西部戦線ではP-40よりも使用頻度が低かったP-39だが、ソ連では大好評だったとのこと。
米国にとってソ連へのレンドリースは、渋々ながらもってけドロボーみたいな感じだったのか。

AAF Fighters in the European War, 1942‐1945
Type Sorties Tonnage Los
P-47 423,435  113,963 3,077
P-51 213,873  5,668  2,520
P-38 129,849  20,139 1,758
P-40 67,059   11,014  553
P-39 30,547   121   10
http://www.americancombatplanes.com/p51_3.html

 「フォッケル」は加速性が劣るという弱点があり、もしかしたらこれが一番の泣きどころだったかもしれない。後になると、
彼らも「フォッケル」で戦う時は速度を失わない形で機動を組み立てるよう心がけていた。長時間の格闘戦で「ヤク」
やラーヴォチキン、「コブラ」に対抗するなんて、「フォッケル」にとっては最初から負けが決まったようなものだ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov2.html

エアラコブラというのは、あれは本当にいい飛行機でしたよ。ルーズベルトはきちんとした人だった。
アメリカ人の中でも、ハリマンとホプキンスはとりわけよく私たちを助けてくれました。
彼らは[ソ連に]やって来て、ロシアを支援すべきだと報告したわけです。それで、
ルーズベルトは支援を行った。たくさんの飛行機、戦車もたくさん送られてきました。
一方のチャーチルは、自分がいらないものをみんな送りつけてきただけです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda74.4.html

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html