日露戦争で亡くなった将兵で、脚気による死亡が戦闘による死亡より多かった。
まぁこれは東大医学部閥の一大誤診によるものだが。
奉天会戦終結時点で、日本は国力兵力共に限界点にきていたが
ロシアが亡くした兵は、専らウクライナ、バルト三国、ポーランド等々ロシアの属国から嫌々連れてこられた兵隊がほとんどを占めていた。
モチベーションの低い兵らしく、古い密集隊型を作り、日本側機関銃にバタバタ倒された。
現場の大山と児玉は、東京の政府と参謀本部をせっつき講和を急いだ。
本命のロシア本国軍がシベリア鉄道の駅を下りていたからだ。
イギリスは直接参戦ができなかったものの、世界中に手をまわしてバルチック艦隊への補給を止めさせた。
遠路補給ができないロシア艦隊は、沈没寸前まで艦内に石炭を積み込んだ。石炭粉塵の害毒は酷いもので、日本近海に達した頃には肺癌患者が多数出ていた。