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『リンドバーグ第二次大戦日記』(角川ソフィア文庫/チャールズリンドバーグ Lindbergh 1970)
■1945/5/16 ※ドイツ降伏から1週間後
「ミュンヘンでは略奪が横行しており仏軍露軍だけでなく米軍も行っている。米技術者によると
仏軍は略奪強姦殺伐を欲しいままにしている。病院で17回も陵辱された婦人患者を見たという。
シュツットガルツの女性は6歳から60歳まで一人残らず陵辱された。同市だけで6000件の 強姦が報告された」
「米軍は占領地域の村落に入ると気に入った家屋を選抜し、住人に明け渡しを命じる。猶予は数十分から数時間だった」
「占領軍は略奪することを『解放』という言葉を用いて行った。敵国の民家や個人から奪い取った物品は
『解放』されたことになる。ドイツ婦人を陵辱した兵士も、彼女を『解放』したのである」
■1945/5/20
「ドイツ人に尋問が行われ拒否した場合は、最初独房に入れパンと水だけを与える。それでも駄目ならパンと水を抜く」
■1945/5/23
「ミュンヘンでは強姦事件のために入院した患者は3000人に達した。裂傷を負ったからである。
この頃のドイツではかすり傷程度では入院はできないから想像にあまりある」
■1945/5/24
「当時のドイツ軍捕虜収容所では、全員を屋内に収容できないため、昼も夜も雨でも晴れでも
屋外に捨て置かれたままで、食料もわずかしか与えられておらぬ。」
■1945/6/2
「フランス軍の占領地帯では年齢と氏名をドアに張り出すように命令された。つまり夜となると
酔っぱらった仏軍兵士が強姦したい年連の女にぶつかるまで個別訪問できるようにした」
■1945/6/9
「ソ連占領下では特に酔っぱらったロシア兵がドイツ人を乱暴にあつかう。男はパンツ一枚を
残して身ぐるみはがされてしまう。立派な靴を履いていると彼らの破れ靴と交換される」