■宣伝省の予算は莫大であり1935年は6700万マルクで、
 ゲッペルスは機密費として4500万マルクを使えた。

■1937年世界初高速道路2000kmが完成。これは部隊の
 迅速な移動にも使えた。

■ラジオは1939年には700万台生産し普及率70%は世界一となった。
 これを使って宣伝に努めた。一方海外放送の受信は禁止され
 親衛隊を使って2000人摘発した。

■占領地ポーランド向けの宣伝映画を作った。「なぜワルシャワ市は
 このような運命を経験しなければならなかったのか」
 「なぜ多数の若者が無用に戦死するのか」と尋ねかけるもの。
 ドイツへの抵抗を防ぐ目的。

■占領地フランスでは「我々ドイツ人は新欧州の指導者となる」
 「我々は武力で欧州を改革するつもりはない。新しい秩序を
  理解してもらうことにある」と懐柔した。

■ソ連戦では予想外の冬になってしまい、零下20度で凍り付いた。
 そのため国民にセーターなど供出運動をした。500万点集まった。

■対米英には「上陸戦になれば50万人が戦死する」と脅しをかけた。
 実際は13万人だった。

■ロケット兵器は1945年3月から2万発発射された。ロンドンには
 8500発発射され2300発が着弾。2.4万人が亡くなった。

■ドレスデン爆撃では15万人が犠牲になった。ゲッペルスは
 ジュネーブ協定破棄を主張した。報復として捕虜を殺すのが目的。

『ゲッペルスとナチ宣伝戦』(光人社NS文庫/広田翻訳家)