『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") part1

■1941年6月独逸軍350万人はソ連領に侵攻を開始した。3軍に分け
 北方軍はレニングラードを、中央軍はモスクワを、南方軍はウクライナを目指した。
 それぞれ600マイル、700マイル、900マイル離れていた。
 人数はナポレオンのモスクワ遠征の5倍。補給をどうするかが問題だった。

■300マイル進んだ所で弾薬燃料が不足して前進が難しくなった。
 ヒトラーは自動車を活用しようとしたが、トラックの数が全く足りなかった。
 鉄道は1本あればトラック1600台分の輸送能力があったが柔軟性にかけた。
 100個師団以上あるうち自動車化されていたのはわずか16個師団で
 他は徒歩で進撃した。歩兵師団は馬車を使って輸送した。
 このためすぐに距離が開いてしまいこれを待つ必要があった。

■自動車輸送連隊はわずか3つしかなく約2万トンの輸送力しかなかった。
 連合軍は47万の部隊に7万トンの輸送能力があったがこれでも足りなかった。

■ロシアは悪路で有名であり雨が降るとすぐに泥沼となり輸送ができなくなった。
 ロシア軍の抵抗のため損耗率も数割に達した。

■ロシアの鉄道を活用する予定だったが規格が独逸と異なりあまり活用できなかった。

■食料は50%現地調達できたが、燃料なども規格がことなり使えなかった。