初期ノモンハンではソ連空軍は日本陸軍と巴戦をやったらしく、
後期にソ連機(加速度が高い)にふさわしい戦術をとってから、日本機と互角に戦えるようになってる
ソ連側のノモンハン空戦の証言を読むと、
初期には、日本陸軍のパイロットと機体には絶対に勝てねえ、
とソ連の現場のパイロットたちは、ズンドコに落ち込んだらしいよ
しかしスペイン内戦帰りのベテランたちが指揮官として次々と赴任してくると、
話が次第に変わってくる
とくにG・P・グラブチェンコ少佐の分析と訓話はかなり面白くて、
ちょっと長く引用するとこんな感じ

「『さあ、これをよく見たまえ』と彼(グラブチェンコ少佐)の声は高まった・・・
 『この穴を見たまえ。これらは何を物語っているのか?
 つまりだな、敵(日本機)は二連射し、しかも大部分が命中している。
 この機の搭乗員は
 ぼんやりして、敵を眺めていたのだろう。これで死んでも、名誉なことではない・・・・・・
 31発も被弾して・・・・・・。
 一般的に戦闘機乗りがやられるのは、ほとんどが不注意からである。
 本機は搭乗員が優秀であるかぎり、事実上は敵機の射弾で撃墜されないようにできている。
 ここを見たまえ。背中の装甲板に2発命中している。ところが平気だ。ひびも入っていない。
 翼も胴体も孔だらけだが、孔をふさげば戦闘に耐える・・・・・・
 われわれが優越している点は、わが戦闘機が、速力の点で日本の戦闘機にまさり、
 また防弾力と火力装備で何倍も敵に優っているからである。
 もし九七戦に31発の射弾が命中すれば粉ごなに飛散してしまう』」
(A・B・ボロジェイキン 『ノモンハン空戦記 ソ連空将の回想』 林克也・太田耕訳 45-46頁)