【戦後70年 東北からの伝言】(3)終戦の日 死線を越えて
http://www.sankei.com/region/news/150815/rgn1508150016-n1.html

 □満州引き揚げ 青森県八戸市 天内(あまない)みどりさん(82)

 昭和20年8月15日の終戦を、日本統治下だった朝鮮北部(今の北朝鮮)の宣川(ソンチョン)で迎えた。
日本が負けたと分かると、日本人に襲いかかる朝鮮人がいた。
 午後3時ごろのことだ。野道を1人で歩いていると、15〜16歳の5人の朝鮮人の男たちが大声で歌いながら
やってきた。草むらに身を潜めてのぞいた。
 男たちが持つ2本の長い棒の先には、若い日本人女性の足がくくり付けられていた。獲物のように逆さまに
つるされた女性は全裸で血まみれ。体の真ん中には棒が刺さっていた…。
 「許せない。きのうまで同じ日本国民だったのに、なぜ。絶対に忘れない」と心に誓った。「一生分の涙を流した。
そして、それからは『泣かない、笑わない少女』になった。今の言葉で言えば心的外傷後ストレス障害(PTSD)」

 ■ソ連兵の“女狩り”

 引き揚げの道は地獄だった。飢えや感染症に加え、鬼畜のようなソ連兵による“女狩り”が待っていた。自身も
襲われそうになり、機関車の下にもぐって難を逃れたことがある。平壌(ピョンヤン)で入れられた日本人収容所では、
多くの女性が連れ去られ、戻ってこなかった。
 収容所を集団で脱走し、南へ向かって歩く列をソ連兵が止めた。一人一人の顔を銃で押し上げ、“品定め”した。
2人の女性を選んで「残りは行っていい」。泣き叫ぶ2人を置いて、列は歩き出した。「申し訳ない。でも、どうする
こともできなかった」