バトルオブブリテンをせず、さっさとギリシャを掃討
北アフリカ戦線は兵力を派遣せず、総撤退させる
独ソ戦は
1941年10月の時点でレニングラード東−キエフ東−ロストフ東線にて停止し、陣地&ドイツ規格の鉄道道路網構築
(8月下旬までにルーマニアからペレコープ地峡北側まで最優先にてドイツ規格の鉄道敷設。かき集めた列車砲を運び込んでペレコープ地峡を突破し、11月にはセヴァストポリ要塞占領)
(クリミアへ送られた列車砲は12月下旬からレニングラード砲撃に使用。1月下旬に行われたレニングラード奪還作戦も冬季装備を整えたドイツ軍に撃退され、2月中旬レニングラード陥落)
 この時ソ連に弾圧されていた国民で構成されたアインザッツコマンドが投入され、徹底した殺戮が行われてしまった