらぬ速さで進軍し、
目にもとまらぬ速さでチンピラゴロツキを殺戮しまくったってか?

おい、なんとかいえよ、おい!
624名無し三等兵
垢版 |
2015/10/17(土) 13:46:27.83ID:zC7WUyiP
関係ないネタでスレッド伸ばすなよ

コルセアスレみたいに常駐者がいるスレと違って次スレあるかどうかわからないんだぞ
625だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/17(土) 16:43:30.06ID:+LsIhdzr
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模
のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし
B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う
べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で
よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、
しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか
ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。
 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、
より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究
にまたねばならない。
 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、
支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が
弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、
制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。
<中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 /朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )>
626名無し三等兵
垢版 |
2015/10/17(土) 21:15:21.44ID:AAoPGsbh
荒らしは放置の方向で。
2015/10/17(土) 23:02:03.09ID:BJZj/qe0
インパール方面は他にも
1944年半ばから
英軍にレンドリースされたP47約800機は
ほとんどインド配備で対ビルマの日本軍用に使用されたので
どう転んでも日本軍に制空権はない
2015/10/18(日) 19:15:08.95ID:KI6WyllB
日本軍航空隊は第二次アキャブ以後壊滅してたので
本来戦闘機のスピットファイアが
改造されて爆撃任務に回されたりしてた。
2015/10/18(日) 20:16:41.08ID:KI6WyllB
>>627
インパールの時点で、日本軍に一切制空権がなかったのに
その後さらにP-47が増備されてるのかよ。
弱いはず英印軍に精強な日本陸軍が一方的に虐殺されるわけだなあ。
630名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 03:06:52.55ID:yPPVV9Kt
>>627
まさにイギリスが勝って当たり前の戦場で、コヒマを取られただけでも痛いw
631名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 20:48:17.50ID:5ae+mC6G
>>630
まあでも英国はインパールで勝ったわけだし、チャンコロみたいな生きてて恥ずかしい存在じゃなかった。
632名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 20:59:41.55ID:5ae+mC6G
シェンノートの在支14空軍は、日本軍に中国人を殺戮する口実を与えただけだったのか?
2015/10/20(火) 01:51:26.03ID:QsBHgbR/
>>630
ぶっちゃけコヒマ取られてもイギリスはそんなに痛くない。
精々インパールの滑走路の整備に追われるくらいしか目立った害は無い
2015/10/20(火) 09:22:38.87ID:lSwCKPSZ
>>632
ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米英にとっては大きな問題にはならないが?
2015/10/20(火) 09:25:13.76ID:sAaukqM9
>>633
でも米ソが快進撃を続ける中で、英国だけが遅れを取ったら少し恥ずかしい。
2015/10/20(火) 09:27:20.11ID:sAaukqM9
>>634
英国も遅ればせながらインパールで勝利、ひとり中国だけが連戦連敗w
2015/10/20(火) 11:15:20.09ID:g5BG/G3h
イタリア「私も連合軍として何ら恥ずべき所はない」
638だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/20(火) 17:58:24.25ID:NFbzyq0J
第二次世界大戦におけるイギリスの役割が取るに足らなかったのは、「マーケットガーデン作戦」で証明済み。
そもそもこの作戦自体が、存在感の薄いイギリスが背伸びをして軍功を挙げてやろうというもの。
イギリスは軍功をあせってマーケットガーデン作戦を発動したが、成果を出せないままで終わった。
2015/10/20(火) 18:04:59.04ID:I10w6NzA
ここじゃなくてキモイブリテンスレいけよ
2015/10/20(火) 18:10:49.49ID:s9I5CA2Y
第二次大戦でイギリスが果たした最大の功績は、英本土航空戦を耐え抜いて戦争を終わらせなかったことだろう。
2015/10/20(火) 18:13:39.89ID:mXI0qidU
マーリンエンジンの性能向上。
2015/10/20(火) 20:28:03.28ID:I10w6NzA
その前にチャーチルがヒトラーの和平講和を鼻にも引っかけずガン無視
643名無し三等兵
垢版 |
2015/10/23(金) 02:23:00.92ID:LmSOQkYf
 昭和19年最初の月の空戦では、7機の一式戦が撃墜されて7名が戦死、その他、
各1機が不時着、あるいは胴体着陸し、司偵1機(戦死2名)も撃墜された。一方、
連合軍の損害記録と一致する一式戦の撃墜戦果は、スピットファイア4機(戦死3名)、
ハリケーン3機、ボーファイター1機(戦死2名)、F5写真偵察機1機(戦死1名)、
C47輸送機4機の計13機であった。
 1月のビルマ方面の連合軍航空兵力は、英空軍532機、米陸軍航空隊287機
の計819機。その内訳は戦闘機576機、中型爆撃機70機、重爆撃機79機、
偵察機10機、輸送機84機であった。連合軍は、同時期の日本陸軍航空部隊の兵力
を約250機、うち戦闘機100機と見積もっていた。
 1月末の第5飛行師団の兵力は、50戦隊一式戦保有37機(可動27機)、操縦者
45名。64戦隊一式戦保有35機(可動20機)、81戦隊司偵保有20機(可動13機)の
計168機であった。教飛204戦隊の兵力は不明だが、他戦隊の例から推して
一式戦30機前後と思われるので、合算しても200機以下。連合軍による総兵力
250機の評価は過大だったが、戦闘機100機という見積もりは、概ね正確であっ
たということになる。一方、第5飛行師団も連合軍の航空兵力を約1000機と見積
もっていた。双方とも、相手側兵力をちょうど2割ほど過大に評価していたことになる。

梅本弘「ビルマ航空戦 下」より
644名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 08:13:42.02ID:RBQ282dU
>>643
それ英軍側は戦闘以外の損傷がやたら多い。

砂漠仕様のスピットファイアXは、性能が高温多湿環境では発揮できず苦戦
南太平洋では、ゼロ戦相手に劣勢だった。
それでも隼相手には互角以上に優勢で、終戦まで使用されてたんだな。

スピットファイア[と\になると、まさに圧勝になる。
損害が少なく、戦闘以外で損傷した例が圧倒的に多い。

モスキートに至っては、撃墜記録がさっぱりない。
2015/10/25(日) 08:30:35.98ID:fawIrQkW
我に追いつくジャップなし、といったところか
2015/10/25(日) 10:07:52.27ID:8K7scxnu
>>592
>4日でとかwクソ笑った。
>それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
>しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ

でも「米軍にとって太平洋戦争は片手間」ってのが、あんたの頑迷な信念なわけだろ?
2015/10/25(日) 13:07:44.13ID:RBQ282dU
>>633
そもそもコヒマの英軍陣地は陥落していない。
1500人の守備隊の英軍に、日本軍1師団丸々で寄せてたかっても跳ね返された。

日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ
これを陥落と詭弁とは、ネトウヨのホルホルも大概だな。
648名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 14:06:31.67ID:Fmsy6V0W
>>647
>日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した
第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。
しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を
実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、
作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川
河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6
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