これもアメリカの歴史フォーラムで見た話。
 
WW2欧州戦終結の直前、イギリスは北イタリアに残るドイツ軍司令部を壊滅させることを決めた。パラシュート降下の英軍コマンドが送り込まれ、現地パルチザンと共同でこの任務を果たすことになった。 
 
英軍コマンドが現地に到着すると、ともに戦うパルチザンのメンバーはイタリアの捕虜収容所から脱走したソ連軍兵士の集団だった。
 
ソ連人を信頼できない英軍コマンドは自分たちだけでドイツ軍司令部に向かった。これに気付いた周辺のドイツ部隊が集結し、司令部を守るために英軍コマンドに肉薄してきた。
英軍コマンドは自分たちが蹂躙される前に任務を果たすべく迅速にドイツ軍司令部を壊滅させ、その後直ちにドイツ軍の攻撃に備えた。
 
ところがドイツ軍が来ない。周辺で大規模な銃撃戦が行われていたが、ドイツ軍が来ない。結局、脱走ソ連兵パルチザンがドイツ軍を撃退していたことがわかった。 
 
その後すぐに終戦になり、英軍コマンドはソ連兵パルチザンをソ連行きの列車に載せて帰国させろとの命令を受けた。この命令は米英ソの間での取り決めに基づく命令だった。
しかし英軍コマンドの指揮官はスターリンが戦争中にソ連兵に降伏を認めない命令を出していた事も知っていた。 
 
命令に従えばドイツ軍大部隊と戦って自分と部下を守ってくれた勇敢なソ連兵パルチザン、しかし一度は降伏し捕虜になった彼らをソ連への死の旅に送り出すことになる。しかし英軍の指揮官としてこの高度に政治的な命令に従わないわけにはいかない。 
 
そこで英軍コマンド指揮官は命令を吟味し、「自分の任務はこのソ連兵をソ連行きの列車に乗せることである。その後に起こることには自分の責任ではない」と決めた。
 
ソ連兵たちは駅に連れていかれた。貨車の側面の扉が開かれ、彼らは貨車に乗る。扉が閉じられた。しかし反対側の側面の扉も大きく開かれていた。彼らはそのまま貨車から降りた。列車が動き出し、英兵は消えていた。そしてソ連兵もイタリアに消えていった。
 
彼ら、パルチザンソ連兵の多くはその後イタリアで結婚し、イタリア人になった。南米に渡って余生を過ごした人たちもいた。英軍コマンド指揮官は求められた任務をすべて果たしたとして何も責任を問われなかった。