「ソ連式の安全基準測定は、ブレーキをかけた車両に試験車を衝突させ、安全を確認することになっている。
これこそがいちばん確実で合理的な測定だ、日本式の荷重試験と走行試験だけでは信用できない」。
東急車両はそれまでに例がない、新車を衝突させての安全基準測定を行った。

幾多の難関を乗り越えて、最後に残っていたのが納入先の鉄道での現地試験だったが、
当時、ソ連はサハリンへの外国人入国を認めておらず、東急車両のスタッフが赴くことができない。
やむを得ず、国鉄の協力を得て東海道本線大船⇔来宮間で、回送列車の名目で走行試験が行われたが、
ソ連検査官、各駅ごとに線路に降り、台車軸箱に手を当てて過熱がないか確かめる念の入れよう。

・・・東急車両から130両の納入が終わったとき、ソ連検査官も妻子とともにソ連に帰っていった、
帰りの便はソ連貨物船、ソ連では貴重品のちり紙などをお土産にしての帰国であったが、
仕事にまったく妥協せず、東急車両側にも強い印象を残して帰った検査官、
のちにはモスクワのソ連国鉄本社に栄転になり、
東急車両と検査官の”作品”ともいえる客車は、その後も末永くサハリンを走っていたという。